WBCにようこそ!

来麦さよな

第1話 WBCにご招待!

 森をぬけると光があふれた。

 高台たかだいに出て、視界が一気にひらけたのだ。

 さわやかな風になびく草原のみどり。

 なだらかに続く丘。

 日にきらきらと輝く小川。

 のんびりと草を食んでいるのは羊だろうか。


 ずうっと先に見えるのは鬱蒼うっそうと繁った森。

 さらに遠くにある山脈はちょっとかすんでいて、上の方は雪が積もっている。

 それから、空。そして、青空。絵筆でサッとなでたような白雲。さらに遠くの空に、ぽつんぽつんと飛んでいるのは――


「あれは……鳥、じゃないよね?」

 とつぶやくと、

「ええとあれは……ドラゴン、の大っきいやつだね。ここからだとただの点だけど」

 彼女が教えてくれた。

「ドラゴン!! じゃあさ、じゃあさっ、近くに行ったら大きいのかな!? すっごく大っきいのかなっ!?」

 わくわくを抑えきれずに声を弾ませていると、

「ははは……。食べられなければいいけどね……」

 彼女に苦笑いされた。


 目の前に広がっているのは、光にあふれた自然の風景だ。これがゲームの世界だなんて信じられない。

 見るものすべてが生き生きとしている。

 こずえから聞こえる小鳥のさえずり。葉ずれのささやき。

 肌をなでていく風が気持ちよかった。

 見るもの、聞こえてくるもの、肌にふれるもの、そのすべてにリアリティがある。

「ねえ、これってほんとにゲームの世界なの?」

 やっぱり、そう尋ねずにはいられない。

「どやぁ……」

 なぜか自慢げな彼女。


「全部本物みたいに見えるし、聞こえるし、手の感覚もあるし、においも……あれ? くんかくんか?」

 においは、するようなしないような!? というくらいだった。スンスン鼻を鳴らしていると、

「あはは……。においの完全実装はもうちょっとしてかららしいんだよね」

「えー。そうかぁ。つくる側にもいろいろ事情はあるよね……」

「まあクローズドベータくらいのバージョンだからね。今のところはこんな感じだよ」

 彼女がちょっとバツの悪そうな顔になっていた。誘った手前、気まずい思いをしているのかもしれない。けれどすぐに気を取りなおした様子で、ほら、という目であちらを指さして――

「それでね、あっちの方見て!」

「わぁ! 街だ!」


 やや起伏がありながらも、おだやかな平野部。そこをゆるやかに流れる大きな川にそって、街が広がっていた。街の周囲は外壁で囲んであり、防塞都市的な堅固なつくりでもある。けれど、ものものしい感じではない。

 川から引き込んだらしい水路のきらめきや、レンガ色の屋根の並びが、気持ちのよいリズムをつくっている。木々の緑も多くて、あの木陰で本を読んだら気持ちいいだろうな、と思える雰囲気だ。そんな様子がこちらの高台にまで伝わってきた。


「あそこが拠点になるのかな?」

 とたずねると、 

「そうだよ。さぁて、ふっふっふ。街の名前は何でしょうか?」

「名前? うーん……あ、そうだ。こういうときは……」

 さっきおぼえたばかりの方法を試すときだ。

 視野の端っこをタップ。仮想ウィンドウを呼び出し、マップから街を表示させる。


〈羽島里の街〉とあった。読み方がわからない……。

「はねしまさと……の街?」

じまの街、だよ?」

 当然のように彼女がこたえた。「はじまり」とかけているのはわかる。けれど……。

「そのネーミングセンスはちょっとないと思うよ……」

 そうつぶやかずにはいられなかった。



 ◇



 時間は半日ほどさかのぼって――学校の昼休み。

 ほんやしきかすみは、窓際の席でいつものように本を読んでいた。もちろんひとりで。

 別に遊ぶ友だちがいない……というわけじゃない。もともと本を読むのが好きだし、すき間時間ができると、だいたい本に手が伸びる。だから好きこのんでボッチしてるわけじゃないのだけど――ボッチなのは、まあ確かだ。そんな彼女を、クラスのみんなは避ける様子もなく、遠ざけるふうでもなく、「本邸さんはそういう人」という感じで自然に受け入れていた。


 とはいえ、はたから見ればやはりボッチだ。そんなボッチ状態のかすみにクラスメートのニケが声をかけてきたのが、この物語のそもそもの始まりだった。

「ねえねえ、本邸……さん?」

 呼びかけられて、かすみは本から顔を上げた。声をかけてきた少女の顔を見る。もちろん顔は知っている。けれどこれまでちゃんと話をしたことはない。


(ええと、クラスメートの……)

