第30話 エピローグのようなインタールード
気がついたらスミカたちは、もとの図書館の棚の前に戻っていた。
何だか夢を見ていた気分だ。
それで、はじめは戻ってきた感覚がなくて、四人ともしばらくぼーっとしていた。
あたりを見まわしていくと、少しずつ現実感が戻ってくる。
時間はほとんど進んでいないようだ。
ずいぶん長いことあの薄暗い地下回廊の中にいたように思う。けれど閉館時間はまだまだ先のようだし、外が暗くなっているわけでもない。
風景も何ひとつかわっていなかった。
やわらかな日のひかりで館内は明るく、気持ちのよい風がそよぎ、さらさらと葉ずれの音が耳に心地いい。ときおりチチチ……と小鳥たちが通りすぎると、棚に並ぶ本の背表紙を小さな影たちが横切っていった。
通常空間に戻ったことを確認した彼女らは、ひとまず異常が——よくわからないけど、少なくともイレギュラーがあったことを司書のマニユスさんに報告。それからもう一度みんなで書架のところに戻ってきた。今はマニユスさんが本棚をあらためているところだ。
「ふむ……。見たところ異常はないようだね。その——スミカちゃんが見たっていう本は?」
「今は……見当たりません……」
そうなのだ。不思議な力を秘め、ゲートを開き、スミカたちを地下回廊に導いた、あの本そのものがどこにもない。棚にすき間はなく、収まっていた場所もわからなくなっている。存在そのものが消失していた。
「うーん……。君たちの勘違いとか、みんな同じ夢を見たっていう可能性も……ないわけだよね?」
「そうです……これを見てください」
司書見習いのリチルがひょいっとウィンドウを表示させると、閲覧者の公開範囲を広げた。
そこには戦利品としてのドロップアイテムがずらずらと並んでいる。
素材のことはスミカは詳しくはわからないが、レアアイテムもかなりの数にのぼっているらしい。
そしてスミカ本人の所持金も――
「さ、さんびゃくまん……」
ざっくり300万Gをこえていたのだった。
「300万あれば……部屋いっぱいの本が買えるかも。本の部屋、本の家……。ううん、本のお屋敷……私のおうち。ああ、本のプールで、本に溺れて、本の底でおねんね。ついに夢が現実に……」
ちょっと危ない感じで夢見るような表情になっていると、
「いやいや。300万じゃさすがに買うのはムリでしょ!?」
ニケから現実的なつっこみを入れられた。
それからマニユスさんが言うには、
「いちおう館長と、たぶん冒険者ギルドにも報告することになると思う。もしかしたらみんなにも詳しい証言をしてもらうかもしれないから、そのときはよろしくね」
そしてつけ加えた。
「何しろ聞いたことないからなあ……。図書館内でいきなりイベントが発生するだなんて」
どういった対処がなされるのかマニユスさんにもまだわからない、といった様子だった。
その後スミカたちは、リチルとマニユスさんの二人とわかれ、図書館を後にした。
「またね〜……」
奥ゆかしげに手をふるリチルに見送られ、スミカ、ニケ、レインは、街の往来へと戻ったのである。
行きかう人々は、なんら変わったところはない。ごくごくふつうの街の風景だ。
まるで夢からさめたはずなのに、まだ白昼夢を見続けている気分だった。あの地下回廊でのできごとは、ほんとに起こったことなのだろうか?
「……あのマニユスって人、見かけはチャラ男だったけど、意外に真面目で有能かも。もしかしてかなりの優良物件……?」
レインちゃんが何やらぶつぶつと皮算用している。
「「……」」
スミカとニケには、それに茶々を入れる余力を持ちあわせていなかった。
スミカは今回が初戦闘で、初めて体験したことばかりで疲れていた。
そしてもうひとつ。どこか頭のかたすみが、なぜかいまだにボーッとしたままなのだ。
あのブラウニーと
ほとんど無我夢中であんまり憶えてないけれど、ずいぶんと長い言葉を
(私……何を言ったんだっけ……?)
