第71話 誕生日プレゼント

「セテンハイム、そういうことでいいかい?」


“大師会”。


聖竜教幹部の彼らが集う円卓には、現在5名のメンバーが顔を揃えていた。


「んー、クレオさんボスのこと裏切ったのぉ?」

「ウチは力で序列が決まる。ボスを下したならむしろ正攻法と言っていい」

「……ハッ」


“牧師” クレオ、 “荒法師” マドカ、“軍師” ジョニー、“喧嘩師”カズミ。


「……クレオ、なぜ独断で動いたのだ」


そして “最高司祭”セテンハイム。


「いやぶっちゃけさ、ボスって呼んでるけど、アイツの存在が僕たちにとってメリットになる気がしないんだよね。何考えてるかわかんないし、正直イカれてんじゃん?」

「でも、私たちを幸せにしてくれるって言ってたよ?」

「まっ、口でならなんとでも言えんだろ。アイツは強ぇからアタシたちの上に立った。事実はそんだけでいいだろ」

「そうだ、クレオ。彼は我々の誰よりも強い。そんなことはとうにわかっているはずだろう……なぜ彼を、裏切るような真似をしたのだ」


会議の議題は、大師会の一人であるクレオの独断専行。


“ボス” を転移によって竜騎士団の地下牢に封じたというあまりにも大胆な裏切り行為だ。


これを聞いた時、セテンハイムは意識が遠ざかった。


「……とんでもないことをしてくれたな」


それがセテンハイムの偽らざる本音だった。


「でもこれで全部元通りだ。僕たちには指導者なんて最初からいなかったんだから、これでいいだろ?」


クレオは肩をすくめて言う。


“聖竜教”の存在は、クレオに残された拠り所だった。


自分の欲望を満たしたい。だが追われる生活はまっぴらごめんだ。ここでならその両方が叶えられる。


(僕らを幸せにするだって? はっ、バカめ)


クレオはすでに充分幸せだ。


この現状が維持されることだけが彼の望みだ。


だから後悔はしていない。これは裏切りなどではなく、邪魔者を排除しただけの話。


「君たちが出来ないことを僕がやっただけのことさ。ともかくこれで、あの邪魔者も消えた……本来の僕たちの計画を進めよう」


と、クレオは身を乗り出し。


『へぇ、面白そう。何それ?』


気配も、音もなく。


背後に立っていた何者かの声で硬直した。


「……」

「あっ! ボスだ〜!」

「……あーあ」


クレオは身動きの一切を取ることができなかった。


円卓の向こう側では、背後に立つ人物に手を振る者と肩をすくめ、こちらを“終わったな”というような目で見てくる者とがいた。


握りしめた拳の中が汗でぬかるんでいく。


意識せず、足が小刻みに震える。


「……こんにちは。もう戻られていたんですね」


内心の動揺を必死に押し隠し、クレオは言葉を発した。


それでも、振り向くことはできそうにない。


『うん、不意打ち喰らったのはヤバかったけどね。まぁなんとかなかったよ』


なんとかなっただと?


そんなレベルの包囲網ではなかったはずだ。一体この世のどこに、あれだけの施設の中から“なんとかなった”で脱出してくるやつがいるのだ。


竜の胎に入った獲物が、どうやってそこから這い出すというのだ。


百歩譲ってそういうことが起きたとしても、相応の深手を負っているべきだ。

まるでついさっき寝床から起きたかのような、何事もなかったかのような態度でここに立っていていいはずがない。


そんなことが罷り通るなら、この世界はとっくに竜に支配されている。


(……化け物め!)


