夜明けの羊

禍福

プロローグ 羊の夜

 街ひとつを呑み込む巨大な魔法陣の中心に、怪物が囚われていた。


 紫色の光を放つ円の淵には、この世界のおよそ半数ともいえる魔法使いがずらりと並んで呪文を唱え続けている。魔法使いの数には遠く及ばないものの、等間隔を空けて円を描いて並ぶのは聖女五百人。

 

 全員の視線が、陣の中心で呻く怪物に注がれていた。

 

 姿は人の形に酷似しているが、こめかみからは木の枝を思わせる歪な角が生えていた。角には夜の闇にも負けない黒い花が宝飾の如く咲き乱れ、濃い瘴気を放っている。

 吸い込めばたちまちに魔物へと転化する呪われた魔力、それが瘴気である。すでに魔法使いの何人かは、人の形を失いながらも呪文を唱え続けていた。


 やがて詠唱がピタリと止む。静寂が訪れると、怪物は薄ら寒い笑みを浮かべた。


『反吐が出る。お前らにも――僕自身にも』


 怪物が静寂に吐き捨てた直後、魔法陣の輝きが増した。聖女たちは次々と甲高い悲鳴を上げながら絶命していく。魔法使いたちもまた、魔力を使い果たし崩れ落ちる。口から涎を垂らし意味不明な言葉を発するその様には、魔法使いとしての矜持は一切残されていなかった。


 ゴトン、と大きな音がする。

 怪物の巨大な角が地に落ちた音であった。


 成功した、と誰かが呟いた。


 ――魔王ディリドニス。

 彼を無力化するために支払われた尊い犠牲は、あまりにも大きすぎた。


 聖女五百人の命と、魔法使いの半分を廃人と化した封印の魔法。その効果は、魔王の力を無力な赤子に移すというものである。

 それも、三百年後に生まれる赤子へと。


 人々はこの星のない夜のことを〝羊の夜〟と呼び、後世に語り継ぐ。

 同じ過ちを繰り返さないため。

 生贄となった彼らのことを忘れないため。


 そして、魔王の力を宿して生まれる赤子を必ず殺すために。

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