第一章 始まりの下層

第2話 鉄屑の火葬場

 ここは宇宙船・アスガルドの下層に広がるスラム街、ミドガルズ。数千年前、テラ・リストーリングプロジェクト(地球復元計画)によって、地球を脱出した子孫達が乗っている船だ。現在のアスガルドは富裕層が住まう上層と、貧困層が暮らす下層に分かれているので、貧富の差が激しく、下層にいる人間は苦しい生活を余儀なくされていた――。


「ハァ……ハァ……あー、ちょっと休憩!」


 俺は鉄屑の山から滑落しないよう、ずり落ちてきた迷彩柄のリュックサックを背負い直した。どこまで登ってきたのか興味本位で視線を下へ向けると、かなりの高さになっていることに気付く。もし、ここから落ちたら良くても大怪我。最悪、死んでしまうだろう。自分が死体になって転がってる場面を想像しただけで足が竦みそうになったので、俺は無理矢理にでも視線を上げた。


「せっかくここまで必死に登ってきたのに、落っこちるなんて冗談じゃない! よしっ、もう一踏ん張りだ!」


 俺は額から流れ落ちてきた汗を袖で拭い、息を整えてからまた登り始めた。頂上まで後少し。上まで登れば、この辺り一帯を見渡す事ができる。そしたら、どのエリアを重点的に探せば良いか、見通しがたつというわけだ。


「ぐぬぬ……よっこらせっと! ふぅ、やっと頂上だ。それにしても、ここは特に〝貴族の尻穴〟が近いせいか、めちゃくちゃ臭うな。このままだと鼻がもげちまいそうだ」


 鉄屑が重なり合ってできた山の天辺に立ち、俺は自分の鼻を摘みながら天を仰ぐと、宇宙船に乗ってるとは思えない、ツギハギだらけのプレートが視界一杯に広がった。


 繋ぎ目の部分が錆びたプレートには、大から小のラッパのベルを思わせるような黒い穴が不規則な間隔で空いており、その穴から上層で使わなくなった鉄屑や食べ物の残りカスが、決まった時間に落ちてくる。俺はその鉄屑と食べカスの中から、ある物を探しに汗水垂らして登ってきたというわけだ。


「それにしても、上層の奴等! 下層に住んでる人間をなんだと思ってるんだ!? 下層は肥溜めじゃねぇんだぞ! ちったぁ俺達に配慮しやがれ、ばぁーかっ!」


 俺の頭上に開いてある〝貴族の尻穴〟に向かって怒鳴ってしまったが、下層に住まう殆どの人間は、この穴を疎ましく思うことができない理由があった。


 下層に住まう人間達は、その穴を軽蔑と侮蔑の意味を込めて〝貴族の尻穴〟と呼ぶ。しかし、この穴から落ちてくる物は鉄屑と食料だけではない。滝のようになだれ込んでくる鉄屑の中には、上層の人間達が使わなくなった宝物が紛れ込んでいることがある。下層の人々は一攫千金を求めて、スラム街でも指折りの危険地帯であるへ〝鉄屑の火葬場〟足を踏み入れるのだ。


「早く目的の物を探し出して、さっさとずらかろう。今日は焼却の日だし、日付が変わるまでに目的の物を探さねーと丸焼きにされちまうしな。おーい、ロイドー。早く上がってこいよー。俺、まだピチピチの十五歳だぜ? 黒焦げの死体にはなりたくねーよ」


 座るにはちょうど良い大きさの鉄の塊があったので、俺は腰掛けて呑気に欠伸をする。暫く待っていると、ハァハァ……と荒い息遣いが俺の後ろの方から聞こえてきた。


「イ……イグニス兄ちゃん、早いよ……」


 声変わり前の弱々しい声が聞こえてきたので、俺は後ろを振り返ってみる。すると、細くて真っ白な腕が助けを求めて手を伸ばしているのが見えた。


「お、意外と早かったな。もう少しかかるかと思った」


 俺は立ち上がり、細い手首を掴んで軽々と引っ張り上げてやる。地面に降ろされた後もロイドは、ゼーゼーと息を切らし、暫くその場から動けないでいた。


「あ……ありがと、イグニス兄ちゃん。でも、もう少しゆっくり登ってくれたら、ゲホッ。嬉しいかな……」


 俺の足元で四つん這いになって息を整えているのは、弟分のロイドだ。俺と同じ孤児院出身で、年齢は俺より三つ年下の十二歳。サラサラとした珍しい銀の髪に加えて、背は平均よりも低め。男にしては可愛いらしい顔立ちをしているので、孤児院に来る前は女の子と間違われて、人買いに攫われそうになる事が多かったらしい。


