ロング・ガールズ!~ボッチな私と小さなお姫様が世界を救って本を作るまでの顛末、あるいは人が人を信じる話~

波岡 蓮

お姫様とわたし

ひとりぼっち、出会う。

 昔から本が好きだった。


 好きになったきっかけは分からない。ただ、本の中の登場人物は皆魅力的で、彼ら・彼女らの人生を垣間見るのがとても楽しかった。

 そこに元来人見知りで人付き合いが苦手、更には嫌な記憶も相まって、私は現実よりも本の世界にズブズブとハマりこんでいった。


 高校生になってもその傾向は変わらず、それどころか更に悪化していった。

 だから、高校で文芸部に入ったのは必然だったと言えるだろう。他の部員が幽霊部員ばかりであるというのも気に入った。


 本を読んでいる間だけは心が安らいで、全てを忘れられるようだった。そうすると必然、1人で本を読む時間は更に増える。

 かくして、私は孤独になった。



 ━━━━━そしてその日も、私は家に帰らずに部室で本を読んでいた。




 ***




「なあ、」


 夢中になって本を読んでいると、背後から声が投げかけられた。


「ひゃ、ひゃいっ!?」


 文字に没頭していたため声をかけられるまでその人物の接近に気付けなかった私は肩をビクつかせ、酷く間抜けな声をあげて振り向いた。


 声の主を視界に収めてまず感じたのは、『美しい』という感情だった。

 透き通るような真っ白な肌に、サラサラと流れる長い金髪。細い華奢な手足はキッチリと制服に包まれて露出も無く、高校生にしては低い━━ドアの高さから見て140cm程しか無いだろう━━身長も相まって、まるでおとぎ話のお姫様のように感じた。


「……そんなにビビんなくてもいいじゃねえかよ。横通りたかっただけだ、悪かったな」


 何も言えなくなっていた私に向かって彼女は短くそう言うと、そのままズカズカと私の安寧の地へ入り込んで来た。

 私は少しの間ポカンとしていたが、すぐに我に返って慌てて彼女を止めた。


「あっあの、ここは文芸部の部室でして……」

「あ?知ってるよ」

「ですので、あの、部員以外の方は基本入れないので……」


 存外荒っぽい彼女の口調に萎縮しながら、尻すぼみな声で主張する。彼女の言葉遣いに加えて他人と話すこと自体が久々すぎて、もう色々と限界なのだ。


「……ん、もしかしてお前。アタシが部外者だと思ってんのか?」

「え、まあ、はい……」


 怪訝そうに尋ねられ、素直に答える。すると彼女はひとつ大きなため息をついて言った。


「アタシは文芸部ここの部員だ、2年のな」

「え、私以外に部員いたんですか?」

「……お前、案外そういう事言うんだな」


 先輩だったのかという驚きもあり、言葉を取り繕えなかった。彼女はため息をついて部屋の隅から引きずってきた椅子に座る。どうやら部員というのは本当らしく、言葉の荒っぽさとは裏腹に読んでいるのは耽美派の純文学であった。


