オルカ

七春そよよ

第1話

未完成です。

気が向いたら続きを書きます


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 ああオルカ。愛しのオルカ。我が命の光。我が罪。我が魂。貴方はいつも独りだった。私達が蓮沼の庭で出逢った頃、貴方はまるで空の身体に棘を纏っているようで、誰一人己の空虚な胸の内に触れさせるまいと頑なだったのを覚えている。元来優しくて穏やかな筈の貴方を凍てつく百年の孤独が変えてしまったのだろう。それでも瓦礫と灰に埋もれた私を抱き上げ、その時に繋いだ手がとても温かかったので、私はあれから貴方にすっかり安心してしまった。このお方の為に一生を費やしてでも着いて行こうとさえ思った。死が私達を分かつまで傍に居たい。貴方が私の光である様に私も貴方の光でありたい。愛しい私のオルカ。我が光、我が闇、我が最愛の師。

 

 あの日、私は久方ぶりに今は亡き祖父母の邸宅を訪問しに来ていた。オルキナ辺境の崖近くの別荘地にある、庭付きの美しい屋敷は、当時病気がちだった若き祖母の為、さほど裕福でもなかった祖父が有り金を掻き集めて建築家に依頼をして建てたという。祖母は晩年をその海の見える屋敷で穏やかに過ごしたそうだ。二人が亡くなってからは掃除屋がひと月に何度か出入りするくらいで、一年の殆どは放置されている。私が屋敷を訪れる二日前、母から鍵を預かった。書庫にある本を数冊持ってきて欲しいと頼まれたのだ。私の両親は魔法薬屋を営んでおり、店が街の中心部に位置していることもあり繁盛が絶えない。根っからの商売人である為滅多な事が無い限りは店を締めることがないのである。「私が取りに行くのでも構わないけれど、あの家にはあなた幼い頃に行ったきりで、覚えてもいないでしょう。とても綺麗な所だから一度行ってみるといいわ。きっと良い気分転換になるから」母からの有難い提案を受け、私は一週間ほど休暇を貰い祖父母宅に宿泊することにしたのだ。夜行汽車を乗り継いで片道約二日程。夜中私はぐっすり眠り、明け方、窓から差し込んだ薄暗い光で目を覚まし、布団から少しだけ顔を出して車窓を覗いてみると、視界いっぱいに広がる美しい海が見えた。久しぶりに胸が浮き立つような、子供のはしゃぐ様な感覚を覚えた。すっかり目が覚めてしまったので、駅前のクララの店で買った硬いパンに小袋入りのチーズを乗せて食べた。乗車の際に駅員から列車内にも売店があると聞いていたので、布団をケープの様に肩からかけて冷たい車内を歩くと探すまでもなく直ぐに見つかった。売店は列車内の丁度真ん中に位置していた。紅茶が売っていなかったので、仕方なく温かい珈琲を購入した。私はそれを少しずつ飲みながら、流れていく青い景色を暫くの間眺めていた。それから二時間程かかってようやく目的地に到着した。ここで降りたのは私と、黒い帽子を被った魔法使いの老夫婦だけだった。重たい荷物を抱え、古びた煉瓦作りの駅を降りていく。ずっと狭い列車の中に居たため外の風は気持ちが良かった。青々と生い茂る草原に囲まれた細い小道を抜ける。やがて、立派な崖が立ち並ぶ海岸が見え始める。地面はいつの間にか整備された白い石畳に変わり、いくつかの宿泊施設や別荘が見えてきた。石畳の道を通り過ぎ崖に沿って歩いていくと、ほぼ海岸に面した高台付近に祖父母の屋敷はあった。白い木造の壁に青緑色の屋根。家の裏側にはウッドデッキも付いているらしい。見覚えがあるようで無いような気がした。率直に美しい建物だと思った。「お邪魔します」と一言呟き、鍵を使って玄関に入ると、扉はギイと軋んだ音を立てた。家の中はハーブの様な不思議な香りと、古い木造の家の匂いがした。廊下は薄暗く、二階へと続く階段がある。一階には家具が何も置かれていない個室と、祖父の私室、風呂。リビングは閑散としており、白い机と二つの椅子が並べられている。定期的に掃除屋が出入りしているからか、想像していたよりも整頓されており綺麗だった。長旅の疲れが出た私は、荷物を投げ捨てるようにして傍にあったソファにどっと腰掛けた。凝った首を回しながら部屋をぐるりと見渡していると、額縁に収まった壁掛け写真に目がいった。近くに寄ってみると、若い頃の祖父母とその親戚や友人達が映っているらしい。よく見れば産まれたばかりの私の写真まで飾られている。随分幼い頃の話であるため、祖父母に会った記憶は殆ど残っていないが、母の話から想像するに可愛がってくれていたのだろう。脚の疲れも癒えた私はすっと立ち上がると、カーテンを開けて窓を解放した。どこか埃っぽい感じがしたので、空気を入れ替えようと思ったのだ。すると、驚くことに目の前に美しい庭が広がっている。先程通ってきた玄関側からは見えなかったが、家の裏には広い庭があるようだ。思わず好奇心を唆られたが、一先ず落ち着くために紅茶を淹れることにした。キッチンには調理器具が一式揃っている。型は古いものの、問題無く扱えそうだ。ベージュの木製棚を開けると、食器やアンティーク物の茶器、古びたティーコゼーなどが収められている。その中に新品の茶葉の缶を見つける。日付はまだ新しい。大方親戚達がこの部屋をパーティにでも使って、余った物を置いていったのだろう。隣に並んでいた白いポットを取り、よく洗ってお湯を沸かす。茶葉を入れる。コゼーを使おうかと思ったが、薄ら埃を被っていたので、代わりに自宅から持ってきた綺麗な布を掛けておく。カウンターに砂糖と塩の瓶が置いてあるのを見つけるが、しかし手に取ってみると、砂糖は固まってしまっており、白い岩石のようになっている。買いに行く程でもないだろうと思い、最近友人のニコに教えて貰って修得した甘くする魔法をかけることにした。自分の荷物から予備の細いチョークを一本取りだし、ポットの周りを取り囲むようにして、円形の魔法陣を書く。ガラスのカップに水を注ぎ、北側に置く。銀の匙を杖に見立てて左右に振り、呪文を唱える。すると白いポットが少しだけカタカタと揺れ、カップの水が半分減っている。どうやら成功したらしい。試しに一杯注ぎ飲んでみると、確かに砂糖の甘味を感じる。同時に身体の力が少し抜け落ちたような感覚を覚えた。慣れないためか脱力感は起こるらしい。しかし、魔法とはやはり便利な物だ。椅子に腰掛け紅茶を飲み、後で晩御飯の買い出しにでも出掛けようかと思いながら一息ついていると、庭の方で何か大きな物音がした。何かが上空から落下したような音だった。鳥でも死んだのだろうか。手に持っていたカップを机に置き、急いで庭へ出た。

