第2話 有能な元執事は婚約者に結婚延期を望まれる

 庭園でクレイヴと再会したポーラは、その後、用意されていたお茶で和やかな時間を過ごしていた。何しろ二年もの間離れていたのだ、つもる話は沢山ある。


 久々に穏やかで楽しいひと時が過ぎていたが、にこにことしながらクレイヴの言った次の言葉でポーラはティーカップを取り落としそうになってしまった。


「明日は結婚式ですね、お嬢様」


 さあっと血の気を引かせたが、ポーラはなんとかそっとティーカップを下ろす。


「ま、待って! 明日が結婚式だなんてどう考えても無理よ。クレイヴ、式は延期しましょう?」


 ポーラの言い分はもっともだった。


 貴族同士の政略結婚においては、婚礼の当日まで顔合わせしないという例もあるのだから、今日顔合わせをして明日婚礼をすること自体は、そこまで突飛な話ではない。問題は期間だ。


 普通に考えたら、伯爵令嬢の結婚準備は、何か月もかけて行うものである。ポーラに婚約者ができたと知らされたのは一カ月前なのだから、準備が万全だとは決して言えないだろう。


 焦った様子のポーラに対して、クレイヴは悠然と首を振った。


「大丈夫です、私が全て手配いたしましたよ」


「だめよ! クレイヴと結婚するだなんて思ってなかったから、わたくし何にもチェックしていないもの!」


 婚礼衣装の採寸や仮縫いの衣装合わせは行っていたが、結婚に対して前向きになれなかったポーラは姿見でドレスを着た姿を見てすらしていないし、衣装については伝統通りに白かったことくらいしか覚えていない。


 けれど、ポーラの焦りとは裏腹に、クレイヴは笑顔を崩さなかった。


「そうですか? では、確認しにまいりましょうか」


 言いながらクレイヴは立ち上がると、ポーラに手を差し出した。


「え?」


 またも驚きの表情で固まるポーラに対して、クレイヴは飽くまで悠然としている。


 今まで、彼は執事だったから、ポーラの手を取ってエスコートすることはなかった。だからポーラはどきりとする。そんな胸の高鳴りをクレイヴは知ってか知らずか、優し気に目元を緩ませて、待ってくれている。


 そわそわとしながらその手を取ったポーラを、クレイヴは屋敷の中のパーティー用の広間に連れて行った。そこには既に、来客がかけるためのテーブルが並べられ、パーティー用の食器類が覆いをかけて用意されている。親族のみで行うこじんまりとした式の予定だったから、その数は多くはないものの、全て立派なものだ。


「いかがでしょう?」


 食器類にかかった覆いを外して、クレイヴはポーラを窺う。その食器は、ポーラが一番気に入っているものだった。クレイヴは、他にも明日使う予定のブーケの花の種類を教えてくれたり、別の部屋に連れていって、仕上げの終わったドレス、グローブ、ヴェールなどを見せてくれた。


 それらの全てが、ポーラの好みにぴったり合うものばかりだ。何年も一緒に居たクレイヴがポーラの好みを把握していない訳がなかった。


「お嬢様にご満足頂けると思っていますが……」


 完璧な準備をしているのを見せつけて、答えなど判り切っているだろうに、クレイヴはあえてポーラに伺いを立てる。


「……で、でもだって……」


「お気に召しませんか?」


「そんなわけないわ!」


 はじかれたように告げたポーラに対して、クレイヴは首を傾げる。


「では?」


 クレイヴに優しく問いかけられたポーラは、答えを言い淀んだかと思えば、顔を真っ赤にして俯いた。

 ポーラの胸に渦巻くのは、クレイヴと結婚できることになった事実へのこの上ない幸福感ではあるが、それとは別にもう一つの想いがある。


「あなたと結婚できるなんて思ってなかったから……自分磨きをしていないもの……」


 後悔だった。


「お嬢様……」


 驚いたような声をクレイヴがあげたが、その顔をポーラは見ることができない。気の進まない結婚だからと、婚礼のための準備をしてこなかったのはポーラだ。その後悔からじわりと涙が浮かんでしまう。


 涙をためた目を見られるのが嫌だったが、ポーラはやがておずおずとクレイヴを見上げて、彼の服をつん、とつまんだ。


「一番綺麗な状態で、あなたのお嫁さんになりたいの……だめ?」


「……っ」


 口を押えて、クレイヴは言葉に詰まる。たっぷり数十秒沈黙するクレイヴを、ポーラは心配そうな目で見上げていたが、その視線を受けたクレイヴはやがて深い深いため息を吐いた。


「仕方がありませんね……」


 延期しましょう、と告げた彼の耳が少し赤くなっていたのに、ポーラは気付かなかった。ただ、式が延期され、万全の状態で嫁げるという事実を無邪気に喜んだのだった。

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