第三章

海へ

 咲と、お互い異性に対して抱いているトラウマを克服する。そのために、『リハビリ関係』という自分でも、どの位置関係にいるのか、わからない人間関係を持ってしまった。


「おい、光」


「ん、進どうした?」


「どうしたじゃないよ。昼食を食べ終わってから、ずっと話しかけていたのに、意識だけ別次元に行っていたぞ」


 どうやら、一昨日の出来事を考えている間に、自分の空間に入っていたみたいだ。


「悪い、考え事していた」


「そう、みたいだな。何かあったのか?」


「ちょっと、予想外の出来事が起きていてな」


「何があったん?」


「今の所、内容は言えない。だけど、衝撃度を例えるなら、自分の兄妹が血を繋がっていない事を知ったぐらいの衝撃だ」


「かなり衝撃的だなそれ」


 進は、目を見開いて驚いた。


「だろ? 進は、最近衝撃的な体験はしたことがあるか」


「俺かー、うーん。全然衝撃的じゃないけど、俺が推していた地下アイドルの子が、男の娘だった」


「俺の経験と違う角度で、衝撃的だよ。よく、それで衝撃的じゃないって謙遜できたな」


「男の娘でも推せる」


 進は、満面の笑みでグッドポーズをした。


「ファンの鏡だよ」


 進は、俺よりも鋼の精神で生きているかもしれない。それにしても、今日の授業は全く頭に入って来ない。ノートもろくに取ってないし。ずっと、咲の関係をどう捉えたらいいのか迷っている。


 受け入れる覚悟で、リハビリ関係を続けた方が良いのか。


 そうするぐらいなら、恋人になって、彼氏彼女の関係でトラウマを克服した方が良いのでは。


『私には……好きな人がいる』


 ダメだ、咲には好きな人がいるんだ。自分がスッキリしたい関係を持ちたいからって、咲の気持ちを無視する事はできない。それに、俺は咲に言ってしまっている。


『実は、元カノのトラウマが原因で、女性の事が好きになれなくなっているんだ』


 リハビリ関係を築く前に、俺がこんな発言をしてしまった。咲に、恋人になろうって言っても信じてくれないだろう。それに、好きじゃないのに付き合うのは、相手に失礼だ。


 しばらく、この関係を続けて様子を見るしかないか。


 自分の中で、無理やりではあるけど、気持ちの整理はついた。俺にできるのは、『咲のトラウマを無くす』事だけだ。これに、集中しよう。それ以外の事は、まず考えないでいい。



 次の講義室に行くと、資料が先に置かれていた。


「今回は、俺が取って行くわ」


「おう」


 進が、講義の資料を取りに行く。待っている間に、携帯の通知を見とくか。


『右斜め前を見て』


 ちょうど、携帯を開いたタイミングで、咲からメッセージが来た。右斜め前を見てみると、少し離れた席で、友達と座っている咲に目が合った。


『やっほー』


 咲が、そうメッセージを送ると、俺に小さく手を振る。


『やっほー』


 思いつく返事がなかったので、同じメッセージを送り、小さく手を振る。


『真似したなー』


『気の利く返しが、思いつかなかった』


 咲とリハビリ関係を持ってから、大学内での接し方は特に変わりがなかった。大学にいる時は、普段通りに接するみたいだ。


「光、資料とってきたぞー」


「おう、ありがとう」


 進が、講義の資料を持って、戻ってくる。午後の授業は、ちゃんと集中しよう。


『次は、ちゃんと手を繋げるように頑張るから』


 咲のメッセージを見て、一昨日の記憶が蘇った。咲の方を見ると、少し笑ってこっちを見ている。


 午後の講義も集中できる気がしない。



 約束の土曜日になった。海には、どう行けるのか調べてみると、バスが出ているらしい。咲にそれを伝えると、『バスで行こう』って、話が進んだので、駅で待ち合わせをしていた。


「海か」


 自分の記憶にある、最後の海は小学生の時、家族みんなでバーベキューをした時以来だ。


「お待たせー!」


 過去の記憶を思い出していると、咲の声が聞こえた。振り向くと、白いワンピースを着て白の帽子を被った咲がいた。普段とは違う服装で、いつもポニーテールにしていた髪をほどいている。いつも見ない服装に髪型、珍しかった。


「いつもと違う服装しているね」


「そうでしょ? 海と言ったら、これかなって思ってタンスの奥から引っ張り出してきちゃった」


 咲は、とてもご機嫌らしくスカートを揺らしてみせる。


「似合っている」


「ありがと」


 咲は笑顔で、返事をした。

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