第27話 地下回廊4:プロフェッサー

 地下回廊攻略イベント。

 その最深部で「強敵」があらわれた。それは、教授プロフェッサーと呼ばれる名前持ちネームドのスペルブックである。

 そしてプロフェッサーの攻撃はなんと! 「次の文章を英訳せよ」というものだった……。

 アナウンスAIの比較的淡々とした実況が続く。


 ――プロフェッサーの攻撃です。次の場面において、妹が兄にむかって発言した内容を英訳しなさい。『ふええ……おにいちゃん……もうがまんできないよう……』


「……どうしろっていうのさ?」

 ニケが四人全員の気持ちを代弁した。


 ――繰り返します。妹が兄に言った内容を英訳しなさい。『ふええ……おにいちゃん……もうがまんできないよう……』


「いやだからどうしろ――ぐはぁっ!?」

「ニケちゃん!?」


 ――回答できなかったニケさんが吐血! 身体に強烈なダメージ!


「そんな!」

 あまりに理不尽な攻撃にスミカがプンスカした。


「なるほど、これは強敵です……。しかも『おにいちゃん……もうがまんできないよう……』とか、シチュエーション的にいろいろはかどり――ぶしゅぅぅ……!?」


 ――妄想たくましいリチルさんに精神的なダメージ! および鼻血!


 あっという間に二人が戦線離脱してしまった……。


「ど、どうしよう!?」

 スミカは考えた。プロフェッサーを倒すには攻撃が必要。けどその攻撃って——英訳すればいんだよね!? ええと、問題文は『ふええ……おにいちゃん……』って何かエッチな気配がする!?

「ええと、まず『ふええ』? これはどう訳すんだろ……。『おにいちゃん』? これはBrotherで……あれ? でもブラザーって兄と弟どっちにも使うんだよね、ということは……? あれ?」

 スミカは、完全に混乱してしまった。

 あぶない! このままではスミカも致命的なダメージを追ってしまう!


 すると、ほぅっとため息が聞こえた。

 声の主はレインだ。

「しょうがないわね……。Whew, Onii-chan, I can't take it anymore. これでどうかしら?」


 ――正解です! 誰も訳せないとたかをくくっていたプロフェッサーにかなりのダメージ!


「レインちゃん、すごいじゃん……!」

「のうあるタカはツメかくす、というやつですか……」

 ぶっ倒れているニケとリチルから感動の声が上がった。

「ふふん♪ まあこれくらいはね?」

 レインは涼しい顔だ。しかしまんざらでもない様子でもある。

「すごい! でも『おにいちゃん』は『Onii-chan』でいいの?」

 スミカが疑問点をぶつけると、

「おにいちゃんはおにいちゃんのままでいいのよ。変にブラザーとか訳すと、『へい、兄弟!』みたいなニュアンスになるから」

「なるほどー……」

 感心するスミカだった。


 ――次の問題です。『すごい……! おにいちゃんの……こんなにふくらんで、大きくなって、赤くなってる! だいじょうぶなの?』


「えええっ///」

 さっきより露骨な表現である。あわれ、スミカさんの顔が真っ赤になってしまった。

「It's amazing ... ! Onii-chan's ... growing so puffy, big, and red! Are you okay? ってとこかしら?」

 さらりと英訳するレインちゃん。


 ――正解です! まさか続けて正解されるなんてことはないだろ〜、へっへ〜、とナメていたプロフェッサーに相当なダメージ!


「レインちゃん……何者よ……」

「静かな猫はネズミ捕りがうまいっていいますけど……」

 倒れふしたままのニケとリチルが感想を述べる。

「ふん、どうよ?」

 レインはすっかり自慢気な様子だ。

「すごいなあ、レインちゃん」

 そしてスミカは感心しっぱなしだった。


 ――最後の問題です。『おにいちゃぁぁん……見て。あたしもうびしょびしょだよぉ。拭いて〜』

「ぐはぁっ……!」

 とうとうスミカさんに強烈なメンタルダメージが!

「Onii-chaaan ... look at me. I'm already all wet. Wipe here. かしら?」


 ――これまた正解です! 高々な鼻を完全にへし折られたプロフェッサーに致命的なダメージ! ちなみに全問正解のレインさん、この兄妹の会話はナニを描写したものですか?


(えっ!? ナニって! そ、それはっ! エッ……、エッ……、エッ……!!)

 スミカの脳内が、ピンクの方向に染まっていく。

 ところがレインの回答は、まったく別方向のものだった。

「『花粉症』でしょ? 喉やまぶたが腫れたり、涙とか鼻水でびしょびしょになったり、まあ大変よね」

「「「えっ……」」」

 絶句する三人。


 ――大正解です! プロフェッサーは完敗し、膝から崩れ落ちました。勝者、レインさん!