 庭は広々としており、放置されて伸び放題になった木々や植物で溢れかえっている。隅に置いてあったらしき庭具が乱雑は散らばっており、その周辺には埃が舞っている。何か異変が起きた事は間違いなさそうだった。近付いてみると、突然白い煙の中から真っ黒な帽子を被った背の高い男が目の前にぬっと現れたものだから、私は驚いて思わず声を上げてしまった。埃まみれの男は、私を一目見るなり何か言おうとして口を開いたが、すぐに苦しそうに咳き込み始めた。埃が喉に絡んだのかと思い「大丈夫ですか」と駆け寄ると、男は逃げるでも答えるでもなく深呼吸をして、服にかかった埃を煩わしそうに手で払った。近くで見れば、やたらと整った顔立ちをしている。黒い長髪に珍しい灰色の瞳。帽子から察するに魔法使いであることは確かだが、なんだか見慣れない格好をしている。異国の人だろうか。「どうしてそんなに汚れているのですか」と私が問いかけると、「さあ何故だろうね」と彼はぼんやり空を仰いだ。柔らかい風が吹く。真っ黒な帽子が揺れ、光を通して鍔に細かな星が映っている。何故か彼の周りにだけ冷気が漂っているような気がした。その不思議な風貌と佇まいに一瞬見惚れかけて、はっと我に返る。そもそも何故この男は祖父母の家に突然侵入してきたのだろうか。どうして庭に落下してきたのだろうか。私がじっと不審そうに見つめていると、彼はこちらを横目でちらりと一瞥した。そして地面に落ちていた杖を拾い上げ頭上に掲げると、何かうわ言でも唱えるかのように微かな声でいくつかの呪文を口にした。何が起きるのかと思わず身構えたが、風も吹かないどころか草花一つ揺れない。不思議に思って「今、何を唱えたのですか」と尋ねると「いいや何も」と男ははぐらかした。ますます不審である。警官を呼ぶべきだろうかと考え始めていると、黒髪の男は庭の開けた場所へ出て辺りを見渡した。すると不思議そうな顔をして、私へ向き直った。「なあ、君はこの家の人間なのか」「私は親戚です。今は訳あってここに泊まっていますが」「そうか。なら丁度いい。アルバという男が何処にいるか教えてくれ。俺は彼に用があって来た」私はそれを聞いて驚いた。何故ならアルバは私の亡き祖父の名前なのである。「アルバは私の祖父ですが…彼は二十年前に亡くなりました」「なんだと?そんな話が信じられるものか。俺に嘘をついているんじゃないだろうな」「本当です。祖母が他界した後、祖父もすぐ肺の病気に罹ってしまったんです」私が説明すると、男は信じられないといった様子で困惑の表情を浮かべる。そうして先程の話を自分の中で何度か反芻し噛み締めているかの様に黙り込むと、私の姿をその灰色の瞳に映した。そこには絶望と慈愛が滲んでいるようだった。「……ああ、そうだな。間違いない。髪や目の色、表情までよく似ている。君は本当にアルバの孫なんだろう」彼はざらついた手で私の髪にそっと触れる。驚いて後退りそうになったが、彼があまりにも悲しそうな顔をしていたので、私は視線を捕らえられて動けなくなってしまった。その時私はようやく、この男は恐らく魔術師なのだろうと気が付いた。研究や呪術といった職業に携わり続け、その道を極めることである領域に近付いた者は、体に入れ墨のような呪いを受け魔術師と成る。そして一般的に、魔術師は人間よりも長寿になるとされている。男はやがて開き直ったように溜息をついた。「要するに、俺が鉱山で岩石学の会得や採取に励んでいる間に、いつの間にか五十年もの月日が経っていたという訳だ。我ながら馬鹿馬鹿しい話だよ…まあこういったケースは俺たち魔術師にはよくある事なんだが」彼は寂しそうに庭の植物達を眺めている。鉢植えには薬草らしき赤い実をつけた植物が生えている。蓮沼の池には背の高い綿のような植物が並び、煉瓦の壁伝いには色とりどりの花が咲き乱れている。地面には如雨露や庭具が点々と転がっている。長い間誰にも手入れされず荒れ放題になっているようだった。