第5話「職人の手」
私のための工場が完成するまではまだしばらくかかると言うことで、ヴィクターは私たちをすでに稼働中の工場へと案内してくれた。
少し離れたところからでも大きくみえな工場は、間近に寄るとそのサイズが更に如実になる。これひとつでもそこらの貴族の屋敷くらいはありそうな、立派な工場だ。
「ここは
「緑光石!? 蒸気機関に一番大事なものじゃないですか」
さらりとヴィクターが口にした言葉に思わず飛び上がる。彼に促されるまま工場の中を覗き見ると、家一軒分はありそうな大釜で大量の石が溶かされていた。灼熱の炎で溶解したそれは、ベルトの上を流れる金型へと注ぎ込まれ、冷やされる。そこから強い圧力を加えて鍛えられ、生まれるのが
実のところ、トリセンド家が成功したのは蒸気機関の技術ではない。この緑光棒という超密度のエネルギーを含有した物質を用いる技術こそが世界を変えた。
今の社会で蒸気機関と言うと、もっぱら緑光棒を搭載したもののことをいう。私が作った二輪車も、人差し指ほどの大きさの緑光棒を装填することで動く。緑光石の力と、蒸気機関、これが合わさることで、絶大な力を発揮するのだ。
蒸気機関の要と言ってもいい緑光棒の生産はトリセンド家が独占している。その精錬技術も全て一級の重要機密になっているはずだ。だからこそ、この敷地内にある工場で一元的に作っているのだろう。
「うわぁ、あんなに大きな緑光棒は初めて見ます」
工場の中では、さまざまなサイズの緑光棒が作られている。人差し指サイズのものでも、二輪車を一週間は余裕で走らせるだけの力を秘めているのだけど、そこには私の身長を超える柱のような緑光棒もずらりと並んでいた。
「あれは空中戦艦用だね。巨大な鉄の塊を浮かそうと思えば、あれくらいは必要になる」
「空中戦艦……」
緑光棒の登場で蒸気機関が脚光を浴び、世の機械は大きく発展した。空を飛ぶ巨大な要塞、空中戦艦もまたそのひとつだ。まるで島ひとつをそのまま飛ばすかのようなあの重量感、たしかに並大抵のエネルギーでは叶えられそうもない。
あんなものを作れと言われても流石に無理だ。私は、人ひとりで扱える程度のものしか作れない。
「旦那、その方は?」
緑光棒の大きさから蒸気機関の雄大さに思いを馳せていると、工場の奥から野太い声がした。意識を目の前に戻すと、汗だくで日に焼けた屈強な体をあらわにしたいかにも職人然とした男性が立っていた。
「ゴルドー、ちょうど良かった。彼女はシャーロット、俺の結婚相手だ」
「ああ、この方が……」
恭しく一礼すると、ゴルドーは納得した様子。事前にヴィクターから聞かされていたらしい。
「シャーロット、この男はゴルドー。うちの主任技師だ」
「主任技師!?」
思っていたよりもずいぶんと偉い人だった。ヴィクターとも親しげにしているあたり、確かにそんな雰囲気はある。
主任技師ということは、トリセンド家の製品を統括する責任者だと思っていいのだろうか。
「TSFのゴルドーだ。っと、すまんな、手が汚れてる」
屈強で髭面の大男ゴルドーは、そう言って作業着で手を拭う。とはいえ、作業着自体が使い込まれてかなり年季の入ったものだ、多少拭った程度では意味もない。
「構いません。経験の深い職人の手ですね」
「お、おう」
ゴルドーの手を取る。ゴツゴツとした皮の厚い手だ。金属を叩き続けてきた、歴史を感じさせる。思わずその手を掴んだまま惚れ惚れと眺めていると、横でヴィクターがコホンと空咳をした。
「シャーロット、俺の手の方が綺麗だと思うんだが」
「ええ……」
何を張り合っているんだろう、この人は。
ヴィクターが広げて見せた手は傷もアザもない真っ白なものだ。白魚のような、というのはこういう指のことを言うのだろうか。手に優劣をつけるつもりはないけれど、やっぱり私としては熟練の職人の手に敬意を抱いてしまう。
「お嬢様、あまり男性の手を握ったままというのは……」
「ああ、それはそうね。ごめんなさい」
リファに囁かれ、慌ててゴルドーの手を離す。彼はむず痒そうな顔をして、しきりに手を動かしていた。
「ああ、そうだ。今建てている工場はシャーロットに預けることになった。ゴルドーも手伝ってやってくれ」
「はぁっ!? 旦那、それは本気なんですか!?」
さらりと言い放ったヴィクターにゴルドーが目を向く。私の方を見て、信じられないと首を振った。
「ちょいと変わったところはあるみたいだが、貴族の娘だろう。機械をいじれるようには見えないですぜ」
今の私は窮屈なコルセットでお腹を締め付け、レースが重ねて飾られたスカートという姿。頭のうえには重たい帽子を乗せて、白い手袋まではめている。リファによる徹底的な化粧もあって、どこからどう見ても貴族令嬢といった風貌だ。
ゴルドーはそんな私を見て、機械のきの字も知らないような娘だと思った。というか、それが普通の反応だろう。いくらヴィクターの嫁となったとはいえ、工場を一つ与えられるというのはまた別の話だ。
けれど、私はそんなゴルドーの言葉が少し癪に触った。
手袋を外して、彼の前に手を差し出す。
「私も、少しは心得があるつもりです。本職のゴルドー様には遠く及ばないとは思いますが」
「なっ、この手は……」
彼も職人だからこそ、私の手を見ればすぐに分かる。貴族の令嬢としての教育を放り出して工房に籠っていたのだ。普通なら、ヴィクターがそれを理由に縁談を蹴ってもいいくらいに、ゴツゴツとした手になっている。
「少し前に持ち込んだ、蒸気駆動二輪車があっただろう」
「ああ。あれはすごくいい出来でしたが……。もしかして」
「シャーロットが作ったものだよ」
私が作った二輪車は前もって屋敷まで運ばれていた。それをヴィクターはゴルドーにも見せたらしい。髭面の男は今度こそ信じられないとこちらをまじまじと見つめる。
そんな二転三転する彼の反応に、なぜかヴィクターが鼻高々といった様子だった。
「これからよろしくお願いしますね、ゴルドー様」
そう言って、改めてお辞儀をすると、ゴルドーは唖然としたままコクリと頷いた。
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