それは、退魔の姫の物語

空桜歌

始まりの日

 ──今から一年前のある日、イシース王国王都で暮らしていたとある少女が神より救世の使命を授かり、魔を滅する浄化の力に目覚めた。

 神に選ばれし聖女となった彼女は学院にて力の使い方を学び、仲間を得て、今日救世の旅に出る。

 聖女一行の無事を願うため、国の威信を示すため、国を挙げて行われているパレードには、たった一人の人間に自分達の命運と世界を託した者達が群れを成している。


 遠く、王城から見える聖女の姿。傍で聖女と共に進む聖女一行の中には、私の婚約者の姿もある。

 離れていてもわかるほど希望と自信に満ちた彼等の姿は、きっと各国で相次ぐ魔物の被害で不安に揺れる民の心を明るく照らす事でしょう。私にはどうでもいい事だけれど。



「王女殿下、そろそろ……」


「えぇ、わかっているわ」



 控えていた侍女の呼びかけに視線を動かす事なく応える。

 視線の先にいる聖女は私に気付きはしない。きっと【私】が堕ちた時も、彼女はあんな風に何も気付かず進むのでしょう。

 それでいい。ただ愚直に、一心不乱に自身の使命を果たしてくれれば、それで構わない。

 晴れ渡った空の下、日の光に照らされながら希望を振りまく聖女一行を、私はただ静かに見つめていた。




 私の身に私以外の記憶があるのに気付いたのは、聖女が浄化の力に目覚めた時だった。

 日々深刻になっていく魔物の被害により、世界中に暗い空気が広がっていたある日、空から光が降り注いだ。

 神託が下るその光景を自室から目の当たりにした私は、遠い誰かだった私と、この世界を物語として描いた未来を見たのだ。



 イシース王国第一王女、フェリミナ・イシースとして生を受けた私は、類稀なる力を有していた。

 魔を退ける退魔の力、そして人並外れた膨大な魔力。

 その二つを用い、齢七つの頃に私はこの国全体に退魔の結界を施した。


 退魔の力を有した結界は周囲の魔を弱め、襲い掛かる魔物から王都の民を守り続けた。

 けれどそんな事をしたところで世界に溢れ続ける魔は止まらない。人々に不安が募っていく中、神より神託が下った。

 このままでは世界が滅びると。そして神は世界の崩壊を防ぐため、聖女を選定し、世界救済の使命を与えると告げたのだ。



 【私】が選ばれると思っていた。誰もがそう思っていた。

 しかし選ばれたのは、王都の片隅に暮らす一人の少女だった。


 神に選ばれた聖女は、神の啓示と共に浄化の力に目覚めたという。

 そして聖女は【私】の守るこの国で力を高め、仲間と絆を育み、世界救済の旅に出る。

 その一方で、守りの要である【私】は王都に留まり続けた。留まるしかなかった。



 魔を退ける結界は、維持するために【私】から常に魔力を奪い続ける。

 毎日毎日毎日ずっと魔力を奪われながら、命をすり減らしても王都を守る。それが【私】の役目。

 結界がある限りこの国は堕ちず、聖女をはじめとする魔に立ち向かう人々の拠点になるからだ。

 それ故に魔は【私】を狙い、【私】を無力化しようとした。


 魔とは世界の終わりを望むもの。世界の崩壊を願うもの。

 始まりは呪いと衝動でしかなかったそれは、長い時の中で魔に堕ちた人々を通じて知性を得ていた。

 そして聖女が現れ破滅の願いが阻まれる事を察した魔は、まず【私】へと手を伸ばしたのだ。



 始まりは些細な事だった。

 聖女が人々を助ける度、ただの少女だった彼女は救世の聖女として担ぎ上げられていく。

 そして同じく特別な力を持ちながら守る事しかできない【私】に対し、人々は不満を抱き始めるのだ。

 救世の聖女は矢面に立ち、その身を削ってでも戦い守ってくれる。けれど退魔の王女は城に引きこもり、魔物を退けても倒すことは無い。

 そう、退魔の力と浄化の力は全く違う物なのに、何も知らぬ民衆は何も知ろうともせず心無い言葉を口にし始めた。



 ある時より、【私】は体調不良が続くようになっていた。

 聖女が強大な魔を倒す度、周囲は守るだけの【私】と比べて勝手に落胆する者もいれば、更なる努力を求める者がいた。

 特に貪欲な野心を持つ王は顕著だったのだろう。聖女のように【私】にも戦えと、無理矢理連れ出され、魔が潜む迷宮へと追い込まれた事もあった。

 肉体的にも精神的にも追い込まれ、それに伴い退魔の力が弱まり、人の身に潜む事で侵入を果たした魔は、侍女を通じて【私】を更に追い詰めるべく毒を広げた。


