電波消失の刹那
てくのぷろぐれっしぶ
それが意味すること
戦略型原子力潜水艦アトリア、――我が国が建造した最新鋭の戦略型原子力潜水艦であり、16基の核ミサイルを搭載し、更にミサイル1基あたり11発の核出力約400ktもの核弾’頭を搭載している。
私が艦長を務めるこの艦は我が国の核戦略を担う十数隻もの戦略原潜のうちの一隻だ。
任務はただ海中に潜み続ける。確実な核抑止力で敵対的な核保有国に核の使用を思いとどまらせるため。
そして、相手が我が国と同盟国に核を使った場合、確実に報復するために。
「時間だ、潜望鏡深度まで浮上せよ」
潜水艦隊司令部からの定期的な通信のために浅い深度まで艦を浮上させる。
そして、アンテナを水上に伸ばす。
基本的に水は電波を通さない。そのため、これをすることにより新たな命令を受信するなどが可能となる。
ちなみに緊急事態や戦時においては超長波とよばれる波長の極めて長い電波を使って専用の航空機から水中の潜水艦に向かって電波で情報を送信するのだが、今のところそんな通信は受信していない。
さて、時間となった。問題が無ければ予定通り作戦終了となり長期の航海から帰航の途に就く。
しかし、何も受信されない。
潜水艦は隠密性が命だ、故に逆探知を防ぐためにこちらから電波を出すことは稀であるが……仕方がない。
無線で呼び出すが反応がない。衛星通信も同じだ。
自分の顔から血の気が引いていくのが分かる。
私だけじゃない、この指揮所にいる全員がそうだ。
いや、待て、偶然繋がらなかったのかもしれない。あってはならないことであっても有り得ないとは言えない。
藁をも掴む思いで持ち運び式のテレビやラジオの電源をつける。
戦略原潜乗りが本国の無事を確認するために昔からやってきた事だ。
この時間帯なら画質は悪いがあの有名な刑事ドラマが見れるはずだ。何せ、全国放送で放送アンテナは北極圏の近くにもあるからな。
テレビは映るが何も受信されない。
昨日使った時は確実に映っていた。"信号なし"もうそんな画面は見たくない。テレビの電源を切る。
きっと電波が悪いのだろう、ラジオなら聞こえるはずだ。特に対外的な発信が主な、多分自国内でほとんど誰も聞いていない国営放送なら聞こえるはずだ。
なにせ、その放送は東側諸国も相手としているからな。
ラジオの周波数を合わせるが、聞こえてくるのは雑音のみだ。
震える手でラジオの電源を切る。
それが意味することは1つしかない。
一気に現実感が無くなっていく、自分が何らかの役を演じているのかとさえ思えてくる。むしろそうであるべきなのだ。
帰ったら何しようか、久々に家族全員で……
一瞬思考を放棄しそうになった時、副長は私の目を見てこう言った。
「艦長、指示を」その目は何かを覚悟したような……いや、何か諦めたかのような目をしていた。
いや、むしろ余計な思考を全て放棄して"実戦"ということだけに集中しているのだろうか……
そうだ、"実戦"だ。
北極海だ、敵味方双方の水上艦艇はほとんど存在しない、この場合敵の対潜哨戒機を警戒しながら速やかに発射体制に移行……
私はハッとしてマイクを手に取った。
そして、マイクを握り艦内全体に放送する。
「艦長より総員に達する。我が艦と本国との間あらゆる通信が途絶した。それと同時にテレビ、ラジオの電波も受信不能である。我々が水中にいる間に本国は先制核攻撃を受けたのだ。」
「敵は綿密で計画的な先制攻撃により、我々の全てを、国家を、家族を、恋人を、友人を、同胞をこの世から消し去ったのだ。」
「我々は是が非でも最後の任務を達成せねばならない。罪も無き者たちを卑劣な攻撃で消し去った者へ相応の代償を払わせなければならない。」
「幸いこの艦は敵の先制攻撃を生き残っている。これは偶然では無いはずだ。だからこそ、殺された全ての者たちのための復讐を、今こそ、我らに課された最後の任務を達成する」
「総員戦闘配置」
すぐさま警報音が数回だけ鳴り響き、この艦の全員が持ち場に移動する。
「アンテナ格納、火器管制装置の安全装置は解除しろ」
そして、数十秒後に副長が「総員戦闘配置完了」と言った時、私は核の発射キーと手紙の入った金属製の備え付けられた赤と白の箱を開ける。
そして、2つある発射キーを取り出しの片方を副長に、もう片方を私が持った。
手紙は首相からのものだ。これは海軍の伝統である。
それを読み、理解し、握りつぶし地面に落とした。
後はキーを艦後方の所定の場所に差し込んで回すだけだ。
副長と共に指揮所を後にしようとした瞬間、ソナー員が「方位126に推進音」と言った。
ミサイルの発射は後回しだ。これが敵だったら発射口を開いた瞬間に沈められかねない。
「音紋は?」
