3-2 腕力勝負が得手

 猫の嗅覚は犬ほどではないにせよ相応のものがある、はず。


 それに何も引っ掛からないとすれば余程に上手く隠蔽できているのか、普段この場所で狩りをしていないのか。


 或いはもう目の前に居るというのに、それと気付かないだけなのかもしれなかった。

 ちょうど保護色で紛れる虫のように。

 何の違和感もなく日常風景として受け容れてしまうほどに巧みなのだとすれば、見つけ出すには別の手段を講じる必要がある。


「だからあたしは、探すのは得手じゃないっていうのにさ」


 愚痴を言っても始まらない。

 どうしたもんかと頭を捻った。


 自分自身を餌にするという手もあるが余りやりたくなかった。

 囮役が狩る役を兼ねるというのはどうしたって後手に回る。

 しくじる確率がうんと高くなるから前任者の二の舞を演じそうだ。

 正直それは勘弁だな、と思いながらふと目の前を歩く相棒を見た。


 コイツを餌にしたらどうだろう。


 不穏な思惑を感じたらしくデコピンはくるりと頭だけで振り返った。

 そして極めて不愉快そうな目つきで睨みつけ「にい」と鳴いた。




 昼休み、本館三階にある非常階段の手すりにもたれかかって溜息をついていたら、後ろから声を掛けられた。


「どうしたの、元気ないわね」


 肩越しに振り返って見れば担任の中野教諭だった。


「別に。腹ごなしついでに風に当たっていただけです」


 連日真夜中の学内を散策し続けているが、そのことごとくが空振りで終わって些か焦れて来ていた。

 よもやそんなことを云える筈もない。


「先生こそどうしたのですか」


「下を歩いていたら、あなたが此処に居るのが見えたものだから。嗚呼、でも確かに此処は良い風が通るわね」


 眼下にはグラウンドが一望できて、血気盛んな連中が腹ごなしにサッカーだのバレーボールだのに興じていた。

 時折裏返った歓声が聞こえてくる。

 元気なものだ。秋口とはいえ日差しはまだまだ厳しいというのに。


「何か心配事でもあるの?」


「特には。何故そう思うのです」


「何となく、かしらね。いつも一人だし今も溜息をついていたみたいだったから」


 しまったなと思った。


 少し不注意だったかもしれない。

 転入したての自分に気を掛けているのだろうが、これ以上彼女の何某かを刺激し、更なる使命感なんぞを煽ったとなれば地味に厄介。

 今まで以上に余分な気遣いが纏わり付いてくることに為る。


 今でもクラスで少し浮いているというのに、これ以上目立つのは勘弁して欲しかった。


 それとも浮いているからこそ、なのか?