「ぃよっし!」

 勝者レインさん、ガッツポーズだ。

 そして膝がないのに膝から崩れ落ちたプロフェッサー・スペルブックはその場で崩壊し、そのまま消失してしまった。


 ――みなさん、おめでとうございます。みなさまが受けた吐血や鼻血等でのダメージおよびデバフはここで解除されます。さて、見事勝利しましたみなさまには特典ドロップアイテム……(プツン)。


(あれ? 途中で音声が切れたような……)

 ここでスミカはかすかな違和感を感じた。

 しかしそれは、プロフェッサーののこした豪華ドロップアイテムによってかき消された。


「こ、これは……! ルネサンス期、かのダ・ヴィンチが使っていたという言い伝えの伝説のレッド・チョーク! ……のレプリカ!!」

 驚きのあまりニケが、チョークのように固まってしまった。


「こ、これは……伝説の軟調ペン先! 中古市場にまったく出まわらず、幻とまでいわれたヴィンテージ・フレックスニブ!? ふふふ、これはペン工房に持ちこんで、つけかえてもらって……ふふふ、ふふふ……」

 万年筆マニアなリチルは、自分の世界に引きこもってしまった。


「『ほっといても生徒たちが勝手にぐんぐん伸びていく! 必携ひっけい! 授業運営虎の巻』!? これ絶版で伝説になってたやつ! よしっ、これがあればサボれる!」

 レインの興味の対象は、なかなかに特殊なようだ。

 

 とにかく伝説級のアイテムが頻出している。

 スミカはスミカで、所持金がいつの間にか100万Gをこえていることに唖然あぜんとしていた。

「ひゃくまん……えん。これだけあれば、本が……たくさん……」

 そんな感じで四人それぞれが夢中になっていると、通路の前方に変化が起こった。

 ただの壁だったところがモザイク状にバラけたかと思うと、それらが再び組み上がっていく。そこには――


「出口だ!」

「やった……」

 ニケとリチルが歓声を上げる。

「……? でも攻略難易度ってレベル99+だったのよね? それにしては歯ごたえが……」

 レインは状況を冷静にみているようで、不信感が残っているようだ。しかしニケがまとめにかかった。

「なーに言ってんのさー。レインちゃんがいなかったら、あの英訳問題クリアできなかったし! そしたら全滅だったし! 適材適所! みんなの力があわさってクリアできた! わたしはそう思うよ!」

「それもそうね……」

 納得しかねるところはあるようだが、レインもうなずいた。


 ところがスミカも、まだ何か違和感をぬぐいきれないでいた。

(何だろ……アナウンスが途中で切れて、中途半端な感じで終わって……それで出口が出てきたけど……何だかすっきりしないような?)


「じゃー出口を開けてみよー」

「どこに出るのでしょう……もとの図書館……?」

「さあねえ、どこだろねぇ」

 リチルと話しながらニケが出口を開く――カチャン、パラパラパラ……。


「え?」

 ニケがとまどった声を上げた。

 不可解なことが起こっていた。

 目の前の出口が再びブロックノイズのような形状に分解し、パラパラと崩れていく。

 しかし崩れているのは出口だけではなかった。

 壁も、床も、天井も。通路全体にノイズが広がっていく。

「え……」

「ちょっと……!」

 スミカたちは口々に声をあげ、周囲を見まわした。その間にもノイズは背後の空間まで侵食し、崩れていく。

 

 そして目の前には、今までとちがう新たな空間が広がっていた。

「「「「……」」」」

 何が起こるかわからない。

 全員固唾かたずを飲みこみ、目をこらす。


 これまでは薄暗く、細長い通路が続いている空間だった。薄暗いながらも随所に照明があり、そこまで不穏な雰囲気ではなかった。

 しかし今度は対照的に、全体的にだだっ広い、ぽっかりと何もない空間だ。共通しているのは、薄暗いことだけ。しかし今度はその薄暗さの中に、ただならぬ気配がただよっていた。

 そして正面。四人と対峙たいじするように――


「っ! 何かいる!」

 ニケが緊張した声で注意をうながした。

「もうひと波、ですか……」

 リチルも引き締まった声だ。

 そのは、一歩一歩、こちらへ近づいてきた。


 奇妙なシルエットだった。

 背の低い、ずんぐりとした体型。その影の片側だけ、上下に細いものが伸びている。細長い棒のようなものを持っているらしい。棒の先はボヤボヤとしたものが天井に向いていた。枯れた細い枝をいくつも集めてくくりつけたようにも見える。

(子ども……?)