もし誰かに「そのときのことを再現してほしい」と言われても、たぶん期待にこたえるのは無理だろうなあと思う。あれはあのとき限り、あの場、あの状況でだけ通じる魔法のような——魔法に似た「何か」だったような……気がする。
ぼんやりとまとまらない思いが頭の中をぐるぐるしていて、スミカはボーッとし続けていた。
隣にいるニケにしても、翻訳問題とかで頭を使う戦闘があったりして、別の意味で頭がフラフラしていた。
ということで、その日はそこで解散ということになった。各々ログアウトして、それぞれの現実世界へと帰還する。
時間的にも、いいころあいだった。現実世界では、もうしばらくすれば夜があけるだろう。
こうしてスミカのWBC二日めは、なかなかに濃い内容となった。波乱はあったものの、無事終了したのである。
◇
夕暮れ。
街の建物も空の色をうつして、おだやかな気配をまといつつあった
屋外では、まだ明るさが残っている。けれど屋内は、明かりなしではそろそろ薄暗く感じる時間帯だ。
それは図書館内も同様だった。
すでに閉館時間を過ぎ、
そんな
外の窓に背を向けていて、顔はよく見えない。
場所は、図書館の正門からぐるりとまわっていちばん遠くにあるところ。小説や詩、戯曲、評論、エッセイなどが並ぶ900番台の書架だ。
その人影は、こそとも動かない。
ただ、そのシルエットからすると、すらりと背の高い女性のようだ。長い髪をひとつにまとめて、さらっと下ろしている。
——コツ、コツ、コツ。
別の足音が近づいてきた。そして女性に声をかける。
「こちらでしたか、館長」
声の主はマニユスだった。
館長、と呼ばれたその人は、「う、ん……」と返事をするような、ただの息のような、そんな曖昧な音を口からもらした。それからひとりごとのようにつぶやく。
「ゲートがあったのは……このへん?」
「そうですね。私もはっきりとは把握していませんが、おおよそそのあたりかと」
マニユスは、上司と話すときは多少口調があらたまるらしい。
「このあたりに……ねえ?」
「ですね……」
二人並んで棚のやや低いところを漠然と眺める。スミカが出会った、あの不思議な本のあったはずのところだ。
もちろん不審な点は何も見当たらない。
「入ったのは?」
「うちのリチルと……えっとレイン、ニ——」
「レイン? ちょっとつっけんどんだけど腕は確かな中堅どころでしょ? むっつりリチルちゃんも判断は的確。それならだいじょうぶだったはず——」
「それがですね。レインさんはちょっと前に会いたくないリアルの知りあいに遭遇してしまったとかで。幼女サイズにアバター変更してるんですよ。出力が大幅ダウンしたそうで……」
「ふ、ふふふ……なぁに、それ?」
「いや、ボクにもさっぱりなんですが……ふふふ」
ここでしばし笑い声が続いた。その間にも窓の外の空は、刻一刻と色を失っていく。
「あとメンバーには、ニケちゃんがいますね」
「たしか――このゲーム開発の関係者が親族にいるんだっけ?」
「います」
「ふーん……。じゃあ運営がいとしのニケちゃんのためにこっそり特別クエストを仕込んだっていう線は?」
「まずないでしょう。あの子の素性はべつに秘密ってわけでもありませんし、知っている人は知っています。試験運用時期からのラボ関係者もそれなりにいますしね。もし今回露骨に
「そうね。ニケちゃんってどんな印象の子?」
「まっすぐで明るくて、いい子でしたよ。わかりやすすぎるとも言いますね。で、最後はニケちゃんの友人のスミカちゃん。これがアカウントつくって二日目のHな子です」
「そっちのHちゃんは?」
「カウンターの新規受付のところで会ったんですが、んー、まあふつうです。本好きオーラが出まくってましたね」
「かわいかった?」
「ふつうにかわいいです。クラスにいるなら、かくれて
「なるほどキモい感想ね。イベントの内容は?」
「地下回廊の攻略。レベル99+」
「いきなり!?」
ここで館長の目がギラリと光った。薄暗がりでもそれとわかるほどである。
「しかもクリアしました。全員無事で」
「…………。モンスターの種類」
「スケルトンとスペルブック。上位のスペルブックは〈プロフェッサー〉というネームド持ちだったらしいですね」
「スケルトンはありがちだけど、スペルブック? はじめてよね?」
「はい。うわさレベルでは以前からちらほらありましたが、出現したのは今回が初かと。そして隠しボスっぽいのが最後に出たらしいです。茶色い毛むくじゃらの小さなやつで、大きなハンマー持っていて——」
「……ブラウニー?」
「当たりです。世代ですか?」
