追放巫女と苦労性魔族の辺境改革【長期連載版】
りょーめん
無貌の女神編
序章 追放巫女
「……『これよりこの者の身は大地に還りて、貌なき女神ラクシャラの新たな仮面となりたもう。肥沃なる土地を我らに与え、慈悲により潤したもう女神を慰める一柱となりき』……われら、われ……」
神殿から少し離れた丘の上に、歴代のラクシャラの巫女が葬られる墓がある。
弔いの神句を読み上げる私の声が途切れたのに、参列する村人たちから気づかわしげな視線が、わたしの背中に投げかけられるのが分かった。
先代の巫女ラクシャラは、棺の中で女神ラクシャラ様の印の描かれた覆面を顔に被せられて横たわっている。
わたしがこの弔いの句を詠み終えると、彼女の棺は閉ざされ、土を被せられて、もう二度とわたしがその姿を目にすることはない。
孤児で行くあてのないわたしを拾ってくれた先代の巫女ラクシャラ。
『大きなラクシャラ』と呼ぶと、微笑みながら『小さなラクシャラ』と呼んでくれた声、頭をなでるかさついた細い手。
『……『我ら、この者を女神の御手に還さん』……」
神句をどうにか詠み終えて、閉ざされる棺を見ながらわたしは耐え切れず泣いた。
泣き崩れるわたしの耳に、どこか高い木に留まっていた鴉の鳴く声が聞こえた。
〇
「お疲れ様、小さいラクシャラ様。……儀式の時は、何にもしてあげられなくてごめんなさいね」
そう言って、薬草の香りの漂うお茶を、神殿の脇の宿坊の部屋で座り込んでいるわたしの前に、村の女性が差し出してくれた。
「ありがとう、ございます」
わたしはかくりとうなだれるように礼を言った。
先代の巫女──大きいラクシャラがいなくなってしまった。
わたしは悲しい以上に、途方に暮れてしまった。
「……こんな時に言うのもなんだけれど、小さいラクシャラ様はどうするの?」
「どうするって……」
女性がわたしと目線を合わせるように身を屈めて、心配そうに尋ねた。
「十年前にまだ赤ん坊だったあなたを、大きいラクシャラ様が拾って、この神殿で巫女として育ててこれまできたけれど……」
女性は、豊穣の女神ラクシャラの神殿であるがらんとした建物と広場を見て、憂いを帯びた表情を浮かべた。
「正直……ラクシャラ様が眠っておられるこの山の神殿も、いつまでもつか分かったもんじゃないよ」
「それは……」
女性が嘆息するのに、わたしは言葉を失ってうつむいた。
わたしの仕えているこの神殿が信奉する豊穣の女神──ラクシャラの信仰は、大陸西方のこの小国〈ガルディノ〉の地で百年以上続いた伝統ある信仰だが、新しい領主──ロクト・ガルディノの代になって風向きが変わった。
ガルディノ領内の各地でラクシャラ様が祀られていた祠が取り壊され、新しい教義を起こすのだと大号令がなされたのだ。
その新しい教義に、ラクシャラの巫女は必要とされていない。
この神殿は、大きいラクシャラがこれまで村人と共に守ってきたものだけれど──
「大きいラクシャラ様は……自分がいなくなった後のことを気に懸けてたよ。小さいラクシャラ様が、どうするのかも」
「わたしは……」
ラクシャラの巫女は、神殿でその一生を終える。
でも成り行きでラクシャラの巫女となったわたしは──
その時──神殿の広場の方から何か大勢の武装した人物の足音が聞こえてきて、わたしたちははっとして立ち上がった。
──「ラクシャラの巫女はここにいるか!?」
宿坊の入り口にかかった垂れ幕の向こうから聞こえる居丈高に呼ばわる声に、村人の女性が顔色を変える。
「まさか、そんな……先代様の弔いの夜も明けない内に!?」
あまりのことにわたしたちが呆然としている内に、宿坊の垂れ幕の向こうから、重々しい具足の音を立てて武装した男たちが入り込んできていた。
ガルディノの、領主様の兵だ。
「巫女ラクシャラだな……?」
兵たちの戦闘に立っていた。兜でほとんど素顔の見えない兵士が、わたしを見下ろし威圧するように尋ねた。
「ちょっとあんたたち!ラクシャラ様の神聖な神殿で年端もいかない子供に乱暴な真似をするなんて……!」
兵士たちに詰め寄ろうとした女性を、腋に控えていた兵士が手荒く押しのけた。
悲鳴を上げて倒れる彼女をとっさに支えたわたしの頭の上で、先頭の兵が、羊皮紙の書状の印を解いて広げ、淡々と読み上げる。
「これよりこの神殿を管理する権限は、この地の領主であるロクト・ガルディノに移譲されるものとする。ついては正式な巫女の身分でなく、当神殿に居座り続ける者の訴追と追放を、領主ロクト・ガルディノの命により執行するものである」
異論をはさむのを許さない強い口調で告げられたそれに、わたしは呆然とした。
そのまま私の両脇を兵士が固めて動きを封じる。
「ラクシャラ様!」
女性が悲痛な抗議の声を上げるのに振り返ることもできなかった。
ものものしい武装の施された馬車へ、わたしは連行されていく。
近くの木の枝に留まっていた鴉が、その様子を黒く輝く瞳で見ていた。
鴉は木の枝から西の空へ飛び立っていく。自由に薄暮の空を舞うその鳥と違って、わたしは戒められ、身動きさえ許されなかった。
〇
薄暮の空に飛び立ったその鴉は、漆黒の翼を打って西の方角へと飛んでいく。
緑豊かな神殿のある山を越えて、人の住まわぬ不毛の地を眼下に、一直線に西の方角へ、漆黒の弾丸のように。
茫漠とした荒地を越えて、白波の立つ海が両脇に迫る陸橋とそこに建つ物々しい古城を越えて──
下草や灌木が風に揺れる寒々しい平原の上を、雲を切って鴉は飛んでいく。
やがてその目に、ぽつんぽつんと点在する森と集落やまばらな建造物の影が映る。
西に海を臨む岬の上。月の光に照らされる古城の上で、鴉は羽を畳み、城のバルコニーへと急降下していった。
そして──天に向けて掲げられた細くしなやかな指の上に鴉は留まる。
ゆるく曲げられた指先に留まった鴉は一声鳴き声を上げると、形のない闇に溶けて、掌の中へ消えていった。
──「……気に懸かる事がございましたか?」
バルコニーへ続く入り口に、小柄な人ならざる者の影がうやうやしく尋ねた。
バルコニーにたたずんでいた鴉の影を取り込んだ人物は、漆黒のドレスの裾を揺らしてきびすを返す。
城内へ無言のまま消えていくその人物を、小柄な影が振り返る。
「なるほど。ちょっとした工夫が必要になりますな」
小柄な影は深くうなずき、やがて主に続いて古城の内へと消えていったのだった。
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