 背丈からすると、スミカたちよりももっと年少の――いやしかし「人」と認識するにはどこかおかしい……。


 やがては姿をあらわした。

 薄手のフードコートのようなものを着ているが、全体的に古びてほつれ、すそもボロボロだ。光量のとぼしい室内ではほとんど黒に見えるが、よく見ると茶色だということが、かろうじて確認できる。フードを目深まぶかにかぶり、手にしているのはの長いほうきのようだ。しかしエニシダの枝を束ねたらしい先端は、そのほとんどが擦り切れ、とても箒の役割をはたすとは思えない。


 そしてもっと奇妙なのは、フードの中身だった。簡単にいってしまえば、二足歩行している動物。箒をにぎる手や、服の裾からのぞく足は灰茶色の毛むくじゃらで、顔立ちは見た目からするとリスやネズミに近い。絵本などでよく描かれている、服を着た動物たちの姿にそっくりだった。


(何だろ……どこかで見たことあるような……)

 スミカはおぼろな記憶をたどっていく。しかしすぐには思い出せない。

 レインは、ウィンドウを表示して相手のステータス情報を得ようとしていた。HPゲージなど基本的な表示はあるものの、名前・属性・スキル等の詳しい情報は不明だ。「ダメね」と首を振っている。

「……モンスターなの、かな?」

 ニケがつぶやいた。

「そうですね……ダンジョンの最深部であらわれる真のボスといえば、ダンジョンマスター……!」

 リチルの声は平熱的な静けさながらも、緊張感をはらんでいる。

「まあ、ここはダンジョンって規模でもないんだけど。そうね、そういう役割のボスっぽいのは確かね」

 レインも同意した。

 三人の意見がおおよそ一致していた。今度こそ相手はボス級のモンスター。もちろん相当の強さだろう。


 しかし、スミカは別のことを思い出していた。

 そうだ。ヴィンセントさんの本屋で買った、あの本だ。あの本の中にでてきた妖精だ。暖炉のあるおだやかな家に居着いた、心優しき隣人。

「――ねえ、あれって妖精……とは違うの?」

 慎重に言葉を選びながら話す。

「妖精?」

 ニケがたずねた。

「うん。昨日読んだ本に出てきたのに似てて。箒持ってて、ボロボロの茶色い服で。あ、でもふつうはああいう動物の姿じゃないと思うんだけど。でもたぶんあれは、〈ブラウニー〉じゃないかな。いつも茶色の服だから茶色いやつブラウニーってそのままの名前がついてて、こっそり人の家に住みついて箒で掃除してくれたり、家畜の世話をしてくれたり、たいていは善良な妖精ということになってて――」

「へええ……スミカ詳しいなあ」

 ニケの感嘆の声。

「うーん、イギリス北部あたりに伝承があるのは私も知ってるけど。でもあれがブラウニーそのものかどうかはあやしいわね」

 レインは簡単には同意しかねるといった口調だ。

「そっかあ、違うのかなあ……」

 スミカは軽く気落ちしてしまった。けれど、

(あなたはブラウニーなの? 違うの? もし会えたら、お友だちになれたらいいなって思ってたんだけど……)

 淡い期待をいだいていたのだ。

 魔法が使えるファンタジーゲームの世界。そこにいろんな妖精さんたちがいても、おかしくはない。

 けれど、奥の暗がりから近寄ってくるモンスターの目は、燃えさかるようにギラギラとし、こちらをにらみつけている。明らかに敵意をむき出しにしていた。


「友好的な態度で異種族交流を……って感じでもないですね……」

 リチルが冷静に言った。

「でも何はともあれよ。あいつのことをとりあえず『ブラウニー』って呼びましょうか。名無しヤロウじゃやりにくいし」

 レインちゃんはヤる気のようだ。


 そうしたやりとりの間に、ニケは「う〜ん?」と目を細めてブラウニーをじっくり観察していたが、突然あることに気づいた。

「まって、あれ箒じゃなくて……金槌かなづち!」

「「「え!?」」」

 まばたきするほどの間に、ブラウニーの持ち物が切り替わっていた。さっきまで細長い柄の先についていたのは、擦り切れた枝の集まりだったはずだ。それがいつのまにか樽型の金属のかたまりがくっついている。どうみても金槌の形だ。しかもそれが

「ッ!! みんな、気を引き締め――」

 レインの注意喚起が終わらないうちに――トンッ!

 軽いジャンプ音がしたと思った。

 それだけだと思った。

 けれど次の瞬間——フッ、とスミカの目の前が暗くなった。

 ブラウニーの振りまわした大金槌が、スミカの顔面に迫っていた。

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