「祖父に、用事があると仰いましたよね。それってどんな…」「彼には色々と借りがあるんだよ。今日ようやく昔の恩を返せると思っていたんだが…」それも叶わなくなったな、と言って彼は私を振り返った。「名乗るのが遅くなってすまない。俺はオルカだ。宜しく」「私はライラです」「良い名前だね。そうだな、きっと名付け親はアルバだろう」「はい。でもどうしてお分かりに?」「彼が好きな花の名前だったから、すぐ分かったよ」そうして彼は出会って始めて柔らかい微笑みを見せた。私は先程まで抱いていた不信感をすっかり忘れ、嬉しくなった。それどころか、祖父の知り合いであるという彼に私は興味津々になっていた。旅先での突然の出会いに、内心どこか気分が高揚しているのが自分でも分かる。「あの、良ければ少し上がって行かれますか。丁度お茶が入りましたので…それと、よければそのボロボロの服を洗って差し上げたいのですが」「ああ、それは助かる。実は持っていた石の魔力が尽きてしまったんだよ」「ええ、好きなだけお休みになって下さい」彼は玄関に上がると、懐かしそうに目を細めて家の中を見渡しながら帽子と白衣を脱いでソファに置いた。その緩んだ表情が、なんだかとても優しく見える。最初一目見た時はどこか冷たいような印象を受けたが、意外とそういう訳でもないらしい。私は彼の持っていた銀色の杖を預かり、部屋の隅の背の高い植木鉢に立て掛けた。机の上に放置された白いポットに手を当ててみると、中の紅茶はまだ温かい。食器棚を開けると、美しい装飾の付いた銀色のカップが置いてあるのを見つける。彼に似合うような気がして、それに注いで差し出すとオルカは「有難う」と言って受け取る。「以前、アルバも俺にこのティーカップを差し出した事がある。懐かしいな」私は笑う。再び椅子に腰掛け、持参した焼き菓子を机に広げる。「ところで、俺はてっきり家族と一緒に来たのかと思っていたんだが、この家には今は君一人なのか?」「ええ、私だけです。休暇を貰ったので、用事のついでに暫く宿泊しようかと」私がそう言うと彼は何故か怪訝な顔をした。「ここに一人で住むつもりなのか?最近この辺一帯は魔術師の通り道だぞ。君は少々警戒心が無さすぎるな」「それは、知りませんでした。でも母の話では、祖父はこの屋敷を建てる際、出来るだけ安全な場所を選んだと聞きましたが」「ああ、昔はな。設備も整っていたし観光地としても栄えていたが、今では寂れた建物しか残っていないだろう。壁や地面にはそこら中に魔法陣が張られているし入り縄張りが点在している」私はここへ来る途中に誰ともすれ違わなかったこと、最寄り駅が寂れた煉瓦造りであったことを思い出し、確かにと納得した。彼は暫くううんと悩むように唸った後、徐に腰に提げていた鞄から短い杖を取り出した。「仕方ない。俺が包囲陣を張ってやろう。簡易的なものだが余程の事が無い限りは危険は免れる筈だから」「いいのですか?そんな事までして頂けるなんて…」「いいさ。アルバに返す筈だった借りが返せなくなったんだ。その分孫の君に受け取ってもらおうじゃないか」しかしこんな程度ではまだまだ返し切れないんだが、とぶつぶつ呟きながら彼は部屋の中心に慣れた手付きで円や文字を描き始めた。私は見慣れない大型の魔法陣形に釘付けになる。文字や図形が地面に照らされ、青白い光となって浮かび上がっている。やがてそれは私達の背丈を飛び越え、直径は部屋全体にまで広がった。彼がぶつぶつと何か呪文を唱えると、書かれた文字達はばらばらになって解け、白い靄の様に空気中に溶けていった。美しい光景に目が離せない。一瞬、何故か暖かいものに包まれるような感覚を覚えた。部屋に静寂が訪れる。背を向けていた彼はすうと息を吐き、私に向き直る。「終わったよ。これで当分は持つだろう」「有難うございます。凄い。なんだか

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