青年期なんていうひどく中途半端なヤツが俺たちを眠らせてくれない
岳南洛
プロローグ 青年期なんていうひどく中途半端なヤツが俺たちを眠らせてくれない
青年期。定義的にはなんだか色々とややこしいいのだが、感覚的には思春期の終盤である10代後半から20代中盤くらいまでの期間。つまりは高校を卒業してから大学を卒業するまでの、多くの人間が自立を始める時期。そんなイメージ。
中学から高校までは、自分一人じゃ何も出来ないくせに大人ぶって、親や教師に反抗して、悩みを抱えて暴走して。
友達と集まってちょっと夜遅くまで遊んで、ちょっとハメを外してみて。
そしてみんなで怒られて、怒られちゃったなって反省もそこそこに笑い合って。
またあるいは恋に焦がれて、理屈とか打算とか抜きに好きで好きでたまらないあの子に告白して、「マジで一生お前を愛する」って子どもらしく無邪気に笑って。
別れて、泣いて、泣いて、ちょっとやさぐれて、親に心配されて、結局怒られて、友人と別れ話を馬鹿みたいに笑い合って、また考えなしに恋をして。
それでも間違いなく人生の主人公で、人生で一番輝いていて、大人ぶって反抗しても、ちょっと悪いことをしても、所詮はまだ子どもだからと親から警察から社会から許される無敵の期間、思春期を過ごす。
けれどそんな思春期の象徴たる高校生活も終わりを迎えると、社会は別人のように突如として見る目を変える。行動全てに大人らしさを要求し、少しでも大人を忘れようものなら「大人にもなって」「子どもじゃないんだから」と冷ややかな目で蔑む。恋愛にも冷静さを求め、打算的でない恋愛はガキっぽいと揶揄う。悩みがあっても、あまり助けを求めるべきではない、自立した大人なのだから自分一人で解決するのがクールだと、そういうものは表には出すべきではないと、そういう振る舞いを要求される。
しかしながら、人は18歳を終えた瞬間に人格が変わるわけではない。見てくれは確かに大人だ。それでも、こころは大人になりきれていない。社会が大人として認識しても、着こなしたスーツを捲ってみれば、思春期の頑固な垢がまだまだ落としきれていない。
つまり青年期ってヤツはひどく中途半端なのである。こころが大人になりきれていないのに身体が大人なせいで大人を求められる。盲目的な恋愛がしたいのに、大人の恋愛にステータスや将来性や経験を求める社会がそれを許さない。悩みを吐き出したくても、自己処理できないなんてみっともないとする社会が許さない。どうしてもこころと社会の常識の乖離を埋めることができない。
そんなどうしようもなくチグハグで噛み合わない砂浜に散らばる二枚貝の貝殻のようなもどかしさが俺たちを安らかに眠らせてくれない。
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