第6話 予想外の正徳寺会見

 天文22年(1553年)4月、那古野城・大広間。


 ──信長が沢彦たくげんと名乗り側近に志願してから数日後の朝、美濃国との会見が迫り、ノブは信長と最終確認をしていた。最近では城内で信長が袈裟をまとい僧侶姿の時、『タク』と呼ぶことにすっかり慣れていた。


「タクよぉ、やっぱり正装しなきゃダメなのか?」


 ノブは顎髭を撫でながら、不満げに尋ねた。この頃は口元と顎に髭を生やして当主の風格が出ていたが、正装すること──羽織袴は彼にとって窮屈で着るのが面倒なため拒んでいた。


「もちろん、正装してください。いつもの服装で現れたら、それこそ交渉決裂で首を取られますよ」


 ノブの普段着といえば、タイムスリップのときに着ていたと、持ち合わせていた2であった。


 それ以外にも城に出入りする宣教師に頼み、南蛮(主にスペインやポルトガル)製のズボンやフリル付シャツなどを手に入れ、周囲から見ると奇抜な洋服を好んで着ていた。


「じゃあ、寺に着いたら正装するから、それまでランから取り上げたマントを羽織っておくのはどうだ?」


「……仕方ないですね。マントで服が隠れるから、よしとしましょう。ランさんには寺に着いたら、正装させるよう伝えておきます」


 ノブの妥協案をタク(信長)は呆れ顔で、渋々了承した。会見には小姓として仕えているラン(蘭丸)も同行することになっていた。

 

◆◇◆◇◆


 会見当日、ノブは鉄砲隊・長槍隊・弓隊、1,000人程の大行列を率いて那古野城を出発した。


 一方、会見場所の正徳寺には美濃国側が約束の時間よりも早く到着していた。家老の堀田道空に会場の準備を任せ、斎藤道三は側近の明智光秀を連れて、町外れのさびれた小屋に潜んでいた。噂に聞くノブナガがどんな男か、自分の目で確かめておきたかったのだ。


「殿、間もなく一行がやって来ます」


 光秀の言葉で、道三は障子の隙間から見える道を眺めると、木々の影から行列の先頭が見えてきた。


ノブは行列の中央で長い黒髪をうしろで束ね、耳にはピアスを複数つけた容姿に真紅のマントをまとって、馬に乗っていた。


「光秀! あれがノブナガで間違いないな」


「はい。相違ございません」


「よし、戻るぞ」


 ノブを間近で見ることもなく、立ち去った道三の考えが理解できないまま、光秀はあとを追い正徳寺に戻った。


 ──尾張国側が正徳寺に着くと、仕切り役の堀田道空が出迎えノブは対面する部屋へと案内された。内部は立派な金屏風が立てめぐらされており、その中央で会見する手筈のようだ。まだ道三の姿はなかったので、部屋の隅にある柱に寄りかかり待っていたが、そのまま眠ってしまった。


 やがて、部屋で目を覚ましたノブは、ひとりの男が座ってこちらを見ているのに気づいた。


(誰だ……? このハゲオヤジは)


 この心の声が、美濃の蝮と言われる斎藤道三の第一印象であった。そして、慌ててノブが形式的な挨拶をしようとしたとき、道三が口を開いた。


「お前、随分と見ないうちに、凛々しい顔になったな」


「……?」


「わからないのか? 俺の顔をよく見てみろ」


 困惑した顔をしていると、道三は袴を捲り上げ自身の足を見せた。そこには、この時代のものではないが露出していた。


「あっ!」


 目の前にいる斎藤道三は、西暦2150年にノブが所属していたレジスタンス組織『イレイジャー』のボスであるミネ・チョウジだったのだ。


「やっと思い出したか──久しぶりだな……ノブ」


「無事だったのかぁ……でも何でボスが道三なんだよ?」


「いろいろと事情が……」


「ちょっと待ってくれ! 事情を知ってる者を呼んでくる」


 そう言ってノブは話を遮り、慌てて部屋を飛び出して、ランを連れて戻ってきた。そして事情を知ったランは、この時代に飛ばされてからこれまでの出来事を簡潔に説明した。


 その話を聞き終わると、チョウジ(道三)が自身のことを話し始めた。


 彼は25年程前の美濃国にタイムスリップしていたらしい。そこで武芸に優れていたことで、当時の守護代・長井氏に仕えた。その後、数々の功績が認められ斎藤家の家督を継いで『斎藤道三』になったという──。