「その本、面白いんですか?」

「ああ?まあ、そうだな。10点満点中7点ってとこだ」


 やけに尊大なその口調がおかしくって、思わず少し笑ってしまった。


「……あんだよ、何か文句あんのか?」

「い、いえ!ただその、言い方が面白いなって。それより、その作者好きなんですか?」


 私が普段読まないタイプの小説だったため少し興味を持った。表紙を指さしながら言うと、彼女はああ、と頷いて


「アタシが好きってんじゃねえよ。ただまあ、弟がこれ好きだったから」


 つう、と表紙のタイトルを撫でる。慈愛に満ちた瞳と一瞬の翳りが見えた気がした。


「……綺麗、ですね」


 ぽろりと零れた言葉。なんて事はない、しかし本心からの言葉ではあったのだが、


「……そうか」


 どこか冷たい返答に少しばかり困惑する。そこから少しの間の沈黙。それを破ったのは自分ではなく彼女の方からであった。


「……あんた、名前。名前なんて言うんだ?」

「す、周防すおう 加奈子かなこ、です」


 急な問いかけに少しつまりながら答える。


「そうか。じゃあ呼び方は『カナ』でいいか?」

「カッ……!?」

「なんだ?嫌だったか?」

「い、いえ!嫌じゃないですけど……」


 いきなりあだ名で、しかもその名で呼ばれるのは想定していなかった。めちゃくちゃアクティブな人だな、と思いながら慌てて答える。


「そういやアタシがまだ名乗ってなかったな。アタシは白音しらねあおい。よろしくな、カナ」

「……よ、よろしくお願いします、白音先輩」


 言葉と共に差し出された手をおずおずと握り返す。病的なほどに薄くて小さいけれど、自信に満ち溢れた手だった。




 ***




 初めて白音先輩と会ったあの日以降、 彼女は毎日文芸部に顔を出すようになった。そうすると必然、私とも毎日顔を合わせる事となるわけで。

 最初こそ静かな1人の時間を乱された事への抵抗感もあったのだが、それも段々と薄れていった。先輩は案外喋るのが好きなようで、口数の少ない私に何度も話しかけてきた。


「カナ、この作者の本読んだことあるか?」

「ええ、何度かありますけど……」

「良かった、ならオススメのヤツ教えてくれないか?」


 それは例えば、オススメの本についてだったり。


「カナって、どんなジャンルの小説が好きなんだ?」

「私は……取り立ててコレ、ってよりは物語そのものが好きな感じです」

「……そりゃ、良いな。良い事だ」

「その、先輩は。先輩の好きなジャンルは何なんですか?」

「アタシ?アタシは……ミステリとかかな。ま、それ以外も読みはするけど」


 それは例えば、お互いの好みについてだったり。


「……大丈夫ですか、先輩。顔色悪いですよ?」

「いや、ちょっと寝不足でな」

「睡眠はしっかり取ってください。それに、夏なのに長袖着てるってのも多分体調に良くないのでは……?」

「お前、 アタシのアイデンティティの1つを奪う気か?」

「それ、キャラ付けだったんですね……」


 時には、私から話しかけることさえあった。


 大抵はどうでもいい、些細な話題ではあったが。それでも、私たちが打ち解けるには十分だった。

 話している時も、話していない時も。話題が途切れて無言になっても不思議と気まずさは無く、むしろ心地よいとさえ思えた。


 そして何より、


「…………」


 本を読んでいる時の白音先輩の横顔を眺めること。それが私にとって、至福の時間であった。

 別に先輩の事が好きだとかそういう訳では無い。ただ、美しい景色に見惚れるような。そんな感覚だった。


「……い、おい。聞いてんのか?」

「えっあ、すみません、もう一度言って貰ってもいいですか?」


 ぼうっと見つめていたら怒られてしまった。慌てて謝ると、呆れられたようにため息をつかれる。


「今日の昼に生徒会から言われたんだけどな。この文芸部、活動記録というか実績がなんも無いんだよ」

「……そういえば、そうですね」

「んで、そんな部活に部室と部費を与え続けるわけにはいかないって言われちまったんだよ」

「そうで……え、ほんとですか?」


 うんうんと頷きかけて問い返す。


「じゃあどうするんですか、これ?」

「どうするって、お前。そんなん決まってんだろ」


 にやり、と白音先輩が悪戯っぽく笑う。


「まず、ここは文芸部だろ?」

「そうですね」

「つまりは小説が好きな奴らの集まりってことだ」

「今のところ、私と先輩以外の部員は見たことありませんけどね」

「確かにそうだけど。小説を好む奴らが残せる実績って言ったら、それはもう一つしかないだろ?」


 先輩の話を聞くうちに嫌な予感がむくむくと大きくなってきた。


「先輩。まさかとは思いますが、もしかして」

「そう。そのまさかだ」




「カナ。アタシとお前で、本を作るぞ」




 ◆




 この高校の文化祭は6月下旬に開催される。その理由は3年生の受験勉強と被らないようにするためだとか、修学旅行の日程との兼ね合いだとか、はたまた単なる逆張り精神だとか色々と言われている。

 そして今はちょうど7月になった頃で、今年の文化祭はついこの間終わったばかりである。だから、もし本を出すならおよそ1年は期間があるのだが、


「いやいやいや、そんなの出来ないですって」


 そうしましょう、と即答できるようなものでもなく。


「なんだよ、やってみなきゃ分かんねえだろ」

「だってそんなネタも無いですし、書いたところで読んでくれる人がいるとは思えませんし……」

「あーもう、いいだろ!」


 先輩がバン!と机を叩く。


「とにかく何かやんなきゃこの部活は潰れるし、そしたらアタシもお前もこうして本を読む場所がなくなっちまう。そうだろ?」


 この本棚を持って帰るわけにもいかないしよ、と壁の一面に並べられた本棚を指さす。本の詰まった本棚には文庫本からハードカバー、果ては学術書のようなものまで並んでおり、なるほどこれを持って帰るのは不可能なように思われた。


「まあとりあえず、ネタ探しから始めようぜ」

「……はい」


 渋々ながら了承する。それ以外に方法が思いつかないのだから仕方がない。



 これが、高一の夏のこと。まだ平和だった頃。




 私はこの日からの一年間を、決して忘れないだろう。

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