食べてしまいたいほど、きみが好き8
肌を撫でられるだけで顔が熱くなる。事後の甘い雰囲気も相まって頬が真っ赤になっているに違いない。
「ほんと、アールンは可愛い」
「ガル、」
「可愛くて優しくて、そして強い」
「ガル、もぅ、いいから」
まるで愛でるような手つきに恥ずかしくなってきた。そのうえ何度も「可愛い」なんて言われたら気恥ずかしくて居たたまれなくなる。
まだ日が落ちる前にベッドに入ってから、どのくらいの時間が経っただろうか。言葉じゃ言えないほどのことをした後だというのに、撫でられながらエバーグリーンの眼で見つめられると再び体の奥に燻るような熱が灯りそうになる。
「んっ」
最中に何度も噛まれた肩を、また噛まれた。甘噛みとはいえ本当なら痛いはずなのに、なぜか気持ちよさが上回って甘ったるい声が漏れる。
「なんか俺のものって感じがして何度でも噛みたくなる」
「んぅっ」
耳元でそんなことを囁かれて首が粟立った。あらぬ感覚が蘇りそうになり、慌てて目を閉じる。
「それに、やっぱりいい匂いがする」
クンクンと首の辺りを嗅ぐ気配がした。体臭を嗅がれるなんて恥ずかしすぎると思っているのに、なぜか気分が高揚してきて身震いしてしまう。そんな僕の様子に喉の奥で笑ったガルが、顎に鼻先を寄せてからのど仏をペロリと舐めた。
不意に深い森の匂いがしたような気がした。闇夜に同化する森の景色が脳裏に浮かび上がる。そんな僕の瞼にうっすらと光が当たった。ゆっくりと目を開けると、満月を浴びているガルの銀髪がキラキラ光っている。
(やっぱり綺麗だな)
ぼんやりとそんなことを思いながら見つめているとガルの眉が寄るのがわかった。どうしたのだろうとさらに見つめると「チッ」と舌打ちする。
「ガル?」
「ごめん」
「え?」
謝られた意味がわからず首を傾げた。そんな僕を月光を反射するエバーグリーンの眼がギラギラと食い入るように見つめる。
「ガル?」
「大丈夫だと思ってたけど……ちょっとまずいかもしれない」
眉を寄せているガルの髪がふわっと広がった。気のせいでなければ少しずつ伸びているような気もする。
「ガル、どうし……っ」
急に二の腕に痛みが走って言葉が詰まった。何事かと思って視線を向けると、やけに太い指が僕の肩をがっしり掴んでいる。普段のガルの指とはまったく違う太さで、しかも人のものとは思えないほど爪が鋭く尖っていた。
「ごめん」
「ガ、」
名前を呼ぶ前に左肩にがぶりと噛みつかれた。「ひぃっ!」と大きな悲鳴を上げてしまったのは、これまでよりずっと強く噛まれたからだ。噛まれている感触もいつもと違うような気がする。
(これって……もしかしなくても、牙なんじゃ)
ズクッと鋭い痛みが走った。間違いない、これは牙の痛みだ。小さい頃に一度だけ大蛇に噛まれたことがあるけど、そのときとよく似ている。
(でも、ガルにはそんな牙はなかったはず)
何度も噛まれてきたけどこんなふうに感じたこともない。それなのに、いまは食い千切られるんじゃないかと思うくらいの痛みを肩に感じた。
「ガ、ル」
うわごとのように名前を呼ぶと、さらに深く噛みつかれた。あまりの痛みに「ぃっ!」と声を上げた瞬間、背筋を痺れるような何かが走り抜けた。ぞくぞくっとした寒気にも似たものが何度も背中を駆け巡る。そうして最後に感じたのは、すっかり慣れてしまった頭が弾けるような感覚だった。
「なん、ぁあ……っ」
声を出そうと口を開いた途端に高い声が漏れた。それでようやく快感を得ていることに気がついた。そのことに驚き、痛みと快感が体の中でごちゃ混ぜになっていく感覚に全身を震わせる。息が苦しくなって必死に顎を上げたものの、口を開けてもうまく呼吸ができない。
「はぁ、はっ、は、は、」
「ごめん」
謝る声が二重に聞こえた気がした。こめかみをドクドクと流れる血の音がうるさい。そう思いながら何とか視線を向けると、すっかり別人のような姿になったガルが目に入った。
短髪とは言いがたい銀の髪が肩や腕を覆っている。まるで整えられていない髪の毛は粗野にしか見えないはずなのに、雄々しいガルによく似合っていた。それよりも目立っていたのが真っ赤に染まった口元だ。ベロリと唇を舐める舌と、端のほうに尖ったものがちらりと覗く。
