108話 運命のカウントダウン

 初めは争って窓が割られたのだと思っていたが、アキの視界には拓以外の人物は見当たらない。それは即ち全てが終わったという証であり、ふたりともという悲しい事実だった。涙が込み上げそうになりながらもアキは気丈に振る舞う。


「よかった。生きててくれて安心したわ」


「すごいタイミングで来るんだな」


 笑顔でいるはずなのに、アキの目からは拓が泣いているように見える。そして、右足のズボンが赤黒く変色していることに気がつく。


「拓っ……その足」


「ああ、撃たれちゃってさ。もうほとんど動かないんだよ」


 情けないと笑う拓があまりにも痛々しくて、アキは咄嗟に駆け寄り抱き締めた。張り裂けそうな心を我慢して押さえ込むのはここで限界を迎える。拓の温もりを感じながら、アキは素直な言葉を漏らした。


「ひとりにしてごめん……ありがとう、生きててくれて」


 泣くことに堪えているのか、少しだけ拓の肩が震える。


「それよりも何してたの? 早く下に……あっ」


 逃げることが出来なかったのだと分かり、アキは言葉を切った。


「あの窓は拓が割ったの? もしかして」


 一瞬変な想像が過り、アキは慌てて相手の顔を見る。拓は否定するように頭を左右に振った。


「そんなんじゃない。アキが思ってるのとは違うよ……これは俺なりに考えた生きる道筋だ」


 拓は風が吹き込む窓へと目を向ける。


「もう、逃げる手段はこれしかない。この窓から飛び降りる」


「飛び降りるって、何言い出すのよ!? ここから飛び降りたら大怪我じゃすまないわ!」


「ただ落ちるつもりはないよ。これ、前に浬が学校の窓を割った武器を使うんだ」


 手に持っていた拳銃をアキに見えるように持ち上げた。けれど見た目はただの拳銃だ。いまいち拓の考えが理解できず、アキは眉間にシワを寄せながら首を傾げる。


「この拳銃はすごい風を噴射することが出来る。あの窓を割るほどの威力を利用すれば、地面に墜落することを防げると思うんだ」


「風の力を利用して……そういうことか」


 ようやく拓の意図が掴め、アキは納得した表情で頷いた。だが、すぐさま苦笑いを浮かべる。


「拓は本当に無茶なことばかりしたがるのね」


「別に無茶したい訳じゃないから」


「そうかな? けど、それしか道がないなら付き合うしかないわね」


 アキは拓の手を強く握りしめた。


「もう拓をひとりにさせない」


「けど」


「そもそも、もう下まで下りる体力も時間もないわよ」


「それもそうか」


 拓は参ったなと頭を掻く。手を繋いだまま窓へと近寄り、ふたり同時に下を見下ろした。

 5階からの眺めは想像以上で、一瞬恐怖に眩暈を起こす。道路沿いにパトカーが何台も停まり、辺りはより騒がしさを増していた。ビルから逃げ出した人たちや、騒ぎに気が付き集まった野次馬。騒動を嗅ぎ付けた記者も居るのか、チカチカとカメラのフラッシュがあちらこちらで光る。


「満里奈たちは無事か?」


「うん、下で拓が帰ってくるの待ってるよ。わたしのお父さんも、みんな助け出すことができた……あと真犯人も確保したのよ?」


 アキが鼻息を鳴らし、どや顔を決め込む。その姿に拓はふっと笑みをこぼした。


「詳しく聞きたいけど、それは助かってからになりそうだ」


 もう爆破まで5分を切った。怯んでいる時間はそう長くない。

 窓枠に足を乗せ、ゆっくりと踏み上がる。少しバランスを崩せば落ちてしまう状況に拓は思わず唾を飲んだ。しかし、拓は覚悟を決めてアキに目を向ける。


「アキ、無事に生きて下へ行けたらさ……話したいことがたくさんあるんだ」


 アキはなにも答えず、真っ正面を見つめていた。


「だから、必ず側にいてほしい」


 言い終えてもアキは答えない。けれど、拓はそれに対して何も言わず、アキと同じように正面に目を向けた。自分達の立たされた状況はこんなにも危機的状況なのに、外の景色はそれを感じさせない平穏さが広がっている。青い空を飛び回る鳥たち。目の前に広がるいくつものビルと家々。世界がいつまでも平和であると信じて過ごす人たち。


「俺さ、絶対に死なないから」


「大丈夫」


 ようやく返された返事。

 何に対しての大丈夫なのかは分からなかったが、それでもその言葉に勇気をもらう。


「そろそろ飛ぶよ」


 そう言ったアキの声が耳に届き、拓は深呼吸して握った手をさらに強く握り返した。


「うん……いこう」


 拓は右手に持っていた拳銃を手放さないようにきつく握り締める。


「俺は生きる」


 耳に届かない秒針が刻むカウントダウン。



 ーー5


 ーー4


 ーー3


 ーー2


 アキと俺は目で合図し、窓から足を踏み出す。飛び出した瞬間、凄まじい爆発音が何度も鳴り響いた。

 最初は最上階の社長室、中間の10階、そして地下。

 辺りは一気に煙で充満し、その場にいる人たちの視界を遮っていく。地下の爆発によって地面がグラグラと揺れ初め、コンクリートに大きな割れ目をつくっていった。爆破の威力で辺りの窓ガラスが吹き飛び、拓たちの方へと舞い落ちてくる。幾度も起こる爆発によって起きた風は重力で下へと向かう体を少しだけ浮き上がらせた。それは拓にとってかなり好機だった。一気に右手を地面に向け、体勢を整える。


(頼む!!!!!)


 引き金を引く。拳銃から生み出された突風が地面へと向かい、跳ね返った風が拓とアキの落下速度を弱める。だが、まだ距離はある。拓は再び引き金を引いた。そして風を起こす。

 地面が近付いてくるのが分かり、もう一度と指に力を入れる。だが、普通の銃のように弾切れを起こしたのか銃口から風は出てこなかった。拓は拳銃を手放し、アキを抱き締める。そして、目を瞑った。

 閉ざされた視界で突如身体に伝わる衝撃と痛み。背中から地面に落ちたようで一時的に呼吸が途絶える。頭にも鈍い痛みが走るが、庇う行為も儘ならない。地面をしばらく転がり、いつの間にか止まっていた。


「拓っ!!!!」


 アキの叫びが聞こえる。混濁する意識の中でアキの無事を知り、安堵の息を漏らした。


(良かった……アキと戻ってこられたんだ)


 不意に頬に触れる滴。それはアキの涙だと見なくても分かった。涙の暖かさになんだか安心してしまう。


「拓、起きて!!」


 ゆっくりと瞼を開けると、やっぱりアキは泣いていた。


「……生きてるよ」


「今、救急車を呼ぶから」


 スマホを探そうとさ迷う手を拓がそっと掴む。


「アキ……怪我はない?」


「わたしは心配ないから」


「アキ、聞いて」


「今はそれどころじゃ」


「頼む」


 拓はなんとなく感じ取ってしまっていた。アキがを。


「好きだ」


 拓の目からも涙が滲む。アキがどんな表情をしているのか分からないほど、視界は揺らぎぼやける。


「俺はアキが……大好きだ」


 そう告げた瞬間、意識が急激に遠退き、拓はそのまま瞼を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る