食べてしまいたいほど、きみが好き7
くいっとお茶を飲んだガルがカップをテーブルに置いた。そうして再びじっと僕を見る。思わず視線を逸らしかけて、それじゃ駄目だと踏みとどまった。
ガルの顔を見るのが怖い。でも、目を逸らすわけにはいかない。僕はいろいろ理解したうえで
そう思いながら膝に乗せた両手をギュッと握り締める。それでも小刻みに震えるのを止めることはできなかった。
(ガルは知っていてこの森にいたんだ)
鉄の森は人狼にとって恐怖と悪夢の地だ。鉄の森でなくなって随分経つけど、だからといって人狼の憎悪が消えるわけじゃない。
それなのにガルは僕と一緒に森に住み、さらに僕と関係を持った。好きだと言い使役契約を結びたいとまで言ってきた。森のことを知っていたのにどうしてそんなことを言ったんだろう。
(ガルは本当に偶然この森にやって来たんだろうか)
ふと、そんなことを思った。たしかに赤い二人の魔女は手強い。手負いなら逃げることに必死だったとしても不思議じゃない。それでも入ってすぐにここが呪われた森だと気づいたのなら、手当を受けてから逃げればよかったはずだ。そもそも「いい匂いに引き寄せられて」というのもよくわからない。
(もしかして復讐しようと考えたとか……?)
思い浮かんだことにハッとした。それなら納得がいく。ヤルンヴィッドの森のことを知っているなら、いまも
ヤルンヴィッドの森は人狼を排除しないからガルなら簡単に侵入できる。エルダーの木がもっとも警戒するのは魔女で、人狼の憎悪を宿した木々はガルを止めたりしないだろう。もし復讐の果てに僕が殺されたとしても、森は僕の血肉さえあればオークの木々を使うことができるから問題ない。
(それに、僕が死んだらばあちゃんが気づくだろうし)
そしてすぐに次の
「アールン」
呼ぶ声に手が震えた。
「何か勘違いしてるみたいだけど、俺はあんたのことを恨んだり憎んだりしたことはないからな?」
「……そんなの嘘だ」
「なんでそう思う」
「
「エルダーの木のことか。まぁ、何となくそんな気配は感じてたけど」
やっぱり気づいていたんだ。
「それだって、この森をほかの魔女から守るためだろ? そのためにあんたが森と契約してるのも知ってる。
「どうしてそのことを……」
「森の獣たちに聞いた。あいつら本当にお喋りなんだよ。しかもみんなあんたのことが大好きときてる。恋人の俺に『舐め回したいくらい好き』なんて言う山猫もいるんだからな? 兎なんて『こっちは囓りたくなるくらい好き』とか言いやがって、喧嘩売ってんのかって何度切れそうになったことか」
「……ええと、よく、わからないんだけど」
そう答えるとガルが「はぁ」とため息をついた。
「森の連中は、みんなあんたを好きだってこと。エルダーの木もオークの木も同じなんじゃないか? 契約上、あんたを守ることができないから心配でしょうがないってふうに俺には感じられる」
「そんなはず、」
「あるからな? そもそも人狼をあれこれしてたのはあんたじゃないだろ。人狼を引き寄せてしまうこの森を悪用されないようにって、あんたやあんたのばあちゃんは必死に守ってきた。森だって百年以上もそんな姿見てれば心変わりする。しかもアールンは可愛いし」
「……最後のは関係ないと思うけど」
「関係ある。可愛いのにガバガバなんだから森だって心配になる。俺はもっと心配してる」
気がついたら涙が滲んでいた。ガルに申し訳なくて、こんなに好きなのに何も言えず隠していた自分が情けなくて涙を堪えながら俯く。
「泣かしたいわけじゃないんだけど」
「……ごめん」
肩を抱き寄せられた。僕よりがっしりした肩に額を当てながら、もう一度「ごめん」と謝る。
「何で謝ってんの?」
「いろいろ黙ってて、ごめん。本当は真っ先に鉄の森のことを言わなきゃいけなかったのに、どうしても言い出すことができなかったんだ。ガルは自分が人狼だって最初に教えてくれたのに、僕は森のことも自分のことも隠し続けた」
「別に気にしてない。それに、好きな奴に嫌われるかもしれないことなんて言えなくて当然だろうし」
