第18話 【番外編】魔法師アレンは目立たない

 魔法師アレンは目立たない。


 アレンは、アーネスト国の王室直属魔法師だ。その実力は高いにも関わらず、本人が目立つことを嫌がるため、華やかな席には出席しない。ゆえに彼の社交界における知名度は低かった。


 アレンと対面した時、ほとんどの人は彼に強い印象は抱かないだろう。


 暗い赤色の髪に、暗い青の瞳、そばかすの浮いた地味な顔立ちは、どこにでもいるような男という印象しか与えず、普通はすぐに忘れてしまう。多少口は悪いが、初対面の人に口の悪さを発揮する訳でもない。


 本人も目立つことを良しとしなかった。だから、『目立たない男』という評価は、彼の望むものだったのだ。王宮での立場は、良くもなく、悪くもない。居心地の良いものだった。


 魔王討伐のメンバーに選出されてしまったことは、アレンにとって想定外ではあったが、大人数での旅ではないから我慢することにした。


 加えてアレンの他には顔の整った第一王子ミヒャエルとホルストの第三王子カイルがいるのだから、聖女も含めたメンバーの中で、地味なアレンが目立つ筈もない。せいぜい死なないよう気をつけようと思うだけだ。


 しかし、聖女カナエは、そんなアレンのことを放っておいてくれなかった。以前から時々、視線を感じていたが、この頃は特に意味ありげな視線をアレンに寄越す。


 彼女は討伐メンバー全員と親しくしている。旅が進むにつれ、ミヒャエルと一番仲良くしているようには見えるが、地味なアレンに対しても彼女は、時々の視線を除けばいつも平等だ。


 たどり着いた宿で、夕食をとりおえ、部屋に移動する時のことだ。いつものように意味ありげな視線をアレンに向けていたかと思えば、決意を固めた顔でアレンに走り寄った。


「いつも思ってたんだけどさ……アレン、そのローブいつ洗ってるの?」


 カナエがアレンのローブの端を掴んだ。その顔はごく真剣である。どうやら視線はローブに注がれていたらしい。

「……適当に洗ってるよ」


「離してくれない?」


「今日洗おうよ。さっき店員さんが飲み物こぼして濡れてたよね?」


 アレンが軽く引っ張るが、カナエはローブを手放さない。


「洗うにしても、自分で洗うよ。お気遣いどうも……おい、何で離さないんだ」


「いやだって絶対洗わないでしょ!」


 カナエの主張はもっともだった。アレンはこの魔王討伐の旅が始まってからというもの、ローブを一度も洗っていない。不便な旅の道中だ、ろくろく洗濯できない日が続くのも仕方ないことだろう。しかし、宿につけば普通は洗う。


 アレンは今日のように見るからに汚く汚れてしまっても、ローブを片時も手放そうとしなかったのだ。もはや地味な男は、ローブのせいで小汚い男に変わりつつある。


「僕の勝手だろう、放っておいてくれないか!」


 アレンがローブを引っ張るが、カナエも負けてない。


「お願いだから洗わせて!」


 カナエがそう言って、力強くローブを引っ張ったその瞬間、ずるりとアレンのローブが外れてしまった。反動でアレンはしりもちをつく。


「おい、何てことを……」


「え、と……あなた誰?」


 忌々し気に呟きながら立ち上がったのは、アレンとは別人だった。


 腰まで伸びた髪は艶やかな銀糸、瞳はアイスブルー、冷たい雪を思わせるその顔は実に整っている。そばかす一つない美しい肌は、透き通るようだ。先ほどまで居た、『目立たないアレン』はどこにもいない。


