第16話 こってり濃厚ダンジョン
「あの……ダンジョンは?」
思わず疑問が漏れる。
会議の後、俺たちは空澄さんと共に変異神域が出現した葛飾ダンジョンへとと向かった。はずだった。逃げた女神ネメシスを捜索するため、ステンノとの契約を果たすためダンジョンに潜るはずなのだ。
だが俺の目の前に広がっているのは丼の上にそびえたつ野菜の山。下には濃厚なスープと共に麵の土台が沈んでいることだろう。
いわゆる家系と呼ばれるラーメンを前に固まっている俺たちの隣で空澄さんが何事もなかったかのように豪快に麺をすすっていた。
俺たちがいるのは人通りの少ない路地裏に面したラーメン屋。店の中にも店の外にも俺たちと店主以外の人間は見当たらない。
「豚骨ラーメンは嫌いですか?」
「いえ、そういうわけではないんですけど……」
「麺伸びますよ?」
「一ついいですか」
「何でしょうか」
「これからダンジョンに行くんですよね?」
俺の箸を止めているのはたった一つの疑問だけだ。激しく身体を動かすことになるダンジョン攻略において直前にたらふく食事をするというのは身体を重くしベストパフォーマンスを出せない一因となる。
それなのに空澄さんはラーメン屋に立ち寄った。何かわけがあるはずだろう。
麺を飲み込みコップから水をあおると空澄さんはようやく話し始めた。
「もうダンジョンにはいきませんよ」
「え? 本当にただラーメンを食べに来ただけ?」
「腹が減っては戦も探索もできませんから、このダンジョンはラーメン屋が入り口になっているんですよ」
空澄さんと店主の目が合う。
店主は無言のまま頷くと俺たちの真後ろを指さした。
「そんなファンタジーな……」
ガラス戸から見えるのは路地の向かいの空き地にぽっかりと空いたダンジョンの入り口。
「ここが今回、変異神域が出現した葛飾ダンジョンです」
絶句している俺らには目もくれず空澄さんはまた麺をすすり始める。
「食べないと伸びますよ。食事を粗末にしてはいけませんからね。早めに食べるのがよろしいかと」
「ケイくん? おいしいから早く食べたほうがいいよ?」
リスみたいに頬を膨らませたエリーが無邪気に首を傾げた。
さっきから黙っているなとは思ってたけど普通にラーメン食べてたのか。
この状況に疑問が浮かばないのは正直精神衛生上うらやましくはある。
俺も言いたいことはまだあったがあきらめて目の前のラーメンの討伐に取り掛かった。
☆
「さて腹もふくれたことですし変異神域に取り掛かることにしましょう」
「やば……腹パンパン……」
予想以上にふくれた腹をさすりながら空澄さんの後についていく。
スーツに革靴なのに空澄さんは凹凸の激しい下り坂でも満腹の身体では追いつけなくなりそうなくらいの猛スピードで下っていく。
「配信してもいいですよ。私もギルド公式チャンネルを任されているので心得はあります」
「ギルドに公式チャンネルってあるんですね」
「ええ。主に組合の勧誘とダンジョン情報の発信だけですが」
そう言いながらも俺たちはほとんど駆け下りるようにダンジョンを下っていく。
「さてここからです。準備は良いですね?」
「大丈夫ですけど……空澄さん、武器は持たないんですか?」
「ええ。サラリーマンに似合う武器などありませんから」
空澄さんはネクタイを緩め、Yシャツの袖のボタンを外すと神域内部へずんずんと進んでいった。
あんな真面目そうな人でも似合うかどうか気にするんだな。
俺たちも配信冒頭のあいさつを済ませ神域へと足を踏み入れた。
「この神域の合言葉は『こってり濃厚』です。足元に十分気を付けてすすんでください」
「そんな合言葉だからさっきラーメン食べたんすか……」
それだったら食べたことに後悔するくらいにはお腹が苦しい。
「いえ、ラーメン屋なのはあの店主の意向ですよ。味はダンジョンに寄せたようですが」
軽口をたたきながら神域中心部に向かって歩いていく。
初めは気にならないほどだった霧が奥に行くにつれその濃度を増していき目の前すらも認識できないほどにまでひどくなっていった。
「この霧には注意してください。魔力が含まれているので気配を探ろうにもうまくいきませんから」
そう言った矢先、空澄さんの身体が宙に浮く。
「ほらこのように」
「そんなこと言ってる場合ですか!!」
彼を吹き飛ばしたのは小型のイノシシの大群。
「ベビーモスですね。どこかに親がいるはずです」
「連れ去られながらよく冷静でいられますね!?」
空澄さんを背中に乗せたベビーモスたちはわき目も降らず一心不乱に濃霧の中を爆走していった。
「がんばって追いかけてください」
アキレウスに喚装し、エリーを担ぎベビーモスに並走する。
「親のベヒーモスが神域のボスでしょうね」
「こいつらを、追っていけば、親の元に着くってことですねっ!!」
「ええ。このように」
ベビーモスの背中から飛び降りると空澄さんが濃霧に向かって回し蹴りを放つ。
「『払霧』」
薄まった霧の奥で丸まっていたのは装甲のような毛皮に身を包んだ身の丈以上の大きさのイノシシだった。
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