37話 拓の過去①
「7歳までここで暮らしてたんだ」
海に沿って延びていく見晴らしのいい道をゆっくりと歩く。拓は懐かしむような眼差しを水平線に向けながら静かに話し始めた。
「俺の両親はごく普通の人で、それなりに喧嘩もしながらも仲が良かったし、優しい夫婦だったと思う。記憶はもう曖昧だけど俺は幸せだったし、思い出すのはいつも笑顔の両親だった」
拓の後ろ姿を眺めながら、みんな同じように切ない表情を浮かべる。
「両親の最後の記憶は俺の誕生日の日。遊園地へ行く約束でこの道を車で走ってたんだ……そして、事故は起こった。対向車のトラックが車線をはみ出して、それを避けようとして車はガードレールを突き破り、この海に落ちていった。その瞬間、俺は母さんに抱き締めながら記憶を失って……気が付いたときにはもう病院のベッドの上だった」
拓がこの旅行は楽しくないと言っていた。それを今ひどく痛感してしまう。
「入院中に母さんも父さんも死んでしまったことを聞かされて、俺は泣くことすらできないほど絶望してた。遠い親戚に知らせはいったけど、誰ひとりとして孤児になった俺を迎えに来てくれる人は現れなくて、自動的に退院したら児童養護施設に預けられることが決まってしまった」
拓が歩みを止め、不意に目線を海とは逆方向に向けた。
「そして俺はここで一ヶ月ほど暮らしたんだ」
目線の先には小高い丘にポツンと建てられた木造建ての古民家があった。赤い屋根の上には風見鶏がカラカラと音を鳴らしながら、風に合わせ踊っている。所々欠けた石の門構えには、あおぞら児童養護施設と彫られてあった。
「今の両親は俺の父親の親戚で、だいぶ遠縁だったから連絡が来たのも遅くて……けど、俺のことを知ってすぐに養子縁組してくれたんだ」
そこまで話したが誰も声を出そうとしない様子に拓は優しく微笑む。
「楽しくない話ばかりでごめんな」
すると、満里奈が静かに涙を浮かべながら頭を左右に振る。
「そんなことないです。狭山くんの大切な思い出に楽しいとかなんて関係ありません」
博と文也は満里奈の言葉に強く頷いた。
「ああ、拓のことが知れたんだ。嬉しいよ」
「拓はあまり自分の話しなかったもんね。そんなことがあったんだって分かって、府に落ちたっていうか納得した」
「ごめんな、話せなくて……話したら、暗くさせちゃうって思ってたからさ」
そんなことないと、博がすかさず言葉を発する。
「なに言ってんだよ、水臭いな。俺たち友達だろ?」
「あ、ありがとな」
博の心強い言葉に拓は照れ臭そうに頬を人差し指で掻く。
「今の両親は子供ができなかったみたいで、家に迎えた俺を本当の子供として扱ってくれた。父さんが亡くなった後も母さんひとりで俺のことを育ててくれて、感謝してるんだ」
「おばさん、優しい人ですもんね。わたしのことも親身になってくれて……とても素敵なお母さんです」
満里奈は涙ながらに言った。その姿に拓もつられて涙目になる。
「どちらさまかしら?」
気が付くと、施設から人の良さそうなおばあさんがこちらを覗くように見ていた。よれよれのTシャツに動きやすそうなジャージズボン、保育園の先生が着ていそうなキャラクター付きのエプロン。その人が施設の職員だあろうということは一目瞭然だった。
「こんな暑い日にうちの前でどんな楽しいお話をしているのかしら?」
人懐っこいような声で、目尻の皺がよりいっそう深くなるほどの笑顔を浮かべ、そのおばあさんは拓たちへと近寄ってきた。腰が曲がり、ずいぶん小さく見えたが言葉はしっかりしている。もしかしたら見た目よりも若いのかもしれないが、高齢には変わりない。首に巻いたタオルで額の汗を拭いながら、さらに目尻の皺を深くさせる。
「まぁ、綺麗な子に、男の子も美少年ね。こんなところに何かご用かしら? ここはあなた達にはあまり用事のないような場所だけど……もしかして迷子なの? ここら辺の人じゃないでしょ?」
「いえ、迷子ではないんです」
拓が軽く頭を下げ、おばあさんの身長に合わせるように少しだけ膝を曲げた。
「実は昔少しだけここでお世話になったことがあるんです」
「え?」
「狭山……じゃなかった」
慣れてしまったせいで癖のように今の名字を言ってしまった拓が慌てて言い直そうとした矢先、おばあさんが目をパチパチさせながら驚いた表情をする。
「もしかして、拓くん?」
言い当てられて、拓は改めておばあさんを見直した。年月が経ち、髪の毛は白髪がほとんどといった色味になり、顔や手は深い皺ですっかり昔の面影を失っていた。だから、拓にはすぐに気付けなかったのだ。
「園長先生?」
そう呟く。おばあさんは感極まったかのように涙を浮かべ、うんうんと頷いた。
目の前に立つ人物が園長先生だということに拓は少しだけ躊躇う。
「どこかで見た顔だと思ったけど、わたしも年だから勘違いだといけないと思って……けど、やっぱり拓くんだったのね」
「あんなに短い間しかいなかったのに覚えててくれたんですか?」
「覚えてるわ。ええ、覚えてますとも……こんなに立派になって、こんな嬉しいことはないわ」
園長先生の目からいくつもの涙がこぼれ落ちていった。
「ダメね。年を取ると涙腺が緩くって」
そう笑いながら、先程汗を拭いたタオルで涙を押さえる。
「すみません。何度も挨拶に来ようと思っていたのに、こんなに経ってしまいました」
「いいのよ。気にしないの」
園長先生の目が今度は拓から違う方へと移った。
「もしかして後ろにいるのは拓くんのお友達かしら?」
「はい」
みんなが慌ててお辞儀する中で拓は笑顔で返事をした。
「俺の大切な友達にどうしても故郷を見てほしくて連れてきました」
「そう。ここにまで立ち寄ってくれてありがとう。こんな暑い日に……良かったら少し休んでいかないかしら? 冷たい麦茶ぐらいしか出してあげられないけど」
園長先生に招かれるように拓たちは施設へと足を踏み入れる。
そこは何かの境界線であるかのように、決意滲ませながら一歩を踏み締めた満里奈に誰も気付かなかった。
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