あの時聞こえた声は……。

鈴木魚(幌宵さかな)

あの時聞こえた声は……

 夕暮れの街には、涼やかな風が吹きながらも猛暑の名残がそこら中に転がっていて、熱せられたアスファルトから蜃気楼が立ち昇り、ガラス張りの摩天楼は陽炎に揺らめいている。

 翔太は額から流れる汗をワイシャツの袖口で拭った。

 締め切り間近の仕事が立て込んだため、1週間ほど会社近くのホテルに泊まり込んで仕事をしていた。細かい修正が続き、満足な睡眠をほとんど取れていなかった。

 しかし、それも今日までだ。

 先ほど得意先への納品が終わり、疲れ切った体を引きずるようにして帰宅する途中だった。

 久しぶりに歩く野外は、サウナの中のように暑く、駅までの数十分間でワイシャツはぐっしょりと湿ってしまった。

 辛くて何度も心が折れそうになりながらも、自宅のベットで眠る自分を想像し、気力を振り絞って歩いていた。

 もう目の前が駅というところで片側2車線の大きな幹線道路にぶつかる。

 歩行者用信号は止まれの赤色。翔太は立ち止まり、鈍い疲れを吐き出すように、「はぁ」と大きく溜息をついた瞬間、急な眠気に襲われた。

 やばいと思った時には意識が遠のき、体が落ちていくような感覚がした。その時、

「お兄ちゃん!」

 どこかで弟の叫ぶ声が聞こえた気がした。消えかけていた意識が急に戻り、慌てて倒れそうな体を近くの電柱に捕まって支えた。

 その瞬間に、目の前を大型トラックがものすごいスピードで通り過ぎて行った。

 危なかった。あのまま倒れていたら死んでいたかもしれない。

 歩行者信号は何事もなかったかのように青になり、たくさんの人が横断歩道を渡り始める。

 翔太もふらつく体を立て直し、横断歩道を歩き始め、ふとさっきの声が気になった。

「お兄ちゃん」そう呼ばれた。お兄ちゃん、と。

 その響きが懐かしかった。


 翔太には3歳年の離れた弟がいた。しかし2年前に病気で亡くなってしまっていた。

 昔から不思議な子供で、くじ引きは弟が引くと必ず当たるというジンクスもあったほどだ。

 賢くて、穏やかな自慢の弟だった。


 そういえば、幼い頃弟がいなくなった時があったなと、何年も忘れていた出来事を思い出した。

 あれは暑い夏の日で、うるさいぐらい蝉が鳴いていた。

 弟は近くの駄菓子屋に行く言ったっきり、帰ってこなかった。親戚総出で探して、警察に捜索願いも出した。

 しかし、1週間ぐらいした頃、泥だらけになって弟は自分で家に帰ってきたっけ。遠くに行きすぎて、道に迷ったとか。

 弟にしては珍しいと思ったな。

 駄菓子屋なんていつも行っているのに。

 あれ?そういえば今日は何日だっただろう?


 確か、弟がいなくなったのは?

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あの時聞こえた声は……。 鈴木魚(幌宵さかな) @horoyoisakana

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