 記憶をたどっていくと、二年にクラス替えして最初のホームルームのシーンが浮かんできた。

 自己紹介の順番が来て、ニケが元気よく立ち上がったところだ。

かきニケです。名字に猫の字がありますが、ミケではありません。ちなみにうちの猫の名前はミケです」

 言葉遊びのような凝った言いまわしにクラスは一瞬きょとんとなったが、すぐに小さな笑いが起こる。

「趣味は絵を描くことです。よろしくお願いしまーすっ」

 短いけれど印象に残る自己紹介だった。


「ええと? 描猫……さん?」

「ニケでいいよー」

 さらっと距離をつめてきた。普段のかすみなら、このあたりでちょっと引くかもな場面だけれど、ニケの雰囲気がカラッとしているからか、そんなにいやな感じでもない。

「ニケ……さん。何かな?」

 かすみは思う。何の用なのかな? 「一緒にトイレ行こう」とか? それはない感じ。「職員室までノート運ぶから手伝って」みたいな頼みごとかな? ……ハッ!? まさか「ちょっと校舎裏までカオ貸しな。ついでにカネ貸しな!」とか!? そんな!


「本邸さんは本、好きだよね?」

 わりとおだやかな質問だった。よかった。もちろん本は好きだ。

 よく知られた言葉に、「名は体をあらわす」というものがある。名前というものは、その人となりをよくあらわすものだ。あてはまらない人もいるだろうが、かすみにはこれがぴったりあてはまっていた。

 名前の「かすみ」の文字列を「すみか」と入れかえれば、あら不思議。「本邸すみか」すなわち「本のやしき住処すみか」にしている無類の本好きが、ここに爆誕してしまうのだ!


「ま、まあ? 多少は、ね?」

 本が好きかと聞かれて、それとなく口をにごす無類の本好きかすみさん。すなおに「うん、大好き!」と言えないお年ごろでもある。

「いやいや本好きでしょ? 大好きでしょ? 愛してるでしょ? ラブだよね? さっきの授業でも、そう宣言してたよね?」

「う……っ」

 そうつっこまれると、ぐうの音も出ない。


 今日の午前、英語の授業でのことだ。先生からの指名があった。

「じゃあ次の発表を……。はい、本邸さん」

「(うぇ゛っ……)」

 喉からカエルの潰れたような音が出かかったのを何とか飲みこみ、ノロノロと立ちあがる。「当たりたくなかった……」という哀愁の想いが、その動きからヒシヒシと伝わってくる。

 英作文の発表。事前に挙げたテーマの中から、ひとつ選んで書いてくること。

 候補は、「My Life」「My Future」「My Favorite Things」。かすみが選んだのは、最後の「好きなもの」だったのだけれど――


「アイ・ライク・ブック」

 本来「book」に「s」をつけるところを、そのままで始めてしまい、

「私は本を読むと楽しい。私は本を読んでいるあいだ、わくわくする。私は本を読む時間があるとうれしい。私は特にファンタジー小説が好きだ」

 みたいな文をすべて「I」から書き始めて、

「アイ・ラブ・ブック、ベリベリマッチ」

 で最後をしめる、という実に微妙な英作文を音読してしまったのだった。


「…………はい、ありがとう。bookにはsをつけてね」

 先生は、これまた微妙なをおいて応じつつも、修正すべきところはきっちり指摘してきた。かすみはしおしおとしおれながら椅子の座面に崩れ落ちる。

 そのあとのクラスメートたちの発表は、どれも自分のものよりもずいぶん上手に聞こえてしかたがなかった。

(ふんだ、どうせ私は本好きの……ただの本好きですよーっと)

 ふてくされながら、その後の午前中を過ごしていたかすみだったが、昼ごはんを食べたらあっさり機嫌をなおし、昼休みにはいそいそと読みかけの小説を取り出して、ニコニコしていたのである。

 ニケが声をかけてきたのは、ちょうどそんなときだった。


 かすみはニケの表情をうかがう。何を聞きたいんだろう? と思っていると、ニケが本題を切り出してきた。

「本邸さんは、〈WBC〉って知ってる?」

「WBC? 四年に一度の……」

「そっちじゃなくてゲームの方」

「ゲーム? あー……もしかして最近話題のアレ?」

「そうそうそう!」

 ニケが食い気味に反応し、ブンブンとうなずきながらぐいぐい寄ってきた。


〈WBC〉。〈Wizard Book Chronicle〉と題された新作ゲーム。ウィザードは魔法使い、ブックは本、クロニクルは年代記といった意味だ。本と魔法がテーマのゲームだという予想はすぐにつく。


 初めは新興ゲームベンチャーによる小さなプレスリリースだった。そこからわかったのは、ゲームタイトルとMMORPGということくらい。

 そしてその後リークされた情報によって、プレーヤーは全員魔法使いというとがった設定なことが明らかになった。それがごく一部で話題になるも——続報がなかなか出ず、立ち消えになりかけた。

