僕が愛した君の嘘

紫陽_凛

雪の降る僕の街(1)

 僕の朝は、雪の重みを感じるところから始まる。


 その年は奇跡的な豪雪だった。

 僕は毎朝、母と二人で雪寄せをしなければならない。深夜から朝方にかけて、ゆっくりと除雪車が通っていった後には、巨大な雪の塊が落ちているから、それを退けないといけないのだ。

「また夜更かししたでしょう、あきと」

 目の下、隈がひどいよ、と母が言う。僕はむっとして言い返す。

「母さんには関係ないだろ。……遅くまで勉強してるんだからほっといてよ」

 それを言うと、母は黙る。僕はここ数年の傾向からそれを知っている。

 半分本当で、半分は嘘だ。

 僕は昨晩も教科書と参考書とスマホの画面のSNSを往復していて、高校で教えてるようなことには全く興味が無かった。ただ「通わされてるから通う」だけ、消化試合だ。

「いいけど、学校で寝ないでよ」

「わかってるよ」

 僕の息は上がっている。せわしなく運動をした後の身体は火照り、冷気に晒され続けた頬だけが痛い。

 僕はささっと雪を払って、学校に行く準備を整えるために家に戻る。そして母は、車を温めていた父に合図を送る。



『今日の雪かき任務完了、毎日のことながら疲れる』

 脳から直接絞り出したみたいな独り言は、SNSの早朝の穏やかな凪の中に流れていく。スマホをフリックし終えた僕は、机の上に出しっぱなしの英単語帳とノートとペンケースとを鞄に放り込み、またスマホを見る。早くもレスがついていた。

『アッキー、ムキムキになっちゃうね(笑)』

 「桃うさぎ」さんからだ。

 僕の頬はきっとだらしなく緩んでいて、人から見れば気持ち悪いに違いない。即座にレスをつける。――昨日もこうやって、三時ころまで起きていた。


『雪は重いだけで筋肉には効かないんだなぁこれが』

 レスの画面の下部、ハートマークのところに、1と数字が入る。桃うさぎさんがつけたものだ。確認しなくともわかる。『私の「いいね」は、読んだよーって意味です(笑)』と以前言っていたからだ。

 桃うさぎさんは宮城県S市に住んでいる成人済みの女性で、仕事終わりによく一人でビールをのみ、煙草を吸いながらくだを巻く。『人生なんてね、人生なんだよ!』みたいな中身のない投稿から、『世の中頭おかしい人間しかいないんだよ、世の中って意外と狂ってるやつが回してる……私とか』みたいな、僕の見たことないような角度から人生訓みたいなのを投稿している。

 狂ってるやつが回してるその世の中ってやつに、僕は触れたことがない。――触れられない、と言った方が正しいか。


 ここは世の中から切り離された場所にある。

 テレビで言ってる日本はつまり「東京」のことだし、大概の人が思い描くもののたいていが東京にある。宮城県S市は、東北のド田舎に住んでいる僕にとって唯一近い「都会」だ。

 そして宮城県は、遠い。

 

『桃うさぎさん、今日は会社休みですか』

『正月休みで帰省中。アッキーは学校ご苦労様(太陽)』

 ぼくはすかさずいいねを押す。

『いってきます』

 僕はスマホをコートのポケットに突っ込み、ついでにその手も突っ込んだ。手の中で震えたスマホを確認して大きく息をつく。白い息がふうっと朝に溶ける。

 そして僕は宮城県のどこかにいる桃うさぎさんのことを考える。きっとそこには雪のない景色が広がっている。宮城に雪は降るだろうか。

 今度聞いてみようかな、と僕は思う。



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