21話 知らないこと
午後4時を回った頃、拓たちはとある家の前まで来ていた。
「ありがとうございます。家まで送ってもらってしまって」
満里奈は丁寧に頭を下げた。
「いや、ひとりじゃ危ないから……何があるか分からないし」
「まさか一日も経たずにまた襲いに来る可能性は低いにしても、万が一のことがあるから」
拓とアキの言葉に満里奈はにっこりと微笑む。
「まだ狙われてる実感がないんですが、少し不安だったので嬉しかったです」
「それにしても……」
満里奈の後ろに立つ家を見上げ、拓は少しばかり気の抜けた声を出した。
「大きいな」
拓の家からそう遠くはない場所に満里奈の家はあった。初めて訪れた彼女の自宅は予想していたよりも立派だったことに、拓は驚きから口を開けたまま見つめる。辺りはごく普通の一軒家が並ぶ住宅街だったが、満里奈の家だけは周りの家とは豪華さが格段上だった。二階建てだが敷地の広さは三軒分以上あるだろう。塀のせいで庭の様子はうかがい知れないが、見なくても大体のすごさは想像つく。
「満里奈ってお嬢様だったんだな」
思わず思っていることが口から出ていた。
「ごめん、悪い意味じゃなくて」
「大丈夫です。でもお嬢様じゃないですよ」
どこか切なく笑う満里奈に拓は申し訳なく感じた。
「満里奈さん、送ってきたついでに家にお邪魔してもいいかしら」
アキからの突如の申し出に、満里奈だけでなく拓も驚き目を見開く。
「さっき話した通り、満里奈さんはお父さんからすでにワクチンを譲り受けている。だから、組織が狙って探しに来るかもしれない……その前に見つけておきたいの」
「……急だし、嫌なら違う日でもいいから」
断りずらいと思い、拓はやんわりカバーすると満里奈は大丈夫と言いたげに笑顔を向けた。
「まだひとりになるのが怖かったので出来れば上がっていってください。わたししか居ないのでお茶ぐらいしか出せませんが」
気遣うように満里奈は門を開け、ふたりを中へ通す。すると、塀に隠れていた庭が拓の視界に入り込んだ。やはり想像していた通り、塀の中はまるで楽園のようだった。
綺麗に整えられた芝生、バランスが考えられた草木に、たくさんの花々。お茶を楽しむように白のガーデニングテーブルと椅子がふたつ。テーブルには淡いピンクのパラソルが備え付けられ、ちょうどよい木陰をつくっていた。
「すごい綺麗な庭だな……花の手入れも行き届いてて」
「狭山くんはガーデニングがお好きなんですか?」
「母親が好きだったからよく手伝ってたんだ。今はやめちゃってて、俺が趣味で何本か植えてるけど……こんな風にはなかなか出来ないよ。これってまさか満里奈が?」
「いえ、わたしは植物を育てる才能がなくって……恥ずかしい話なんですが、サボテンすら枯らしちゃうんです」
苦笑いしながら言うと、満里奈は玄関のドアをそっと開ける。
「それに今はわたしひとりしか住んでいないので、お庭はプロの庭師さんにやってもらってるんです。母が見た目にうるさい人なんで、わたしなんかがやったら怒られてしまいますよ」
拓は僅かな違和感に首を傾げた。
「え? お母さんは一緒に住んでないの?」
綺麗に磨かれた玄関タイルに躊躇い気味で足を乗せた直後に、拓は思わず尋ねた。
「父と母は昔から喧嘩が絶えなくて、父より先に仕事を理由に海外へ行ってしまったんです。たまに帰っては来るんですが……父と鉢合わせるのが嫌なのか、帰ってきても一週間ぐらいしか」
拓はさも当然のように話す満里奈に言葉を失ってしまう。いつも笑顔が絶えない満里奈の姿しか見たことがなかったから、きっとなんの苦労もなく幸せな家庭で育っているんだとばかり思っていた。
「ごめん……」
自分が偏見で満里奈を見ていたことに気が付き、慌てて謝る。
「気にしないでください! もう昔からなんで、わたしももう慣れっこなんです」
「だとしたら、この広い家に満里奈さんはひとりで住んでるってこと? お父さんも頻繁には帰ってこないのよね?」
アキは問題点に気が付き、眉間に皺を寄せる。
「そうですね。父も研究が忙しいので帰ってくるのは半年に一回ぐらいです……」
「家に誰か出入りしてる人もいないの?」
「数時間だけ掃除と料理をしに家政婦さんが来てくれてます。けど日中だけなので平日は顔を合わせることはないですかね」
「そうなると夜は誰も居ないってことよね?」
「それってまずくないか?」
「一応セキュリティはしっかりしてるので、誰かが侵入すればすぐに警備の方が来てくれるようにはなってるんで、そんなに心配しないでください」
そう言いながらも、満里奈の表情がどこか不安そうに映った。
「とりあえずリビングにどうぞ」
何も言えないままリビングへ通された拓は再び目を見開く。やはり両親ふたりとも海外で仕事をしてるだけあり、家具や小物がアンティークで揃えられ、いきなり別世界へやってきたような感覚に陥った。
ただ、人気のない部屋はどこかもの寂し気に映る。
「お茶を用意する前に……まずはワクチンを探した方がいいですよね。とりあえず父からもらったプレゼントを何個か部屋から持ってくるんで、おふたりはここで寛いでいてください」
満里奈はリビングから出ると、二階へ続く階段を駆け上っていく。
「アキ……どうにかして、満里奈をひとりにしなくていい方法はないかな? こんな広い家で怯えて過ごすのを想像すると」
「そうね。組織だって満里奈さんがいない時を狙うとは限らないし……このままの状態を放っておくなんてわたしだってできない」
いつになくアキが深刻そうな表情を浮かべている。
「拓……わたしからお願いがある」
「なんだよ」
「満里奈さんを拓の家でかくまうのはどうかな? それなら、組織に襲われる危険性も防げると思うの」
その提案に拓は迷うことなく首を縦に振った。
「いいと思う。俺もその方が安心する」
「お母さん、反対しないかな?」
「そこはうまく誤魔化さないといけないから、満里奈が来たら一緒に言い訳を考えよう」
そう返すと、アキが安堵したようにふんわり笑った。それはごく自然な笑顔で、綺麗というよりも可愛いと表現する方が正しい。思いがけず見てしまったアキの素の表情に、拓は照れくささから頭を無造作に搔き毟った。
「そうと決まれば、ワクチンを持ってさっさとこの家から離れないとね」
そうアキが言った矢先、二階から何やら物音がした。何かが床に落ちたような鈍い音。
「アキっ」
嫌な予感が走る。
「二階に急ごう!」
最悪な場面を打ち消すように、ふたりは満里奈のいる二階へと向かった。
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