第5話 人はいつだって臆病な生き物でしょう

 冬は太陽が駆け足で西に走っていってしまう。太陽も冷えた体を温めたいのだろう。

 ただ君がすぐいなくなるせいで、こっちも寒い思いをしているのはおそらく気づいていない。


 人気のないだだっ広い図書館を蛍光灯がけたたましく照らす。時刻は午後5時近く、窓には赤錆びたような仄暗く不気味な空がへばりついていた。


「草津さん!」


 集めた書籍を置き去りにして駆けつけた先に、ひどく苦しそうな草津さんが横たわっていた。普段の美しい白い肌は、血の気を失ってさらに白く無機質になり、唇は青くくすんでいる。


「草津さん大丈夫!?顔色が……それに汗もすごいかいて」


 散らかった本を退かし、草津さんの近くに膝をつく。

 冬なのに草津さんの顔には汗が滲んでいた。病的な顔を見れば、図書館の暖房のせいではないのは明らかだ。辛そうに呼吸をする草津さんは返事をする余裕もなく、息を吐くのに合わせて小さく喘いでいる。


 どうしてこうなった。本を探すのに時間をかけ過ぎてしまったからか?いや、そもそもあのとき止めておくべきだったんだ。明らかに具合の悪そうだった草津さんの言葉を鵜呑みにして、しつこいと思われたくないから、きちんと話をするという面倒事から逃げてしまった。


「と、とにかく、職員さんに救急車を!」


 緊急を要するこの事態、救急車を呼んでもらおうと職員のいる一階へ向かうために、階段へ顔を向ける。


「ま、待って……」


 すると、今にも消え入りそうな声で草津さんが俺を止めた。


「だ、大丈夫だから、大したことないから……」


「い、いや、大丈夫なわけないだろ!こんな状態見てそのままにはしておけないよ!」


「ほんとに大丈夫なの……よくあることだから……」


「で、でも」


「ほんとに、ほんとに大丈夫だから。横になってればすぐに……」


 そう言うと、草津さんはゆっくりと仰向けに姿勢を移し、深呼吸した。少しでも多く酸素を取り込もうと大きく肺を膨らませ、震える息を吐き出す。すると、草津さんの言う通り、ものの数分で顔色は元の血色を取り戻した。


「ほ、ほらね?元通り」


 彼女は仰向けのまま下手くそな笑顔を見せる。


「ほらねって……」


 なんとも言えない笑顔に俺は顔を引き攣らせる。

 確かに顔色は良くなった。けれど、だからって何事もなかったとはならない。彼女は倒れたのだ。青ざめて、暑くもないのに汗をかいて、本を置く暇もなく。それが明らかに普通ではないことは医者ではない俺にでも理解ができる。


「……念の為、病院行った方がいい」


「い、いや、ほんとに大丈夫だから」


「あんな状態、何もないわけないじゃないか」


「……ほんとに、ほんとになんともないから」


「動けないようだったら、やっぱり救急車を呼んできてもらおう」


「大丈夫だって!!!」


 再度職員のいる一階へ向かおうと身を翻したところで、草津さんが俺の服の裾を両手で掴んだ。普段静かな草津さんの大声に驚き、向き直ると、すがり付くような様子で服の裾を引き寄せ、俯いている。


「お願いだから……本当になんでもないから、だから、大ごとにしないで……」


 今にも泣き出しそうなか細い声で、草津さんは続ける。


「私の体が変なんだってこと、自覚させないで……」


 切実に、草津さんは懇願した。両手の震えが裾を伝ってくる。


 彼女の必死の訴えに、俺は身動きが取れなかった。震える姿があまりにも哀れで、彼女の意思に背くことは何か彼女に追い打ちをかけてしまうような気がした。

 それに何より、彼女の「自覚させないで」という願いは、俺が何よりも身に染みて理解しているものであった。たとえ問題がなかったとしても、周りの人が心配することによって、やはり自分が変なのではないかと不安になる。

 

 思い返してみれば、草津さんの体調について気になることはいくつかあったが、それを納得するまで聞いたことはなかった。特にあの異常なほどの居眠りは何かありそうだ。それを話してもらってから病院に行くか判断するべきだろう。幸い、草津さんは今意識もはっきりしているし、裾を握る手を見れば、体に力を入れることもできているとわかる。緊急性はあまり高くないように思う。


 俺は草津さんの震える手をしっかりと包み込み、彼女と目線を合わせるよう座り込んだ。


「わかった、今はまだ救急車を呼んだりはしない。だから、話してほしい。草津さんが今抱えているものを、それが君の日中の眠りに関係しているのかを。それを聞いた上で病院に行くかどうか相談しよう」


 真剣に向き合うべきだと思った。彼女と、彼女の抱えているものと。それは、同じ班になったからというだけではない。どこか草津さんは俺と似ているのだ。ともに目の前にある喫緊の問題から目を背けている。ひどく身勝手な理論づけだが、彼女と向き合うことで俺自身とも向き合える、そんな気がした。


「うん……ありがとう、ありがとう有馬くん」


 草津さんは鼻をすすりながら、涙を湛えた目を隠すように俯いた。強張り、迫り上がっていた彼女の肩はゆっくりと弛緩し、体の震えも止まっていた。どうやら落ち着いてきたようだ。


 しかしなんというか、絶賛病院拒絶中のやつが何言ってるんだろうな。自分で自分が情けなくなってくるよ本当に。

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青年期なんていうひどく中途半端なヤツが俺たちを眠らせてくれない 岳南洛 @joraku

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