「今夜が満月だって忘れてた。興奮しすぎて、ちょっと抑えられなくなった……肩、痛かっただろ」
「んっ」
噛まれたところをベロリと舐められて鋭い痛みが走った。痺れて指がうまく動かせないということは相当な力で噛まれたということだろう。
「ごめん。……やっぱり怖いよな」
ガルの寂しそうな声にゆっくりと頭を振る。「大丈夫だよ」と伝えたくて、右手を伸ばし僕の血で濡れているガルの口元を拭ってやった。
「怖くなんか、ない。それを言うなら、人狼のガルだって
「怖くなんてない」
「じゃあ、僕と同じだ」
掠れた声で途切れ途切れにそう答えながら微笑むと、ガルが口元を拭っていた僕の指を噛んだ。肌を傷つけない甘噛みにゾクッとした快感が走る。
「興奮するとどうしても噛みたくなる衝動を抑えられなくなる。満月だと狼に戻りかけることもある。とくに今日は久しぶりだったから抑えられなかった」
「それって、もしかして僕を、食べたくなるってこと?」
「そうじゃないけど……よくわからない。たぶん人狼の本能だと思う」
「そっか」
ふと、ガルに食べられたらどうなるんだろうと考えた。大きな狼のガルになら、あっという間に食べ尽くされそうな気がする。
(それもいいかもしれない)
食べられてしまえば、この先もガルとずっと一緒にいられる。こんなことを言えば以前のように眉を寄せるだろうか。それとも困った顔で笑うだろうか。
(でも、そう思うくらい僕はガルが好きなんだ)
何もかもが混じり合って一つに溶け合いたいほどガルのことが好きでたまらない。
「好きだよ、ガル」
「……急にどうしたんだよ」
照れくさそうなガルの声に思わず笑いそうになった。唇を撫でていた右手をガルの首に回し、引き寄せるように抱きしめる。左肩はまだ痛いけど、こうして密着しているとホッとした。
(僕も噛んでみたい)
なぜか突然そんなことを思った。ゆっくりと口を開き、すぐそばにあるガルの肩にかぷりと噛みつく。途端にガルの体がビクッと震えたのがわかった。
「アールン」
「ごめん。僕もガルみたいに噛んでみたいって思ったんだ」
少し体を離したガルが僕を見下ろしている。顔全体が影になっているから表情まではわからないけど、僕の名前を呼んだ声は少し怒っているように聞こえた。
「ごめんってば」
もう一度謝ってみたもののガルの返事はない。人に噛まれるなんて人狼の自尊心を台無しにしてしまったのかと思い、「あの、ほんとにごめん」と続けた。それにため息をついたガルが「そういうところだよ」と言葉を返す。
「ガル?」
「噛みつくなんて、最上の求愛だって知らなかったんだろうけど」
「きゅう、あい」
「そういうところがガバガバだって言ってんの。魔女なのに不用心すぎる。しかも可愛いし」
「あの、」
「いまのはアールンが悪い」
「ガル、ちょっと待って、」
「聞かない。煽ったのはアールンだからな」
「ガル、」
「そうだ、いっそのこと夜通し気持ちを確かめ合うってのもいいかもな」
そう言って僕をきつく抱きしめたガルが肩をべろりと舐めた。それだけで僕の口からは甘い吐息が漏れてしまう。
「アールン、可愛すぎ」
「なに、言ってんのさ」
「それにさっきみたいに噛みついてくれると、アールンだけの雄になった感じがして嬉しい」
ニヤリと笑ったガルに、息ができないほどの口づけをされた。
この日、僕は文字どおり足腰が立たないくらいガルに抱き潰された。何度も左肩を噛まれたし、噛まれるたびに信じられないくらい気持ちよくなった。あまりの快感に頭が沸騰してしまったのか、僕もガルの腕や手を何度も噛んだ気がする。
目が覚めたとき、口の中に鉄臭いものを感じて驚いた。まるで僕まで人狼になった気がして頭を抱えそうになる。同時に腹の奥から沸々とした高揚感がせり上がった。
(食べてしまいたいくらいガルのことが好きってことかぁ)
食べられたいくらい好きだし、食べてしまいたいくらい好きだ。僕はまだ少し痛みが残っている左手を伸ばし、隣で眠るガルをギュッと抱きしめた。
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