5 - 5 鹿野素直 ⑤
真小田が大きくため息を吐いた。
「……もういいや。やめよ、駒乃ちゃん」
「は!? やめるって何を!?」
田淵の甲高い声が空っぽのコテージに反響する。
「今の動画でじゅうぶんでしょ。不田房先生も鹿野先輩もばっちりサイコパス。編集は外注するとして、俺は東京戻って台本書くわ」
真小田は淡々とした口調で言い切ると、自身のスマホをデニムのポケットに押し込んだ。
「帰ろ。今ならまだ最終電車があるっしょ」
「な──何言ってんの、あんた……」
声が震えている。目の焦点も合っていない。不田房を背に庇おうとしたら相手も同じ動きをして、こんな時だというのに不田房と鹿野はおしくらまんじゅう状態になっていた。
「話が違うじゃん! 真小田!」
「なんだよ、うるっせえな」
真小田は立ち上がり、大股で階段を降り、まっすぐにコテージの出口へと向かっている。その背中に、田淵がタックルをした。真小田はさほど長身ではなく、痩せ型で、対する田淵は同世代の女性の中では背が高い方で、十年の時を経て体に肉も付いていた。埃まみれの床に倒れた真小田に馬乗りになって、田淵が喚いた。
「栄治さんとのセックス、撮影するって言ってたのに!」
「そんなの、もう無理だろ! 分からんねえのかよ! 素材も揃ったし、これ以上こんな連中に関わり合いになる必要……!」
「何言ってんの!? あたしの十年どうなんのよ! 返してよ! ヤりたくもない男とセックスして、ヤりまくって、全部今日のためだったのに! 栄治さんとヤるためだったのに!!」
喚き散らす田淵の顔面を、スマートフォンを握った手で真小田が
「黙れよ、うるせえ! クソ淫乱!!」
「はあ……!?」
「言っとくけどさぁ、俺だっておまえみてえなキモい女とヤりたくなかったっつうの! こればっかりは不田房先生に同情するわ!!」
真小田ぁ、と田淵が吼えた。田淵駒乃の手が真小田崇の首を締め上げるのを、鹿野には息を止めて見守ることしかできなかった。
じたばたと暴れていた真小田の体から力が抜けていく。顔が土気色になる。目玉が半分飛び出している。紫色の舌が伸びて、そして──
「……汚い。漏らすとか最悪」
田淵が吐き捨てた。横たわったままで指一本動かない真小田のデニムの股間は、そこだけ色が濃くなっていた。
ゆらりと体を揺らしながら立ち上がった田淵駒乃が、ぽってりと赤く色付いたくちびるを綻ばせて微笑んだ。
「栄治さん、抱いて」
「抱かない。帰る」
媚びるような、縋るような田淵の目を見もしない不田房の声音は冷淡で、鹿野はかつて泉堂のコテージで起きた事件のことを思い出していた。割れた窓ガラス。不田房が寝室として使っていた部屋だった。
田淵が絶叫する。彼女の手の中に小さな銀色のものが光っているのに、不意に気付いた。
「不田房さん、やばい、刃物……!」
叫んだ時には、鹿野の腹を熱いものが貫いていた。
それはそうか、と思った。
田淵駒乃は、おそらく初恋の男、不田房栄治を手に入れるためだけに今まで生きてきたのだ。だから彼女が、不田房を刺す理由なんかない。
──殺すなら私だな。それは、そうだよな。
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