第3話 2000年代半ば、つまり平成の中ごろ(3)
1970年前後の「闘争」を経験した人たちから見れば、そんな生きにくさなど、社会の構造がもたらす生きにくさにくらべればとても小さなものだったのだろう。
1970年前後の「闘争」を闘った人たちの信念は、諸悪の根源は「体制」にあり、それは「体制」を打ち倒して根本から(=ラジカルに)変革しなければ何も変わらない、というものだった。
だが、それは、裏返せば、この世のなかに問題が満ちあふれていたとしても、「体制」の根本が変わっていないのだからしかたがない、おまえが立ち上がって「体制」を倒さないかぎりその問題は解決しないのだからがまんしろ、という態度へと転変していく。
「闘争」の敗北の苦さを味わったひと、何か別のかたちで「闘争」を継続しているつもりになっているひと、「闘争」に参加したつもりになって自分をヒーローだと思いこんでいるひと。
そういうひとはそれでよかったのかも知れない。
でも、そういう社会に新しく参加してきた人たちにとってはたまったものではない。
そこに生きたひと自身の感覚からは、あのハッピーなバブル期にだって、勇気づけられなければならないことはいくらでもあったのだ。打ち破らなければならない、乗り越えなければならない壁はたしかにそこここにいっぱい存在した。
そういうさまざまな「壁」を打ち壊し、乗り越えるという運動が、「平成」の時代も末になった2010年代後半のサステナビリティーやダイバーシティーの活動、ということになるのだろう。
それでも、その「バブル最末期」の時代は、画面にあふれかえる白い夏の光が似合う、空の天井が抜けたように明るい時代だった。
苦闘はしなければならなかったけど、苦闘の結果、百パーセントは行かなくても、「そこそこ」なら満足できる結果を手にできる。そんな楽観があり、元気があり、前向きさがあった。
経験は人それぞれだから何とも言えないけど、私はそういう時代だったと思う。
「平成」の始まりは、正確には一年ほどずれるが、「1990年代」の始まりと同じ時期だった。
「平成」の時代、または、1990年代から2010年代までの30年間は、たぶん「マッチョな男性」本位の社会が、持続可能性(サステナビリティー)や多様性(ダイバーシティー)を考慮に入れなければ立ちゆかない社会へと変容して行く期間だったのだろう。
しかし、この30年は、その始まりの時期の印象で「刻印」されてしまった。
じつは前の時代の特徴であるバブル経済時代の底抜けに明るい雰囲気。
バブル最末期のことで、その雰囲気に疲れつつも、その露出オーバー気味の明るさは信じ続けた時代。
その時代を生きるなかで、「もうそういう時代ではない」ということを感じつつも、始まりの時代の時代像にいつも立ち返り、そのたびに「あれ? いまの時代、何か違うじゃん?」と思って来た。
「何か違う」。でも、それが何かはわからない。
そんな違和感が、「平成」の時代、1990年代から2010年代までを大きく覆っていた。
「平成」の始まり、または、1990年代の始まりの風景を目の前に見せられると、そのあまりの純粋な明るさに私たちはハッとする。
終わりつつあるバブル経済の時代が感じさせた「けだるさ」と、それを伴うその明るさに私たちはとまどいと安堵を同時に感じる。
それは、「平成」の時代が進むにつれて、または1990年代から2000年代、2010年代へと時代が移るにつれて、失われていった純粋さであり明るさであるから。
前の時代が残したけだるさを新しい時代のものと感じて「刻印」してしまったことを確認し、安心するとともに居心地の悪さを感じるから。
21世紀になって、「それは大事」の曲とともに、過ぎ去ろうとする時代の東京の風景を見た私が感じた感覚は、それをよく表していた。
たぶんそうなんじゃないかと思う。
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