 それが【私】の婚約が破棄されるのでは、という噂だった。

 【私】の婚約者が聖女と良い仲になっている。聖女を迎え入れるために【私】との婚約は無くなるのだという噂。

 気付いた時には城内に飛び交うようになっていたその噂を聞いて、【私】は酷く揺らぎ始めた。



 王侯貴族に生まれた者には当前の政略による婚約だった。

 【私】達はそれを良くわかっていて、それでも良き仲を築いていたはずだった。

 それなのに、彼は【私】を捨て、聖女を選んだのか、と。


 ただの噂と一蹴できれば良かったのに、事実、彼から届いていた【私】への手紙は日毎に減っていた。

 魔との戦いが苛烈になり、その余裕が無くなっていったのもあるのだろうが、記憶に見た物語によれば、それが現実になる事もあったらしい。

 彼が聖女と手を取り、【私】は捨てられる。そんな未来があり得たのだ。



 居所が無くなっていく恐怖、起きているのも辛い日々、数少ない拠り所だった繋がり。

 全てを奪われ、全てを削られ、全てに追い詰められた【私】。

 それでも国を守るためにと血を吐きながら立ち続けたけれど、ある時、大規模な討伐を終えた聖女一行が王都に戻った時、何もかもが崩れ去った。


 彼に会いに行った。けれど彼は、聖女と笑っていた。

 どの分岐であろうとそれは変わらない。

 手紙を送っても返事は無く、帰って来ても会いにも来てくれず、重い体を動かし探しに行った先でその光景を見た【私】は、心が崩れたのだ。



 【私】の崩壊は結界の崩壊で、結界の崩壊は国の守りの崩壊だ。

 ずっと【私】を見ていた魔はそれを見逃さず、十数年魔が攻寄ることの無かった王都へと詰め寄ったのだ。


 聖女によって魔は退けられたが【私】は国中から非難を浴びた。

 国すら守れぬ王女、聖女がいなければ自分達は死んでいた、国に崩壊の危険をもたらした愚かな王女。

 王も王妃も【私】を叱責した。彼は【私】に会う事は無かった。多くの者が【私】を見放した。



 そこに魔は付け入った。

 そうして【私】は全てを捨てて、魔へと堕ちたのだ。



 王都の結界が戻らず、新たな魔物が襲い掛かる中、魔に堕ちた【私】は聖女一行の前に立ちはだかる。

 骸骨の騎士と侍女を引きつれた【私】は聖女一行を一度は追い詰めるが、聖女に覚醒が起き、【私】は聖女の前に倒れた。


 誰も【私】を救おうとはしなかった。聖女の力は【私】を魔として消し去った。

 そうして【私】は堕ちた姫として骨も残さず消えるのだ。




 最初は聖女が成長するまで殺されない理由付け。

 最後は最終決戦に向けて展開を盛り上げるための舞台装置。

 聖女のために、心も命も尊厳も使い潰される脇役──そんな未来、受け入れられるわけがないだろう。



 王女としてこの国を守らねばならないのはわかっている。

 だが、世界を救えるのは聖女だけ。世界を救うのに私は必要無い。

 だから聖女一行が旅立つ今日この日まで、私は結界を維持し魔物に狙われる聖女を守り抜いた。

 後は退魔の力で聖女一行の拠点を守る。そう、世界に決められた役目さえ果たせば良い。


 そこまでは【私】と同じ道を辿ってやろう。

 けれど私には【私】には無かった記憶がある。

 それを用いて、私は私の好きに動かせてもらう。


 私は【私】と同じ末路には至らない。

 私は聖女のために生まれたわけでもなければ、聖女のために死ぬつもりなど無いのだから。




 パレードも佳境に入ったのか、遠く、聖女へ向けた歓声が沸き上がる。

 彼等は心から救われる事を求めているのでしょう。そして彼女はそれに全力で応えるのでしょう。

 苦しみ続けた【私】の事など誰も知らぬまま、世界は聖女に救われるのでしょう。


 えぇどうぞ、人々が求めるように、貴女が出立前に宣言したように、物語に綴られたように、その身を粉にして世界を救ってくださいな。

 私も私の役目を果たしましょう。守る事で貴女を助けましょう。ですが私は私です。貴女のために狂うつもりも、消えるつもりもありません。

 世界を救う聖女様、どうぞその役目を果たしてください。世界が救われてようやく、私も役目が果たされるのですから。



 そう、誰に届けとも思わず胸の内で吐き捨てた言葉は、やがて私の中からも消えていった。

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