「……え?」
驚いてそっと顔を上げた。
「それって、最初から僕の気持ちに気づいてたってこと?」
エバーグリーンの眼が肯定するように僕を見ている。
「え? いつから? なんで気がついたの?」
「ガバガバだから? っていうか、手当してもらってるときから手つき、ちょっと変だったから」
「変って……」
「変だった。何度も包帯を落とすし、そのたびに顔見れば真っ赤になってるし」
「……嘘だ」
「俺はあんたに嘘はつかない」
まさか自分がそんな顔をしていたなんて思わなかった。それじゃあ「あなたに一目惚れしています」と言っているようなものじゃないか。
「あんたが
「なんでそんなこと、」
「追い出すならそれまでだし、追い出さないなら手を出してもいいかなと思って」
「……え?」
「だって、あんたからすごくいい匂いがしたんだ。ずっと探してた匂いだった。それにあんな据え膳、食べないほうがおかしい」
「据え膳って」
「言っただろ? この森に来たのはいい匂いに引き寄せられたからだって」
「それって森の香りのことでしょ?」
「違う。手当てしてくれたとき、いい匂いの原因がアールンだってすぐにわかった」
「僕が原因?」
僕は薬の調合をするから香水の類いはつけない。香水や媚薬を作るのが得意な魔女なら別だろうけど、そういう匂いが僕は少し苦手だった。それなのに僕から何の匂いがしたというんだろう。
「あんたが匂いの主で心底嬉しかった。内心、怪我してよかったとも思った。アールンから離れなかったのは、このまま丸め込んで食べてやろうって下心があったからだよ」
「なんだよ、それ」
「だって、俺の番になる奴が俺に一目惚れしてるって気づいたら絶対に離したくなくなるに決まってる。当然興奮もした。あんたの気持ちはわかったし、それならあとは早く自分の番にするだけだって思うのが普通だろ?」
「つがいって、何言ってんのさ」
「人狼は匂いで自分の番を嗅ぎわけるんだ。これは生まれながらに持つ本能だから絶対に間違わない。アールンは間違いなく俺の番だ」
頬に触れるだけの口づけをしたガルが自信たっぷりに笑っている。
「アールンは俺が森を嫌ってるんじゃないかって思ってるみたいだけど、その逆だからな? この森はあちこちにアールンの匂いが漂ってる。オークから一番強く匂うけど、エルダーからも匂う。そんな森を嫌うわけがない。そもそも昔のことは俺にもアールンにも関係ない。俺はアールンが好きだし、アールンの匂いがするこの森も気に入ってる」
優しく笑うエバーグリーンの眼に、涙がポロッとこぼれ落ちた。涙と一緒にあれこれ考えていたことまでポロポロと崩れ落ちていく。そうして最後に残ったのはガルへの揺るがない僕の想いだった。
「ガル、僕はガルが好きだ。ずっとそばにいたいって願うくらい好きなんだ」
「知ってる。それに俺も同じこと願ってた。だから使役契約したいと思ったんだ。そうすれば何があってもアールンと離れずに済むからな」
「……そういう意味だったんだ」
「俺たち、やっぱり相思相愛だな」
「うん……」
小さく頷いたら、また抱き寄せられてますます涙が出そうになる。「嫌われなくてよかった」とホッとしていると、急に肩を掴まれて胸から引きはがされた。
「ガル?」
「せっかく気持ちを確かめ合ったんだから、次は体だよな」
「え?」
「ひと月以上もお預けされて、いい加減俺の息子も腐り落ちそうだし」
「俺の息子……って、ガルっ!」
「おっ、意味わかったんだ。じゃあ、早速ベッドに行こっか」
「ちょっと、まだ駄目だって」
「傷は完全に塞がった。痛みもない。アールンの増血剤のおかげで血も十分足りてる。むしろ多すぎて吹き出しそうなくらい俺は元気」
僕の手をしっかり掴んだガルがズンズン歩いて寝室のドアを開けた。
「ってことで、相思相愛を体でも確かめ合おう?」
抱き寄せられ耳元で囁かれた僕は、情けないことに腰が砕けて自らベッドに座り込んでしまった。
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