 するとそのタイミングを見計らったかのように、ティーザー広告でチラ見せ。


「ドキッ! 丸ごと魔法使いだらけのマジカル・ファンタジー!」

「本好きの本好きによる、本好きのための壮大な物語ストーリー

「これまでのゲーム体験を凌駕りょうがする圧倒的リアリティ!」

 みたいな、硬軟おりまぜたフレーズを使ってのコンテンツ紹介がじわじわと浸透していき、その映像を見た視聴者からも「クオリティがすごい」と徐々に評判になっていった。

 ところがこのゲーム、ユーザー登録には制限をかけていたのである。「プレイ希望の方は、まず事前登録をお願いします。そこから順々に招待メールを送付いたします。それとは別に一部のアーリープレイヤーから招待コードを送って広めてもらいます」という変則的なクローズドベータな方式をとった。

 この入口を狭くした作戦が功を奏したのか、「ちょっと気になるからやってみたいんだけどなあ」くらいのユーザー層のプレイ欲をうまいことかき立てることに成功する。

 やがてSNSには「早くやってみたいよー」という素朴な書き込みが徐々に増えはじめた。そこから「一般開放はよ!」とわくわくしている人や、「招待コード誰かキボンヌ」といった古代ネットスラングの継承者など、さまざまな投稿が増えていって、つい最近とうとうトレンド欄にまで載るようになってしまった。

 そこから知名度が跳ね上がり、今では招待待ちの人がわんさかいる注目ゲームのひとつになっていた。


 ニケが話を続ける。

「実はねー。わたしの従姉妹いとこのおねえちゃんが、このゲームの製作にちょいとからんでてね――」

「すごい!」

 かすみは目を見開いた。そんな素直な反応がニケにとっては予想外だったようで、ちょっとあたふたした様子になっている。

「ええと……えと、それでおねえちゃんが言うことにはね、『あのねー、うちらが思ってたより、ちょーっと年齢層高めすぎるんだよねー。もっと若い子も増えないかなー』ってね。それでね? 本邸さんとか興味ないかなーって思ってさ。ほら、さっき本好きを盛大にアピールしてたでしょ? 本好きの人なら気に入ってくれるんじゃないかなって思って!」

「それって……私を招待してくれるってこと?」

「そうそう! 話がはやい! コード送れるけど、どうかな?」

 我が意を得たり、という顔の小柄なJC、ニケちゃんだ。


「うーん……?」

 かすみのこの表情は、ちょっと迷っている感じだ。その理由をいくつかニケは考える。

「本邸さん、接続用のヘッドセットは持ってる?」

「ゲーム用のやつ? 一応あるよ?」

「よしっ」

「お父……親がね、VRのとまちがえて買ってきたみたいなんだけど。互換性があるならこのままでいいやって言って使ってて、しばらくしたらホコリかぶってたかな? 私も前にちょっとやってみたことあるんだけど……VRの方の……ええと、なんだったかな? 〈グレート・スーパー・ウルトラ・アルティメット・ヘル・ヘヴン・インフェルノ〉だったかな?」

「クソゲーじゃん」

「そうなの? 最初のところから全然進めなくて。すぐ死ぬし。それでやめちゃって今は……押入れの奥?」

 かすみがおぼろげな記憶をたどりながら話していると、


「よしよし、だいじょうぶ! WBCは自由度高いから! いろんなことができるよ! それにゲーム機の機能をたっぷりフルに使えるのは今のところこのゲームだけだし! 使わないと損だよ! それに初心者向けのエリアから始めればいいし! わたしもついてるし! 一緒に遊べばサポートもできるよ!」

 ここぞとばかりにニケ氏が営業トークをたたみかけてきた。

「うーん……まあ、じゃあ? やってみよう、かな?」

「おしっ」

 流れで連絡先を交換することになった。そのあとすぐにニケ氏は担任に呼ばれたらしく、教室から去っていった。

 そしてさっそく来たメッセージには、『ありがと! じゃあ今夜! シクヨロ! かすみっち!』とある。

 教室でひとりに戻り、トーク画面をしばし眺めるかすみっち。さくっと下の名で呼ばれている……。

「ニケ……ちゃん、フレンドリーだなあ」

 ホッとひと息ついて、かすみは読書の続きに戻った。

 けれど今夜のゲームのことが気になるのか、その日の昼休みの読書は、あまりはかどらなかった。


 ――という感じで、初めはなかば強引に引っぱりこまれたような格好のかすみっちだった。しかしやがて彼女はズブズブとWBCの沼にはまっていくことになる……。


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