「ローブを返せ!」


 カナエの腕からローブをひったくると、アレンはそれを素早くまとった。それだけで再び、彼の姿はアイスブルーの美男から、冴えない赤髪の男に戻る。


「アレンなの? どういうこと?」


「見ただろ、このローブで顔を隠してんの。察しろ、能天気聖女」


 そう言ってアレンが宿の部屋に逃げ込もうとするのを、カナエは強引についてきた。


「何で人の部屋に入ってくるわけ」


「ローブ。洗わせてよ。それを人前で外すのが嫌なら、この部屋で洗って、この部屋で干して、明日の朝出る前にまた羽織ればいいでしょ?」


 ローブの端を掴んでカナエが言うと、アレンはため息を吐いた。


 確かにカナエの言う通りだった。アレンは、このローブを見知らぬ人間の前で外すのが嫌だったからこそ、この旅の道中、洗濯ができなかったのだ。


 実のところ彼は、意図的な地味人間なのである。しかし、彼の容姿や経歴と言えば全くもって地味ではない。


 彼のただでさえ目立つ容姿の中でもひと際目を引く長い髪は、魔法のために伸ばしているに過ぎない。魔法師の身体の一部を切り取ったものは、魔法師が最も魔力を込めやすい媒体だ。だから、アレンの髪が長いのは有事の際の魔道具代わりなのである。にも関わらず、伸ばしたその髪の優美さ、その容姿の麗しさから、少年時代は邪なちょっかいをかけられることが多かった。


 魔法師としての腕は、申し分ない。最年少に近い年齢で魔法師の資格を彼はとっている。何故最年少でないのかと言えば、目立つのを嫌がった彼が、最年少記録を更新しない年齢までその才能を抑えていたからに過ぎない。


 ここのところ『アレンは目立たない男だ』という評価を受けているのは、ひとえに普段欠かさず身に着けている目くらましのローブのおかでである。


 目くらましの効果を付与したローブを仕立ててからというもの、彼の生活はとても安定した。ローブを身に着けている限り、彼は目立つことなく、ちょっかいをかけられることなく、平和な暮らしを送ることができたのだ。


 旅に出る前は、ローブの洗濯も出来たが、旅の道中ではいつ素顔を見られるか判らない。必然、アレンはローブの洗濯など出来なかった。


 確かに汚れは酷い。洗濯もしたいとは思っていたのだから、カナエの申し出は渡りに舟である。カナエがどこまで察してくれたのかは判らないが、誰にも見られないようにしてくれるというのならそれに乗らない手はない。


「……破るなよ」


 おずおずとローブを脱いで、アレンはカナエに渡す。途端に再び、アレンの容姿は本来の銀髪に戻った。


「うん! たらいとか借りてくるね!」


 そう言って、カナエは部屋から出ると、すぐに湯を張ったたらいを持って戻ってきた。そしてアレンのローブを湯につけてじゃぶじゃぶと洗い始める。


「……ん~結構がんこな汚れだな…ブラシとかも借りてくればよかった……」


 ぶつぶつ言いながらカナエは真剣にローブを洗っている。よほどローブの汚れが気になっていたのだろう。


 ざぶっとローブを持ち上げて、水気を軽く絞ると、一旦たらいの水を替えに出て行ったがまたすぐに戻ってきた。

 よくよく考えれば、夜中に部屋で二人きりになる必要はなく、カナエにはもっと洗濯しやすい場所でやってもらえばよかったのだが、後の祭りである。もしかしたら後からミヒャエルに何か言われるかもしれないなどと、考えながらアレンはカナエの手元を黙って見ていた。


「ところで、何でそんな綺麗な顔隠してるの?」


 ちらりと一瞬だけ視線を寄越して、カナエはすぐに手元のローブに戻す。


「説明が必要か?」


「別にどんな顔だっていいけど、変身してるなら教えといてよ、びっくりするじゃん」


「……それだけ?」


「うん? よし、綺麗になった~」


 アレンの不思議そうな声に、カナエはのんきな様子でローブを再び絞り始めた。


 既に魔王討伐の旅は半年以上経過している。一緒に旅をする仲間なら、いざという時に秘密を知らなければ、困ることもあるだろう。ミヒャエルやカイルはアレンの容姿のことを知っているが、あえてカナエには伝えていなかったらしい。それをありがたいと思いつつも、本来なら命を預ける仲間に秘密にしていたことを詰られても仕方のない状況だ。それがばれてしまった原因が、カナエの強引な行動だとしても。


