3-3 慇懃な礼をした
「あんた本気で調べてるんだろうね」
部屋で新たに入手した缶ビールを空けながら、足元でぼりぼりと煮干しを囓る相棒に小さくない疑惑を投げかけてみた。
だが相変わらず食うのに夢中で見向きもしない。
今晩の巡回を早めに切り上げたのは、もう見回りたくないと駄々をこねた此奴の要請を受け容れてのことだ。
何よりも突然の土砂降りで臭いの一切合切が流れてしまった。
コイツの鼻といえども今夜の追跡は無理だろうと諦め、部屋に戻ることにしたのだ。
空の缶をベッドの脇に置き、もう一本いこうかと思ったがあと数時間で夜が明ける。
流石にアルコール臭を振りまきながら登校する訳にはいかない。
ぐっと我慢した。
窓の外ではまだ強い雨足が、アパートの壁と言わず路面と言わず辺り構わずに叩き続けていた。
この雨の中でもまだ見ぬアレは、この町の何処かで鳴りを潜め、じっと狩りの好機を窺っているのだろうか。
何処で得物を品定めしているのか。
どうやって人知れず捕らえているのか。
食堂は何処なのか。ねぐらは何処か。一匹なのか複数なのか。
擬態しているモノは生徒なのか職員なのか、はたまた施設や設備に見せかけた何かなのか。
何もかもが分からないままだった。
目星どころか目標の足跡すら拝む事が出来ないで居る。
これだけ正体の掴めない相手も珍しい。
少なくとも自分が手がけた事例では初めての体験だった。
「まさかあたしら、本当に見当違いで
どうにも重要なコトを見落としているような気がしてならなかった。
なのにそれが何なのかまるで見当もつかず実に腹立たしかった。
思い当たることが有るのに思い出せず、悶絶している時の焦燥に似ている。
「何かこう『オヤ』とか思うこと無い?ちょっとした違和感とかでもいいからさ」
煮干しを食い終わったデコピンは金色の目でじっとこちらを見上げたあとに歯を見せて、にいと鳴いた。
オレの役目ではない、或いは自分で考えろと言われた気がして少しむっとした。
抜き打ち実力テストの結果を待ってみるというのも、確かに一つの手だった。
稚拙な擬態なら以前の成績と付き合わせて容易く変化を見つけられる。
初期発見の常套手段と言って良い。
こういった進学校なら尚更だ。
三日後には組織経由で生徒に先駆け、一足先に内容を知ることが出来るからいちいち調べる必要は無かった。
だが正直期待薄だ。
これだけ長期間潜伏し続けているヤツが、この程度で馬脚を現すとも思えなかった。
それとも、「またナリ替わりを一匹締め上げてみるか?」
既に看破していた二、三匹を試してみたが全てが空振りだった。
ヤツらはただ空いた席に座る空き巣でしかなくて、親玉に忠誠を誓っている訳でも無いし、それが何者で何処に居ようとも知ったことではないからだ。
もう一匹増やしたところで似たような結果のような気がする。
しかし何もしないという訳にもいかない。
締め上げた後の「行方不明」がまた増えてしまうが、ソコは上司に泥を被ってもらおうと決めベッドに潜り込んだ。
「デコピン、部屋の明かり消して」
猫が壁のスイッチにダイビングする。真っ暗になるとそのまま目を瞑り眠りの淵に落ちた。
荒れ狂う雨音が妙に心地良かった。
案の定、締め上げたナリ替わりもテストの結果も空振りだった。
前者は少し前に吊した連中と同様に、見逃してやるからとっととこの町から出て行けと叩き出した。
居残らせて犠牲者の「証拠」を貪られるのも迷惑だからだ。
優先順位こそ低いものの駆除対象になっているモノなのだから、相当な温情と言えよう。
後者は更に何も無かった。
微塵も期待して無かったのだからある意味順当と言えるかもしれないが、それでもささやかな何某かがあっても宜しかろう。
そして手がかりも何も見つからないまま数日が過ぎ、また被害者が出た。
例によって騒ぐ者は誰も居ない。
順当にナリ替わりと置き替わっているのだろう。
喰われたと思しき生徒の衣服の切れ端と血痕とを見つけたと上司に報告したら、頭ごなしに無能呼ばわりされた。
やかましい、ならばお前がやってみろ、そう言いたかったのだが堪えた。
相手は弁が立つ上に生殺与奪権を握っている。
「力不足であいすいません」
素直に謝ったら奇妙な沈黙のあと、近日中に加勢を送ると言われた。
その返事に少なからず驚いた。
まさか自分の要求を憶えているとは思ってもいなかったからだ。
そしてこうも早く対応してくれるなど、未だかつて無かったことである。
「不治の病でも患っていらっしゃるのですか」
気付けばそう口走っていた。
ヒトは死ぬ間際、周囲に善行を施さねばならないと思い込み、人格が豹変することがあるという。
即死系の毒を山盛りに盛っても、その腹黒い臓物で全てを溶解しかねない上司だが、そう思えば少し憐れになった。
だがそんなあたしの温情も「たわけ」の一言で霧散して、様々な罵詈雑言の後に通話は一方的にぶつりと切れた。
ふむ、この様子ではただの杞憂らしい。
どう見てもあと百年はくたばりそうにもない感じだ。
しかし加勢と言われたがいったい誰だろう。
捜索の技術を持つ者で手空きの者は居ない筈だが。
「夏岡十里。成る程きさまか」
二日後にやって来たのは小柄な少年だった。
いや、少年の姿をしたいやらしいストーカーのシリアルキラーだ。
夜の学校に立つ、彼の手首に埋め込まれた残刑カウンターが鈍い光を放っていた。
「キコカちゃんが手こずっているというからボクが手伝いに来てあげたよ。嬉しい?」
「ああ、嬉しくって涙がちょちょ切れちゃうね」
なれなれしく歩み寄って来ると肩に手までまわしてくるものだから、素早く、そしてぞんざいに振り払って落とした。
ひゅん、と獲物の刃先が風を切る。
だが手応えはまるで無かった。
ち、避けたか。
その腕を切り落としてやるつもりだったのに。
ヤツの死角から抜いたはずの
「やだなぁ、そんな冷たくしなくてもいいじゃないか。同業同種の仲間だろ、ボクたちは」
「反吐が出るね。仕事とはいえ、あんたと一緒に居るなんてさ」
「同類嫌悪かい。いやぁ分かる分かる、ボクだって興味があるのは生きている女の子だし、死体をいじくり回すイカれ共とは一緒には居たくないもの。
ましてやその死体の頭蓋に自分の脳をねじ込むキ○ガイともなればねぇ。
嗚呼ヤダヤダおぞましい。鳥肌立っちゃうよ」
「切り刻む前に、そのよく回る口を顎ごと穴開けてワイヤーで縫い付けてあげましょうか。それとも焼きごての方が良い?」
「ああ誤解しないでね、キコカちゃんだけは別さ。ボクと同じ世界に住むボクと同じ感性の『少女』なんだから。愛しくならないはずがないよ」
言葉が終わる前に、大きな音を立てて、つい今し方彼の立っていた場所に大柄な鉈が突き刺さっていた。
刀身の半分ほどが地面に埋没している。
目標だった当の本人は数歩離れた暗がりの中に平然と立っていた。
「あんたと話してると思わず手が滑ってしまいそう。夜は短いのよ、無駄話している暇はないわ。何の為に此処に来たの、調べて追い回すのは十八番なんでしょう」
「そうだね。仰せのままに、つぎはぎ姫さま」
夜の校舎の影で小柄な少年は、うやうやしく慇懃な礼をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます