第5話 脇役転生令嬢の原作対策は瓦解する

 原作小説が始まったと判った以上、わたくしにはやらなくてはいけないことがたくさんあるのだわ。


 『堕ちゆく花たち』は、よくある逆ハーレム小説だけれど、決定的に普通の小説と違うのは、最後がメリーバッドエンドというところなの。紆余曲折あって、逆ハーレムを構成する男性キャラたちは一人ずつフラれていき、最終的に物語を通して少しずつ病んでいった主人公のロッティ・アーチボルトがメインヒーローの王太子と心中してしまうのよ。


 その中でも、クレイヴはロッティ・アーチボルトに結婚を申し込んだけど、あっさり断られて逆上して、ロッティ・アーチボルトを誘拐しようとしてしまうの。誘拐が成功する前にすぐに捕縛されたけれど、莫大な賠償金を要求されて借金を追った原作のクレイヴはギャンブルに走った挙句に破滅してしまうの。……短くまとめると、とんでもない話だわ。


 原作のことを思い出してから、わたくしがクレイヴにずっと一緒に居て欲しいと願ったのは、彼が借金苦で身を滅ぼすなんて未来が嫌だったから。結局、彼は家を継ぐために出て行ってしまったのだけれど。


 現実でクレイヴがわたくしの元から去る時に、ギャンブルにだけは手を出さないで、誘拐みたいな犯罪は絶対にしないで、って何度も伝えたら、あの時の彼は「そんなことしませんよ」って笑っていたかしら。


 でも、クレイヴの破滅についてはわたくしは心配する必要はないのよね? だって、彼の破滅のきっかけはロッティ・アーチボルト嬢に求婚して、フラれてしまうところだわ。今はもうわたくしと婚約しているのだし、わたくしと婚約している限りはクレイヴが借金苦でギャンブルに走ることはないわね、きっと。


 ……待って、もしもわたくしが婚約破棄されてしまったら? クレイヴはロッティ嬢のことはあまり好ましくないと言っていたけれど、わたくしと婚約破棄しない可能性はゼロではないのよね!? どうしよう、わたくしのことはともかく、クレイヴが破滅する可能性はまだあるのだわ!?


 いえ、でもクレイヴは子爵から伯爵になったのだし、賠償金くらい……でも、でも……!?


「百面相をして、一体何を考えているんです?」


 くすくすと笑う声で、わたくしははっとした。クレイヴ本人を目の前にして考え事にふけっていた事実に気付いて、頬が熱くなる。


「ご、ごめんなさい、わたくしったら……」


「何か私に謝らないといけないようなことを考えていたんですか?」


「そうじゃなくて! せっかくクレイヴとお出かけなのに、上の空になったりして……わたくしから誘ったのに」


 わたくしが謝ると、クレイヴはふふ、と笑う。いつも通りの穏やかな微笑みが逆に落ち着かなくなる。わたくしたちが今いるのは、馬車の中。向かい合わせに座っていると、膝が当たりそうでどきどきしてしまう。


「問題ありませんよ。私はポーラの可愛い顔をじっくり観察できたので」


「クレイヴ!」


 ぼっと赤くなってしまった頬を両手で覆って隠し、わたくしは抗議の声をあげる。


「すみません、でも可愛いのは事実ですから。どんな貴女も好きですよ、ポーラ」


 目を細めて言うクレイヴに、わたくしは二の句が告げられなくなる。わたくしの執事をしていたころはこんな風にはっきりとクレイヴから好きと言ってくれることはなかった。慕っている、とは言っていたけれど、いつも困ったような顔だったから、嬉しそうに言われると胸が落ち着かなくなる。


「……わたくしも、大好きよ……クレイヴ」


 小さく答えると、クレイヴは満足そうに頷く。ま、負けたような気持ちになるのは何故かしら!?


「花まつりにポーラと行くのは、久しぶりですね」


「そうね……」


 頬を押さえていた手をそっとおろした。


 わたくしたちが今向かっているのは、毎年春の終わりに開催される花まつり。王都の中でも王城から少し離れたところにある王族所有の庭園は、花まつりの期間だけ一般にも公開されるの。その周辺には屋台がたくさん出て賑わうのよ。クレイヴがまだうちの屋敷にいた頃は、毎年一緒に行っていたわ。


「久しぶりなのに、ふたりきりじゃなくて、ごめんなさい」


 わたくしが謝ると、クレイヴはきょとんとしたような顔になった。


「その……クレイヴは、ロッテのことを、苦手だと言っていたのに……」


 わたくしはあのデビュタントのパーティーの後、ロッティ・アーチボルト嬢……ロッテと友達になったわ。それもこれも、悲惨な未来を未然に防ぐため。


 というのも、花まつりは貴族も平民も関係なく花まつりに足を運ぶのだけれど、位の高い貴族は平民を装ってまつりを楽しむ方もいらっしゃることもあるの。今年は原作通りであれば、その中に原作におけるロッティ・アーチボルトの未来の婚約者である、王太子殿下もいらっしゃるの。そして、そのお忍びの最中にロッティ・アーチボルトと出会い、王太子殿下はロッティ・アートボルト嬢を好きになるきっかけになるのだわ……。


 未来の婚約者を奪ってしまうのは忍びないけれど、婚約がロッティ・アーチボルトや王太子殿下の破滅のきっかけになるのだもの、何としてもこの出会いは防がなくてはならないの。


 だから今日の花まつりでは、彼女と一緒にまつりに行くことにしたのよ。原作の中でロッティ・アーチボルトが足を向けた場所に行かなければ、きっと阻止できるわ。


 本当ならそもそもロッテを花まつりに連れていかなければいいのだけど、原作のロッティ・アーチボルトはお忍びで花まつりに行っていたから、わたくしと会っていない間に花まつりに一人で行かれるより監視した方が安全だと思うのよね。


 それから、ロッテと一緒に出かけるのにクレイヴを誘うべきではないと思うのだけれど、原作でクレイヴは花まつりに行ってなかったの。だからできるだけ原作と違う行動をとった方がいいと思ってのよ。


 でも……。


「ああ、そのことですか。構いませんよ」


 ふたりきりでないのを、あっさりと受け入れられてしまうとそれはそれで、なんだかむっとしてしまう。ううん、わたくしが言い出したことなのだから、腹を立てるのは身勝手すぎるのだけれど。


「アーチボルト嬢は花まつりは初めてでしょう」


「……優しいのね」


「ポーラ」


 つい拗ねたような声をあげてしまったわたくしに、クレイヴは愉快そうに名前を呼ぶ。


「私が優しいのは、貴女にだけですよ。だって、アーチボルト嬢はポーラのお友達でしょう? それに……付き合うのは今年だけです」


「え?」


 すっとクレイヴの手がわたくしの頬に伸びてきて、その顔が近づく。


「来年以降はずっと、ふたりきりで来ましょう」


 耳元で囁かれて驚いている間に、わたくしの頬にやんわりとあたたかいものが一瞬触れてすぐに離れた。


「く、クレイヴ……!」


 頬に口づけを落とされたのだと理解した瞬間に、赤くなってしまった頬にぎゅっと押さえて声をあげると、クレイヴはウィンクした。


「婚約者なのですからいいでしょう? どうせここには人の目もありません」


「だからって……」


「ああ、着いたようですよ。行きましょう、ポーラ」


 丁度止まった馬車に、クレイヴは立ち上がり、何でもなかったようにわたくしに手を差し出す。


「……クレイヴはずるいわ」


 むくれながらも、わたくしは彼の手に乗せるのに、またどきどきしてしまう。そうして、未だ慣れないクレイヴからのエスコートを受けて、わたくしは花まつりに向かったのだった。



***



「わたくし、花まつりに行くのずっと楽しみにしていましたの!」


 合流したロッテは、浮足立った様子だった。庭園を歩きながら、一つ一つの花に顔を寄せては顔を明るくし、「初めて見る花だわ!」と歓声をあげている。はしゃいでいても、わたくしがお願いしていた帽子はしっかり被ってくれている。


「一緒に来てくれてありがとう、ポーラ」


「ううん」


 振り返った彼女は、頬を薔薇色に染めて嬉しそうに微笑む。


 正直に言って、友達になった彼女はとても可愛かった。原作と同様、王都に来たばかりの彼女は天真爛漫そのもので、たまに不躾なところがあるものの、指摘すればその生来の素直さですぐに改めてくれる。彼女の住んでいた領地では同年代の知り合いがほとんどおらず、知り合いたちはロッテに対して注意らしい注意をしてくれないので、わたくしのようにちゃんと注意をしてくれるお友達というのが、とても新鮮で、そして嬉しいのだと彼女は言っていた。


 ……わたくし、こんな素直な彼女の未来の婚約者との出会いを潰そうとしているのよね。胸が痛いわ……。


「あら? あれは何かしら?」


 何かに気付いたロッテが、遠くの方を指さした。そこには、礼服に身を包んだ騎士たちが整然と列を成して行進してきていてる。


「ああ、今日でしたか」


「クレイヴ、知っているの?」


「見ていればわかりますよ」


 にこりと笑んだ彼に、わたくしは首を傾げる。


 花まつりに騎士たちが出てくるイベントなんてなかったはずだわ。それに、こんな騎士たちの行進があったら、原作にだって書かれていたはずなのに、全く思い出せない。何があったのかしら……。


 騎士の皆さまがたは、庭園の中央広場にまで行進すると、道の中央をあけるように整列し、先頭の方がラッパを鳴らした。それに合わせて、騎士たちが一斉に敬礼する。わたくしたちを含めた庭園の来場者は、何ごとかと皆足を止めてその光景を見守り始めた。


 そうしてできた騎士が囲んだ道を、一台の馬車が進んでくる。乗っている人を披露するためのオープンタイプの馬車は、季節外れの花を含めたとりどりの花で美しく飾り上げられていて、それに乗っている人もまた、髪に花を挿した女性と、男性の二人組だった。馬車とわたくしたちはずいぶんと離れていて顔はよく見えないけれど、輝かんばかりの美しい髪色は、遠目にもわかる。


 女性は銀髪、そして男性の方は眩しいほどの金色の髪。月と太陽のようなこの取り合わせは、原作のとあるシーンを思い起こさせて、ちらりと隣に立っているロッテを盗み見た。彼女の髪の色も、銀色なのだわ。


 原作の後半、王太子殿下とロッテが王城前の大通りを馬車に乗って現れ、婚約発表をしたシーンよ。その時の二人は、『新たに婚約者として結ばれる二人は太陽と月のように美しかった』と表現されていたわ。


 今は原作ではまだ出会いのシーンだし、婚約のシーンが描かれた季節は冬だったのだから、全然違う。けれど、尊顔を拝見したことなくても、あそこにいらっしゃるのは王太子殿下だというのはわかるわ。あまりにも原作リンクしたかのような場面に、わたくしの胸が緊張でどきどきとしてきた。


 園庭の中央に到着した馬車は停車し、後ろに付き従っていた恰幅のよい男性が前に進み出る。それに合わせて、馬車に座っていた二人が立ち上がった。わたくしたちが見守る中、恰幅の良い男性は手に持っていた書状を広げ、大きな声を張り上げる。


「皆の者、静粛に! こちらは王太子殿下ならびにリタ・ヒギンズ伯爵令嬢であらせられる」


 既に静かになっている衆人に対して男性は言う。……女性がロッテではないけれど、この台詞、原作とやっぱり同じだわ……この女性の名前、どこかで聞いたような気がするのはどうしてかしら。


「まつりで楽しんでいるところを邪魔してすまないね」


「殿下……そのようなおっしゃられようは……」


「さっき紹介があったように、彼女はリタ・ヒギンズ伯爵令嬢だ。彼女のことを知っている者もいるだろう。この度、私と彼女は婚約する運びとなった」


 原作と、ほとんど同じ台詞だった。相手がリタ・ビギンズ伯爵令嬢であるということを除けば。……どうして?


「ヒギンズ伯爵令嬢が今後、公の場に顔を出すことも多いだろう。これからは私だけでなく……」


 その後の台詞は、わたくしの耳には全く届かなかった。あまりにも驚きすぎて、ぽかんとしてしまったわたくしは、周囲で湧き上がった歓声と拍手の音でやっと意識を引き戻される。慌てて周りにならって拍手を送った。


 どうやら王太子殿下の演説が終わり、馬車が再び動いて移動しはじめたところみたい。このまま王都内をパレードして婚約者様のお披露目をするのね。王太子殿下の演説をぼんやりして聞き逃すなんて、わたくしはなんて不敬なのかしら……ううん、それよりも。


 銀髪の伯爵令嬢。やっと思い出したわ。……彼女は、王太子殿下の初恋の女性よ。でも、彼女は原作が開始するよりも前に、亡くなられているはずなのに……!?


 そもそも王太子殿下がこの花まつりにお忍びで来られるのは、初恋の彼女といつか花まつりに一緒に行こうと約束していて、その約束が果たされる前に亡くなられたから、彼女を忍んでここへ来たはずだったのよ。そこで初恋の少女と同じ髪色を持つロッティ・アーチボルトに出会ってしまうのだから……。


 だからロッテには帽子を被って髪を隠してもらっていたのに、そもそも前提が違うのだわ……!? いえ、でもロッテが王太子殿下の婚約者になることはないのだから、彼女と王太子殿下の破滅の道はもうないということでいいのかしら!? どうなっているの……!?


 わたくしがパニックになっている間にも、馬車はゆっくりと進んで、王太子殿下とリタ・ヒギンズ伯爵令嬢が手を集まっている人たちに手を振りながら、幸せのおすそ分けにと、花びらをまいている。馬車がわたくしたちの近くを通る時になって、不意に、王太子殿下がこちらに目を向けられる。瞬間に笑顔になり、隣のリタ・ヒギンズ伯爵令嬢に何やら声をかけると、彼女の髪にさしてある花を、一輪手にとった。


「……君にも幸せを!」


 そう言って王太子殿下が投げた花は、ふわりと魔法の力のような軌道で舞って、するりとクレイヴの胸ポケットに入り込んだ。


「ありがとうございます」


 馬車にいる王太子殿下には聞こえないであろう声でそう応えて、クレイヴが胸に手を当てて会釈すると、王太子殿下たちは嬉しそうに笑って手を振る。そうして、何がなんだかわからないままに、馬車は通り過ぎて行った。王太子殿下を乗せた馬車が見えなくなると、人垣は少しずつ解散していく。みんな、素晴らしい瞬間に立ち会ってしまったと興奮しきりだったけれど、わたくしはそれ以上に気になることで頭がいっぱいで、クレイヴの顔と胸元の花を見た。それは見たことのない品種の花で、独特な形の花びらが特徴的な淡いオレンジのものだった。新種となれば貴重だと思うのに、そんな花を寄越されるような仲だということは……。


「……王太子殿下とお知り合いなの……?」


「ええ。……サプライズで婚約発表をなさるとは聞いていましたが、まさか今日だとは思いませんでした」


 平然と答えるクレイヴに、わたくしは絶句する。代わりにロッテが可愛らしく歓声をあげた。


「まあ、フローリー伯爵様は凄いんですね!」


 凄いどころの話ではないと思うのだけれど……原作のようにロッティ・アーチボルトを中心にして出会いでもしない限り、王太子殿下と元子爵のクレイヴが出会うきっかけなんて、ありえないと思うのに……。


「詳しいお話は、またふたりきりの時に」


 クレイヴが小さい声で、わたくしにだけ聞こえる声で言う。わたくしが理解できない、という表情でクレイヴを見つめていたのがバレていたのだわ!


「それにしても……素敵な婚約発表でしたわ……」


 うっとりと呟いたロッテは、その瞳にさきほどの馬車の上のリタ・ヒギンズ伯爵令嬢の姿を思い浮かべているのかもしれない。クレイヴが王太子殿下と知り合いであることにそれ以上は触れず、先ほどの馬車の装飾やリタ・ヒギンズ伯爵令嬢のドレスの美しさを称えて、ほうっと溜め息を吐いた。


「いつかわたくしも、好きな人とあんな風に花に囲まれて婚約の発表をしてみたいです……」


 幸せそうに頬を染めたロッテの表情に、わたくしは違和感を覚える。原作のロッティ・アーチボルトは、三人の男性にアプローチを受けて照れることはあっても、こんな風に多幸感に満ちてうっとりとした、というような描写はなかったはず。