潜水艦の音にはおおよそ艦級ごとに特徴が存在する。音の波形を詳細に分析することによりその潜水艦の正体、敵か味方か、味方の何級の潜水艦か、敵の何級の潜水艦か、といったことまで調べる。敵であれば当然……
「敵です。イオタ級と識別。こちらが発見された兆候なし。推定距離は最大最小共に魚雷の射程内」
恐らく戦略原潜を狩るために展開した攻撃型原潜だろう。この艦の静粛性が高いおかげで今の所一方的に見つけている。だが相手に見つかるのも時間の問題だ。
こちらのソナーはまだ音を聴いているだけだ。自分からソナーで音を出すことが出来るが既に見つけている以上意味は無い。
だが、相手は違う、特に敵はあえてソナーで音を出して見つけることを優先する傾向がある。
静粛性とは基本的に音を出していないソナーから身を隠すためだ。そして音を出していないソナーは相手の大雑把な位置しか掴めないが、その代わり自分の位置を晒さない。
ソナーで音を出す場合は、例え相手が無音であっても正確な場所と距離を掴める。その代わりに使うと使った側の位置も晒すことになる。
相手は自分の位置を晒すこと以上にこちらを見つけることを優先するのは確実だ。彼らの任務は我々に核報復を阻止すること。
ここで沈めるしかない。
「魚雷戦用意、一番二番発射管に魚雷を、3番に囮魚雷を静かに装填」
これまで潜水艦と潜水艦が水中で戦った事例は存在しない。だが、それを残すべき歴史はもうじき存在しなくなるだろう。
「一番二番装填完了」
この敵は何隻の味方を葬ったのだろうか?逆にまだ葬っていないのだろうか?
そんなことはどうでもいい、我々を見つけられず、見つかって沈められる運命なのだったのだろう。
「一番発射管、魚雷発――」
「待ってください!」
「どうした!?」私は声のする方向に振り返る。
「潜水艦隊司令部より全艦に浮上命令です!」
超長波通信……!
私は反射的に「急速浮上!」と命令する。
数回の警告音と共に艦が急速に浮上していく。
そしてマイクを握り「艦長より総員に達する。潜水艦隊司令部より浮上命令だ。帰れるぞ」
力が抜けていく、そして、自然と笑みを浮かべてしまう。
「危なかった、危なかった。間一髪だ」
私は完全に気を抜いた声でそう言った。
みんな張っていた気が一気に抜けたようだ。
笑う者もいれば安堵で胸を撫で下ろす者もいる。
そして、何も考えずにテレビをつけた。最初はノイズが走っていたが、段々と鮮明になり、例の刑事ドラマが映った。
ちょうど今回の話の終わりごろらしい。
他の番組に切り替えてみると、何やら臨時ニュースがやっていた。
指揮所で手の空いてる者全員が食い入るように見る。
広域電波障害、だそうだ。わずか3分間あらゆる電波が使えなくなっていたらしい。原因も明らかでは無い。
飛行機は衝突防止装置や無線にレーダーが一時的に機能しなくなったことで空中衝突事故や墜落事故が世界中で数多く発生したようだ。
未だに規模は不明とされている。
海でも大型小型を問わず船舶どうしの衝突事故が相次いでおり、1部の港湾や運河が使用不能となっている。だが空と比べればほとんど被害は無いに等しい。
有線通信はどうやら生きていたようで、証券取引所では株価の大暴落が起きたようだ。
この艦は運悪く最悪なタイミングでそれに遭遇してしまったようだ。
潜水艦というのは、音を頼りにする。この艦には少なくとも音と有線通信可能な誘導魚雷と衛星による測位が不可能な時に慣性航法装置による自立誘導可能な核ミサイルが搭載されていた。
国家の先端技術の結晶たる潜水艦は、皮肉なことに電波を必要としない。
誰かに探知されない限り、あるいは通信中でない限り、世界は我々の所在も生存も知らない。そして深く潜れば、我々も世界を知ることは無い。
本当に核戦争になるところだったな。
私はそんな事を思いながら、ハッチを開けて浮上した潜水艦の外に出てみることにした。
すると、少し離れたところで水しぶきを上げて一隻の潜水艦が浮上してきた。我々がさっき沈めようとしていた艦だ。
まさか沈められそうだったとは夢にも思うまい。
それにしても、相手も同じ命令を受けたのだろうか、電波が使えない3分間に偶然にも通信を試みた潜水艦は何隻いるのだろうか。
このわずか3分間――1日である1440分のうちのたった3分間で世界に大きな傷跡が残された。
そんな中、世界が滅ばなかったのは不幸中の幸いか……まだ気づいていない者が海の下に潜んでいて、冷戦が熱戦となるか、はたまた熱核戦争で世界が滅ぶか……
戦略原潜だけでも世界に70隻以上存在する。すべてが水中にはいないとはいえ……
3分間の結末を、誰もまだ知らない。
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