 それにこれといった見た目の特徴もない男が、本当は二度見するほどの美形なのだと知れば、目の色を変えて当然である。


 しかし、カナエは詰りもしないし、アレンの容姿にがっついて凝視してくる訳でもない。アレンの自惚れではなく、彼の素顔を見た女性は全て彼の容姿にしか目を向けなかったというのに。ミヒャエルとカイルという美形が一緒に行動していて、顔面偏差値の高い人間に囲まれているからと言って、アレンに見惚れないと言う理由にはならない。


 だからアレンには、カナエの反応が意外だった。


「結構……水を絞り切るの……つら……」


 ローブを持ち上げながらカナエが呻く。


「ごめん、ちょっと手伝って」


 手招きをするカナエに、アレンは素直に従って絞るのを手伝う。


「アレンの素顔ってほんと綺麗だねえ」


 その声音は、花でも愛でるような調子で、色を含んだものではない。アレンはまたため息を吐いて、手を止めた。

「……この顔のせいでちょっかいをかけられる身にもなってみろ」


「あ~そういうこともあるのか。美形も辛いね」


 絞り終えるとローブをぱたぱたと振ってから、カナエは「でも」と続けた。


「そんな隠さないといけない程、やばいかな? 私的にはアーネスト様の方が美形っていうか、かっこいい気がするけど、アーネスト様は顔隠してないじゃん?」


「は?」


 アレンは今、生まれて初めて、容姿について誰かより劣っていると言われたのだ。面食らって変な声が出ても仕方あるまい。ミヒャエルは金髪碧眼で、素顔のアレンと並ぶと丁度月と太陽のような見た目だ。並べれば甲乙つけがたい筈だが、カナエはミヒャエルの方が良いと言うのは、驚くことだった。


 それにミヒャエルの顔がいかに麗しくて、周囲の人間が煩わしくとも、彼は王族である。顔を隠して生活することが許される筈がない。だから比べるべくもないのだが、彼女はそんなことを思いも寄らないらしい。


「僕の方がミヒャエル様より不細工ってこと?」


 その声は、かろうじて笑いをこらえていたと思う。


「えっそんなこと言ってないじゃん! いや、まあ、あのアーネスト様の方が派手? というか……」


「僕の方が地味で目立たないんだ?」


「いやそうじゃなくて……もう! とにかくアーネスト様の方がかっこよく見えるってだけ! あれ、私何言ってんの、何言わせてんのばか!」


 目をぐるぐるとしながら顔を真っ赤にしたカナエが、ローブをアレンに投げつける。それが面白くて、とうとうアレンは笑いがこらえられず吹き出してしまった。


「あんたミヒャエル様しか眼中にないんだね」


 ケラケラ笑いが止まらないアレンを「うっさい」と膨れてカナエは不貞腐れる。


 自分の素顔を知っても、なお、他の男の方が美しく好ましい顔だなんて言うのは、アレンにとって正直とても面白かった。好きな男のことは、それだけ格好よく見えるという話なのだろう。


「ローブ洗ってくれてありがと。洗い方知らなかったんだよ」


 何とか笑いをおさめてから、アレンは外套かけにローブをかけて言う。王宮仕えのアレンは、貴族なのだから洗濯などしたことがなくて、実は困っていたのだ。


「そういうことは早く言いなよ……洗い方次は教えてあげるね」


 呆れたカナエがため息をついたのを、アレンは笑う。


「よろしく。あんた、結構信用できそうで良かった」


「半年も一緒に居て、今更?」


「まあ仕方なくない? 僕人見知りだしね。やっと安心したよ」


 しれっとアレンは言って、心の中でだけ『僕のこと好きにならなさそうだしね』と加える。


「アレンってこんな胡散臭い奴だったの?」


「結構失礼なこと言うよね、あんたも」


「お互い様じゃない?」


 そう返されて、アレンはまた笑った。


 きっと、カナエの中では魔法師アレンの印象は多少変わっただろうが、悪いことではない。ローブを被っていてもいなくても、恐らく彼女の態度が変わることはないのだろう。カナエにとって魔法師アレンは、目立たない奴で居られるのだ。その事実が、何故だかアレンの頬を緩ませるのだった。

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