「……ロッテは好きな方……というか、結婚を約束している方がいるの?」


「そっそんな、結婚の約束、なんて…………!」


 きゃっと声を上げて、顔をゆでだこのように赤くしたロッテは帽子のつばをきゅうっと引き寄せて顔を隠してしまう。


「ごめんなさい、聞いたらいけなかったのね」


「いいえ! 違うの……! その……は、恥ずかしくて……」


 慌てたロッテはわたくしの手をぎゅっとつかんで弁解する。けれど、ちらりとクレイヴに目をやって、また恥ずかしそうに目を逸らした。


「……私は後ろから少し離れて歩きますので、お嬢様方の秘密のお話でしたら、どうぞ遠慮なく」


 微笑んだクレイヴがそう言うので、わたくしたちは庭園内を再び散策しながら、ロッテの話を聞くことにした。


「あの……結婚の約束を、しているわけでないのだけれど……わたくしの、従兄のお兄さまがね」


「従兄のお兄さま……?」


 びっくりしすぎてつい、おうむ返しで聞き返してしまったわ! けれどロッテは不審に思った様子もなく、頷いて話を続けてくれる。


「そう。わたくしが領地で療養していた話は前にしたでしょう? その時に一緒に暮らしていたお兄さまなのだけれど……彼が、その、わたくしが王都に来る前にね……?」


 ロッテはそこで恥ずかしくなってしまったようで言葉を詰まらせる。


「わ、わたくしと……結婚したい、って……愛してるって、おっしゃられたの」


 顔を再び覆って、ロッテは消え入るような声で言った。待って、ロッテの従兄のお兄さま、っていうのは、原作小説に出てきていた、あの、お兄さまよね……? ロッティ・アーチボルトの幼馴染で、長年の恋を拗らせた挙句に告白もせずに思わせぶりなアプローチだけしかせず、王太子殿下と婚約が発表された途端に、逆上してロッティ・アーチボルトを毒殺しようとした、あの……あの従兄のお兄さまが……?


 拗らせすぎてずっと一緒に居たのに、ロッティ・アーチボルトに「好き」と言えなかったばかりに、最初に告白をした王太子殿下に婚約者の座を奪われた、あの……?


「そう、なの……?」


「でもね、お兄さまは、まだわたくしに相応しい男じゃないから、って……相応しい男になったら、改めて求婚するから、待っていて欲しいっておっしゃったの。だから、その……結婚の約束をしているとかではなくて、お兄さまが、勝手に、そうおっしゃってるだけなのよ」


 ロッテは言い訳のような口調で言っているけれど、表情も声も、その従兄のお兄さまに対してどう思っているか、簡単にわかってしまうわ。


「ロッテは、従兄のお兄さまを待ちたいのね?」


「……っそんなこと……! ……そうなの。わたくし、ずっと気付いていなかったけれど、わたくしもお兄さまのこと、ずっと好きだったんだわ。会えなくなってから気付くなんて……」


「会えなくなった?」


 暗く発せられたその言葉に、わたくしの胸が嫌な予感でざわめく。よくよく思い返せば、ロッテのデビュタントで、彼女をエスコートしていたのはロッテのお父様だった。原作では誰がエスコートしていたかは書いてなかったけれど、従兄が王都に来ていたのなら、少なくとも一緒に入場はしていたはず。なのに、彼はいなかった。……もしかして、彼はもう……。


「そうなの……。侯爵令嬢の婿に相応しい力を身に着けて数年のうちに迎えに来るからって、領地で勉強なさっていて、王都に一緒にきてくださらなかったのよ」


「え」


「『ふさわしい』なんて、気にされなくてもよろしいのに。お兄さまったら……」


 むくれて拗ねたような彼女は、完全に愛しい人に会えなくて寂しがっているだけだった。……うっかり、勝手にロッテの想い人を故人にしてしまうところだったわ。でも、どうしてこんな状況になっているの?


 クレイヴはわたくしと婚約、王太子殿下は亡くなられている筈の少女が生きていらっしゃってその方と婚約、ロッテは幼馴染の従兄と両想いで婚約予定……となると、三人の男性がロッテをめぐって泥沼劇を演じた挙句、心を病んだロッテが王太子殿下に心中を持ちかけるなんていう、あの惨劇は絶対に起こらない、ってことなの……?


 思うと、自然に口に笑みが浮かんできてしまう。


「従兄のお兄さまが、早く来てくださるといいわね」


「……ええ!」


 わたくしの言葉に、ロッテは眩しいくらいの笑顔で答えた。会話がひと段落したところでクレイヴを振り返ると、彼が微笑み返してくれる。胸元にはさっきのオレンジの花が揺れていて、それはきっと王太子殿下がクレイヴに示した友好の証なのだわ。原作ではロッティ・アーチボルトを取り合っていたのだから、二人が仲がいいなんて、原作なら考えられないようなことだけれど。


「早くお兄さまに会いたいわ」


 嬉しそうに笑うロッテに、わたくしも頬が緩む。


 わたくしが考えていた原作への対策は、全て必要なかったの。作戦も全て瓦解してしまったけれど、やっぱり原作通りでない現実が進むのだわ!

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