 そういった経緯もあって、孤児院では一人で静かに本を読んでいるだけの無口な少年だったが、俺と連むようになってからは、元気に外で走り回るようになったのだ。


「体力なさすぎだぞ、ロイド。まだまだ俺には敵わないな」

「イグニス兄ちゃんが早すぎるんだよ。いつ崩れるかわからない鉄屑の山をあんな速さでは登れないって、皆言ってる」


 ようやく息が整ってきたのか、片膝を着いて立ちあがろうとしていたので手を差し伸べたが、俺の手のひらと顔を見て、クスクスと笑い始めた。


「イグニス兄ちゃんの手、金属と油で真っ黒になってるね。そのせいで顔も真っ黒だよ、ほら」


 ロイドが胸ポケットから小さな鏡を取り出し、俺の顔を映す。鏡に映っていた俺の顔は額から頬にかけて真っ黒に汚れており、真っ赤な髪は埃を被って白くなっていた。


「……いつの間にこんなに汚れてたんだ?」


 俺は服の袖でゴシゴシと自分の顔を拭いてみる。だが、黒い汚れは頑固で落ちにくく、ますます酷い顔になってしまった。


「それ以上擦らない方が良いよ。そのままでもイグニス兄ちゃんはカッコいいし、帰ってから落とそう。それより、今日こそは見つかるかな?」


 ロイドが言ったアレとは、ヴァルキリーを起動させる為の必須アイテム〝オーブ〟のことだ。ヴァルキリーは人型の軍用兵器として扱われ、主に隕石を撃墜する為に使われているという。俺は本でしか見た事がないが、この宇宙船から外へ出ても自由自在に飛べる光の翼を持っているらしい。


 しかし――何故、そのヴァルキリーが俺達の間で話題に上がるのか? それはつい三ヶ月程前、俺達が〝鉄屑の火葬場〟の探索をしている最中に、廃棄されたヴァルキリーを発見したからだ。


 本に載っていた物と形状が少し違っていたが、俺はヴァルキリーなのだと強く確信した。基礎となる骨格フレームが一部剥き出しの状態で、肩部分の装甲が赤錆に覆われていたが、ヴァルキリーさえ動けば上層へ行くことができる。もうこんな危険地帯に足を踏み入れずとも、真面目に働いてお金を貯めて、ロイドと一緒に人並みの生活を送ることができる。そう判断した俺は、スラム街でジャンク屋を営んでいるジャックおじさんを尋ねた。当初、軍と関わりを持ちたくないと突っぱねられてしまったが、根気強く二人で頼み込み、俺が毎日晩飯を作って、ロイドが送り届けるという条件付きで、ヴァルキリーを堀り出してもらった経緯があるのだ。


 俺は〝鉄屑の火葬場〟を見渡した後、困ったように頭をボリボリと掻いた。早く見つけたいと思ってはいるが、〝オーブ〟を本でしか見たことがない上に、様々な色や形をした宝石をこの広大な鉄屑の山から探し当てるのは、限りなく不可能に近い。頭では理解はしているが、ヴァルキリーが動くのを見たいという好奇心には勝てなかった。


「オーブなんて超レアアイテム、簡単に見つかったら面白くねぇだろ? 俺達の輝かしい未来を掴み取る為にも、頑張って探そうぜ」

「うん、そうだね。根気強く探すしかないよね」


 ロイドが眼下に広がる鉄屑の海を見渡した。顔には出ていないが、心の中では面倒だと思っているかもしれない。けれど、自分の睡眠時間を削ってまで付き合ってくれているのは、俺としても非常に有り難かった。


「よし、そうと決まれば早くやろう。今日は焼却の日だからか、いつもより漁り甲斐がありそうだ。日付が変わるまで残り三時間。俺はこの山の中を調べてみるから、ロイドは山の表面を探してみてくれ。時間が余ったら他の場所も調べよう。今から二時間後に入口の前で集合な」

「うん、わかった」


 俺はポケットから小型の通信機を手に取り、表示された時刻を互いに確認して、タイマーを設定する。俺の通信機は画面の表面が派手に割れていて時間が見づらく、ロイドの通信機は画面にタッチしても反応しないことが多々あったが、時間の確認と音声通信ができるので、お互い困ることはなかった。


「さて、くれぐれも遅れないようにしてくれよ? こんな夜中に孤児院から抜け出してるのがバレたら、先生に叱られちまうからな」

「わかってるよ。イグニス兄ちゃんも遅れずに帰ってきてね。それからエッチな本とか、いかがわしい物は絶対に拾ったら駄目だからねー!」

「バッ……そんなの誰が拾うか!」


 俺の反論も虚しく、ロイドはリュックサックの中から自作のホバーボードを取り出し、物凄いスピードで鉄屑の山を駆け降りていった。

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