「授業にはついて行けてる?困っていることとか無い?」


「問題ありません。不安や悩みもこれといって見当たりませんね」


「それならば良いのだけれど。相談事があれば聞くわ。何時でも気軽に声を掛けてね」


「ありがとうございます。成績の事ならばご心配なく。次の実力テストの結果を楽しみにしていてください」


「それは随分と心強い返事ね」


 彼女は柔らかく微笑むのだが、そこはかとない不安が透けて見えた。


「先生はご結婚なさっているのですか」


「いいえ独りよ。何故そう思うの」


「何となく、ですかね」


 返事をしながら自分でも妙だなと思った。

 何故そんなことを訊いたのだろう。

 左手の薬指にリングが無いことは初対面の時に気付いていた筈なのに。


 五限目の予鈴が聞こえてきてあたしは手すりから離れ、彼女もそうした。

 そして非常口のドアを開けると、そのまま校舎の中へと吸い込まれていった。




 邑﨑むらさきキコカはいま食後の団らんの輪の中に居た。


 クラスの女子に一緒に昼食はどうかと誘われて、そのまま仲間に入ったのだ。


 夜の巡回は仕事なので納得はいくが、このような昼間のクラスメイトとのコミュニケーションというのは煩わしくて辟易する。

 だが孤立していると彼女に目されればまた面倒くさいことになってしまう訳で、当たり障りの無い話題をやり取りして場を濁した。


 今気になっているテレビドラマがどうの、ネット配信の動画がこうの、あの俳優が良いの悪いの見たい映画が有るだの無いだの、どうでもよい話題が目白押しだ。


 出来れば周囲のクラスメイトの近況や、友好関係で挙動不審な者が居るとか、学内での怪しげな噂などそちらの方が余程に聞きたいのだが、むやみやたらと訊ねるのは危険だ。

 今度はどこそこの男子に気があるのか、などと、そんな話になってしまって無駄な時間を浪費する羽目になりかねない。


 それともコレが大切な情報収集源にでもなると言うのだろうか。


 いや、きっとなるのだろうな。

 この手のやり取りで生徒たちから違和感を吸い上げて、地道に目星を付けてゆくのだと聞いた事があったからだ。

 確か前任者が得意としていた手法だ。


 おい、くたばる前にあたしに二言三言伝授してくれても良かったのではないのか。


 天空に理不尽な要求を突き付けていると、「邑﨑むらさきさんは以前何処に居たのか」と訊ねられた。

 普通の公立高校だと言ったら酷く驚かれた。

 著名な進学校からの転入だと思われていたらしい。


「中野せんせーから凄く転入試験の結果が良い生徒が入ってくるから、と聞かされていたのよ」


 お互いに切磋琢磨してねとハッパをかけられたらしい。


 こういうのは進学校ならではなのか。

 それともあの担任が熱心なだけなのか。


 教師間ではクラス同士で平均点の優劣を競っているという話も聞くし、二年生以降には特待クラスという高偏差値の生徒を集めた、難関大学受験専門の学級もあるらしい。

 成る程此処は筋金入りだ。


「ここの先生は皆そんな感じなの?」


「まぁそうかな」


「そんな感じ、そんな感じ」


「なかのーはオマケに潔癖症だしね」


「よくあちこちにコスメの臭い消し吹きかけてるよね」


「確かに今年熱いしね。シャツの臭いとかがね」


「あたしは剣道部だから気持ちは分かる気がする。

 防具のあのヌメっとした肌触りと装着感。

 筆舌に尽くしがたいあの臭い。

 脱いだ後なんてそれこそ消臭剤に漬け込んで、自分自身や触ったもの、そこら中にスプレーしまくりたくなるもの」


「防具だけでいーぢゃん」


「自分の触れたドアノブだの、手すりだのが臭うとか言われたくないでしょ。あんたたちそんな経験無い?」


「そりゃあんたが神経質なだけだって」


「なかのーとは気が合うものね」


「みんな自分のこと棚に上げてるでしょ」


 箸にも棒にもかからない会話である。

 こんな話にいったい何と返せば良いのか、とんと見当が付かなかった。

 そもそも、この学内に蔓延している臭いのことを思えば物の数ではない。

 君たちは腐って鼻持ちならぬ異臭の中で学園生活を営んでいるのだと、そう教えてやったらどんな顔をするのだろう。


 やれやれだ。


 非常階段での中野教諭とのやり取り以来、最近は迂闊に溜息をつくことも出来やしない。


 そもそもあたしは、こういった他愛の無い話題からそれとなく探りをいれるなどという器用な芸当は不得手で、得物片手に力尽ちからづくで相手をねじ伏せるといった腕力勝負が得手なのだ。


 指南してくれる相手が居たら多少は違っていたのかも知れない。

 だが、いつまで経ってもこちら方面は不器用なままで上達しなかった。

 むしろ面倒くさいと投げ出して、やる気が出ていないのもその理由だろう。


 そもそもあたしは解体担当であって調査員じゃないのだ。

 適材適所という言葉が有るだろうその辺りをもう少し深く考えてみろと、若干言葉尻を柔らかくしてスマホ越しに上申を繰り返すのだが受け容れられた例しがない。


 まったもってやれやれである。

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