 お互いの説明が終わるとチョウジ(道三)が、ある疑問をランに問い掛けた。


「お嬢さんの説明で状況は理解した。そこでだ──俺、この時代で結婚して子供もいるんだが……これマズいんじゃないのか?」


「「えーっ!」」


 ふたりが口を揃えて驚いた。


「ラン、どうなんだ──ヤバいのか?」


 ノブは不安そうにランの顔を覗き込んで、答えを待った。


「……今のところ──わたし達の体に異変は起きていません──もしかすると、この時代は、にあるのかもしれません」


「ああ、なるほど──だから?」


 チョウジ(道三)は結論を急がせた。


「ですから──ギリギリセーフなのかなぁ……」


 ランは、そう言って苦笑した。彼女は自分でも確信が持てなかったが、それ以上は言えることもなかった。


「よっしゃー!」


 それを聞いたチョウジ(道三)は拳を握りしめた。


(何がギリギリセーフだ。それに、あのガッツポーズは何なんだよ!)


 ノブはツッコミを入れたかったが、黙ってスルーした。そして、お互いの説明がひと区切りし、ここでランは退室していった。


 再び、ふたりだけになると『イレイジャー』のメンバー達が、どうなったかを確認し合った。ヤシュケス(弥助)が無事でいると聞いたチョウジ(道三)は安堵したが、他の行方はお互い知らず、安否を思うと言葉もなく重苦しい時間だけが過ぎていった──。


 しばらくすると、チョウジ(道三)は部屋の外に誰もいないことを確認してから、低いトーンで話し掛けた。


「ところでノブ──頼みたいことがあるんだが……」


 昔から頼み事をするときは、何か裏があるので嫌な予感がした。


「実は──俺の名のチョウから『帰蝶』と名付けた娘がいるんだが……そちらで預かってくれないか?」


「えっ!? いきなり何言ってんだよ」


「長男(斎藤義龍)と反りが合わなくて──あいつ、裏で何か企んでいるらしいんだが……。それでもし、俺に何かあったら……娘を守ってやってくれないか」


「それは……家族で話し合って、解決できないのかよ」 


「………………」


 チョウジ(道三)は黙って、頭を下げた。


 その姿を見て何か思うところがあるのだろうと感じ、ノブは黙って頼みを引き受ける気になった。かつて、織田信秀からも同じように懇願されたのを思い出したからだろうか──。


「……わかったよ。オレはボスに拾われた恩もあるしな」


「そうか!じゃあ──数日後に嫁がせるから、よろしく頼む」


「ん……ちょっと待ってくれ! いま『嫁がせる』って言わなかったか?」


「何か問題あるか? 娘を安全に守ってもらうには、お前と結婚させるのが最善の方法なんだよ」


 突然の結婚話にノブは動揺した。それを見透かしたようにチョウジ(道三)は、話をまとめにかかった。


「まあ、形だけでも結婚することにしてくれ。それに斎藤道三の娘を嫁にしたとなれば、お前の格も上がるってもんだ。頼んだぞ!」


(……ボスに丸め込まれた)


 ノブが沈黙していると、チョウジ(道三)は廊下に向かって声を掛けた。すると、ひとりの男が部屋に入ってきた。


「この者は『明智光秀』と言って、家臣の中で、いちばん頭が切れる男だ。今後は、お互いのパイプ役になってもらうから、お前に会わせたくてな。少々まじめすぎるが……」


「明智光秀でございます。以後お見知りおきを」


 緊張のためか無表情であったが、礼儀正しく頭を下げたその動作は、機敏且つ丁寧で、まじめな性格がうかがえた。


 そして光秀が退室すると、チョウジ(道三)が思い出したかのように話し掛けてきた。


「ところでノブ。確認するが、美濃と尾張が同盟を結ぶことでOKだよな?」


「ああ。もちろん、OKだ」


 ──こうして会見は2時間程で終了した。


 この時に結んだ尾張国と美濃国の同盟関係は、ノブにとって初めての外交的成功で権威を確立する要因となり、その後の織田家内部で家臣達の動きに大きな影響を与えることになった。また近隣諸国に対しては、尾張国への侵攻を抑止する効果があったのである。


 しかし、内容は身の上話が大半を占めて、同盟締結に要した時間は1分にも満たない、何ともお粗末な正徳寺の会見であった──。

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