ひのきの棒の幸せ論

母に要望を却下された香は、不本意ながら私立の中学に入学することになった。

そして……

「ねえねえ、見た?隣りのクラスの杉原さん」

「見た見た。ほんとに美人でびっくりした」

「いいな~。私もあんな顔で生まれたかったなぁ」

「今度、話しかけてみようよ!友達になれるかも」

「女ってのは馬鹿ばっかだな、あれのどこが美人だよ。ただのブスじゃん」

「は?お前視力ないんじゃないの?鏡って知ってる?」

「違う違う、鏡見すぎて美的感覚が……ほら」

「あー……なるほどね」

「な!お前らもう一回言ってみろ!」

「何回だっていってやるわよ、この不細工!」

不毛なクラスメイトの会話の内容から、知りたくもない情報が毎日舞い込んでくる。

もう少しだけ、もしかしたら違う学校に行った可能性もある……という、希望を持っていたかった。

いや、そもそも香の勘が彼女がここにいる事を告げている以上、ただ事実確認が取れた、というだけの事なんだけど。

「父さんに言いつけて、お前んとこの会社との取引やめてやるからな!」

「は?親は関係ないでしょ!?」

「会社倒産して泣くなよ!このブス!」

捨て台詞を残して、教室を出ていく男子生徒を目の端で追う。

彼に付きまとう傲慢の影に潜む没落の気配。

親の財力と権力がそのまま、子供のカースト位置を決めてしまう私立独特の感性。

それはまるで、自分では戦えない主人公が、代わりに使役している動物やゴーストを戦わせるゲームに似てるな、と香はなんとなく思う。

盾であり、剣である存在を失った時、主人公は果たしてどうなるのだろう。

そんな事をぼんやりと考える。

自ら剣を取り、傷つきながらも自身の道を歩むのか、それとも敵だからけの世界に怯え、閉じた安全な場所に逃げ込み暮らすのか。

どちらでもいい、と香は思う。

少なくとも、借り物の力でなく自身の足で歩むなら。

いずれ、人は親の庇護を離れて生きていかなければならない。

その力を継承しても、しなくても、本人の価値にどんな違いがあるのだろう。

権力も財力も、身にまとう防具であり、剣。

でも、生きる場所さえ適格に選べば、ひのきの棒で事足りる世界だって存在する。

幸せの価値。幸せの定義。

香は果たして、どの剣を手にこれから生きて行けばいいのだろう。

「……ねぇ、どうしよう。パパの会社……本当に倒産しちゃったら……」

「だ、大丈夫だよ、多分……」

席を立ち、おろおろと動揺するクラスメイトの横を通り過ぎるタイミングで、香は彼女たちに告げる。

「心配ないよ。転校する事になるのは多分、彼の方だから」

そんな気まぐれなアドバイスが、香をクラスの人気者へと押し上げてしまう、なんて予感がなかった事を香は今でも呪っている。


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