「…………(怒)」
するとすぐ隣の館長から殺気がにじみ出てきた……。マニユスはあわてて先を続ける。
「魔力偏差の感知システムがあるとはいえ、攻略の目安として提示される推奨レベルをみれば、ボスの攻撃力が高いのは当然です。くわえて今回のブラウニーは、攻撃を受けると次回から受けた属性を無効化したようです。なので手持ちの使える属性を使い切ると、攻撃が一切通らなくなりますね。あとはボコられてジ・エンドです。ふつうに考えると」
「クリアしたんでしょ?」
「はい。決め手になったのは、スミカちゃんの長詠唱。属性は不明です。攻撃らしい攻撃もなく、ただ詠唱を続けていくうちに場の雰囲気が変わって――で、ボスが消滅したという話です」
「………………んーんんん?」
館長が目を大きく見開き、首をかしげる。はたから見ると困惑している雰囲気だ。そしてさらにマニユスをぎょろりと見つめてきた。
そのしぐさを「館長がまた難しい質問をしたがっている!」と解釈したマニユスは、先手を打ってこたえた。
「待ってください! ボクもわけわかんないんですからね!? いちおう本人たちの話をまとめると、そんな感じになります。以上です」
「うーん……」
館長が腕を組み、天井を見上げて考えこんでしまった。
「いやそもそも図書館で――というか街の内側で未知のゲートが出てくるとか、今までなかったんだけど……」
「ですよね。どうします? 館長も本人たちから直接話を聞きますか?」
とマニユスが尋ねた。
「それはおいおい……かな。スミカちゃん、だっけ? 始めたばかりの子にあまり尋問みたいなことをしても、ね? まあリチルちゃんにはあとで話を聞きましょうか。でもこちらでも、もうちょっと調べてからね」
すでに書架の並ぶフロアには、うっすらとした暗がりが
だが館長はそれを気にするふうでもなく、何ごとかを小さくつぶやいていた。つぶやきながらポケットから手帳を取りだすと、ピリリと一枚破り、ややすぼめた両の手のひらの上に載せる。そして、ささげるように顔の前までもってきた。
手のひらに向かって息を送りながら、さらに語る。
ややあって彼女の手のひらが淡く光りだした。紙も同様に光を帯び、ふわりと浮き上がる。
浮き上がったまま、山折り――谷折り――ハタハタと紙が折られていく。
そしてできあがったのは、小さな魚のようだった。ヒレをパタパタと動かしながら、手のひらの上の狭いスペースを、右に行ったり左に行ったりを繰り返している。
見た目は金魚のように小さく、ずんぐりとした姿だ。奇妙なのは、頭のてっぺんあたりから、チョウチンアンコウのようなランプが伸びている点だろうか。体表も色が定まらず、くるくるといろんな色に変化しつづけている。
その小さな
その様子を二人はしばらく、じっと眺めていた。
マニユスは、昼間の軽薄な雰囲気とは裏腹に、ずいぶんと静かだった。静かすぎて、ときに気配すら感じられないほどに。
一方、並んで立っている館長には変化が起こっていた。
「……もう何もないようね。はい、戻ってらっしゃい」
館長の声が、さっきよりいくぶん高くなっている。指示された紙魚は、またふよふよと彼女の手のひらまで戻ってくると、すぅ……と溶けるようにほぐれ、一枚の紙にもどって、ふわりと手のひらの上に着地した。それをまたメモ帳にはさみ、ポケットにおさめた。
魚の小さなランプが消えると、二人のいるところは、またいっそう暗くなった。小さいながらも、あれでなかなかな明るさがあったらしい。
マニユスは、館長の容姿の変化や奇妙な魔法に特に驚くこともなく、やはり静かに立っていたが、
「これからどうしますか?」
と聞いてきた。
「ん? ん〜、本読むけど?」
館長は簡潔にこたえた。
するとマニユスが困ったような顔になった。
「えっと、そうじゃなくて。未知の本と
マニユスは、館長の今後のスケジュールをたずねたわけではない。
「わかってるわよ。このあとも本読むついでに、ちょっと調べたりするかもだから」
「そうですか……」
「そうそう、あとで冒険者ギルドにも伝えといて。イベント絡みだからね。そちらとも情報を共有しとかないと」
「やはりそうですね。承知しました。じゃあ今からでも行ってきます――」
「え? もう朝だけど?」
「あ……」
マニユスは窓を見やった。
窓の外に広がる空。そこには、夜のとばりが下りようとしていた。
(了)
WBCにようこそ! 来麦さよな @soybreadrye
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