『それで、なんの話してたの?』


クレオの内心の動揺を知ってか知らずか、正体も明かしたというのに相変わらず不明瞭な声でその男は喋る。


「あのねー! これから皆で楽しいことするんだよ! 聞きたい!? ボス、聞きたい!?」

『えー聞きたいなー』


背後に立つ男の声の調子は軽い。


だが、現れたのがクレオの背後だということ。気配を悟らせず忍び寄ったこと。その全てが物語っている。


言葉にせずとも途轍もない“重圧”が放たれていることを。



「あのね! クレオがね! 皇女様を誘拐したいんだって!」



『……へぇ』


そしてその瞬間。


クレオは、自身の首が吹き飛ぶ幻覚を見た。


『面白いね』


ポン、と肩に置かれたその手に力は入っていない。ただそこに置かれただけだ。

だというのに、クレオの体はまるで万力で固定されたかのように一切の動きを封じられた。


……マドカが言っていたことは事実。


クレオは、ヴェルドラ帝国第一皇女であるエレオノーアの拉致を計画していた。

先の対抗戦襲撃におけるアレクロッド皇子の誘拐事件はいわばその一環だ。


立て続けの襲撃、そして学園が擁する王族に直接魔の手が及んだという事実は、ホーンブレイブ竜騎士団から最大の警戒を受けることとなった。


だがそれは当然のこと。むしろこの状況こそが吉兆。


守りを固めれば固めるほどに、彼女はむしろ意識から外れる。


“この万全の守りを通過するはずがない”。


“狙うなら別の誰かだ”。


“彼女に危険が及ぶことは万に一つもない。”


口には出さずとも、誰もがそう考えると針の穴ほどの隙間。


そしてその“穴”を通過するための手段をクレオは有している。


この厳戒態勢での、皇女エレオノーア拉致事件。


事件は歴史に刻まれ、ホーンブレイブ士官学校の名は地に堕ちる。


団長の失踪、副団長の失脚。加えてのこの事態に騎士団は対処できない。


ホーンブレイブ竜騎士団は解散を余儀なくされるだろう。


これはいわば、世界を牛耳り圧倒的な正義として君臨する“竜騎士団”の足元を瓦解させる壮大な転覆物語。


夢物語も力と策と協力者があれば現実味を持つ。


世界に残る戦乱、クレオはそれを引き起こした張本人として歴史に名を刻まれる、はずだった。


『私にもその楽しそうな計画を聞かせてほしいな』


……こいつさえいなければ。


「ッ!」


クレオは瞬間、地面を蹴り円卓の間から飛び出した。


『あら』


肩に置かれた死神の手は空を切る。


力が入っていないのだから当然だ。


だが油断などするはずもない。奴の“速さ”は知っている。


向かう場所は一つ。


転移罠。ここではないどこかへ逃げることができる“脱出装置”。


奴にバレた時のリスクに備え、移動速度を強化する“竜器”を足に仕込んでいる。靴裏はまるで空気を蹴るように軽く、一歩で10m以上を進んだ。


「これなら──!」

「諦め悪ぃな」

「えっ……」


だが次の瞬間、クレオが見たのは石だった。


視界いっぱいに広がる石の壁と、その壁が正面から迫ってきて、クレオの顔面は陥没する。


(あぁ)


これ、壁じゃなくて地面だな。


そう気づいた時には。


──!!!


勢いのまま、クレオは石壁へと突っ込んだ。


……


………。


「ぁ、え……」


視界がチカチカと明滅している。


(……なんだっけ)


僕は、何を。


あぁ、そうだ。


竜騎士共に地獄を見せてやるんだ。


僕の婚約者を、碌に調査もせずに殺人者と決めつけ、絶望した彼女は自殺した。


お腹の中の子と一緒に。


蔑まれ、社会から排斥されることは苦しくない。彼女が僕にすら本当のことを言えずに死んだことが、この世の全てを諦めるほど虚しかっただけだ。


あの獣どもが正義とされる社会であってはならない。そんな正義感を抱いた日もあったが、全てはどうでもいいことだった。


『カズミちゃん』

「……これで、借りは返した。そうだろ?」

『うん、ありがとう』


僕の目の前に立ったのは、白い死神だった。


……この姿がずっと怖くて仕方なかった。


何かを思い出してしまうような気がして。


(……あっ)


そうか。


あの吊るされたように揺れる白い布は。


「……君だったか、フェルティナ」


そりゃあ怖いはずだ。


生まれてくる子に着せるんだと張り切った君は、それが汚されると別人のように怒ったからね。


君の誕生日プレゼントにした甲斐があったよ。


『残念だよ』


──揺れる布が風に吹かれて、消えた。

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