43 聞かせて、探偵さん
カーテンの向こうで、窓ガラスが揺れる気配がした。どうやら雨が降り出したらしい。徐々に強くなる雨音が、図書室の空気にまで染み込んでくるようだった。
ふ、と短いため息をついて、百瀬が笑う。困ったような、呆れたような笑み。
「つまり、たかやくんは、私が嘘つきだっていいたいのかな?」
百瀬の言葉は、予想以上に胸の奥を突き刺した。
百瀬には秘密がある。それは間違いないけれど、それでも「嘘」といわれると、形容し難い気持ちが身体の中で渦を巻く。
「そうだね。百瀬は俺に嘘をついた。ある目的のために、隠さなきゃならないことがあったから」
震える唇をなんとかこじ開けて、話をする。
「ふふ、おもしろいなあ。そういえば、たかやくんは名探偵だったものね」
百瀬の笑みが深くなった。
「聞かせて、探偵さん。私がどんな嘘をついたのか」
「百瀬は二年一組で総合科に在籍している。まず、これは明らかに嘘だ」
図書室のカウンターをはさんで、俺と百瀬は静かに話を始めた。二人の空間に、雨音だけが絶え間なく響く。
「どうしてそう思うの? 調理実習でチョコレートトリュフを作っていないだけで、クラスが違うなんておかしいでしょう?」
「確かに、それだけでクラスが違うなんて思わない。理由は他にある」
右手を握りしめて、顔の前につき出す。
「まずは写真展の時。一つ、俺との待ち合わせ場所にすぐに現れたこと。二つ、傘立てに傘がなかったこと」
いいながら、指を二本立てる。
「写真展の日、俺たち七組はすぐにホームルームが終わって解散になったけれど、一組はホームルームが長引いていた。それなのに、百瀬は俺との待ち合わせにすぐ現れた」
「ホームルームをサボっちゃうくらいに、たかやくんとのデートを楽しみにしてたってことにはならないかな?」
「だと嬉しいんだけどね。もう一つ。あの日は朝から雨が降っていたのに、一組の傘立てには百瀬の傘がなかった」
「あの時もいったでしょう? 置いていたはずなのに失くなっちゃったの」
頬に手をあてて、百瀬が微笑む。
「そういうこともあるでしょう?」
「うん。それだけなら、俺もそう思ってただろうね。これを見るまでは」
そういって、一枚の封筒を差し出す。
「なあに?」
「図書委員会からの手紙だよ。本を返し忘れている人へのお知らせ」
封筒には宛名が書かれていた。
村瀬(2-1-37)
「この前、一組の石上に聞いたんだ。二年一組は全部で三十七人だって」
百瀬の目がすっと細くなる。
「村瀬くん。いや、村瀬さんかな? とにかく、二年一組の出席番号三十七はこの人だ。クラスの番号は五十音順だから、一組に〈百瀬〉という名前の人物はいないことになる。これが三つ」
封筒をカウンターの後ろにしまって、百瀬に向き直る。
「なんのためにそんな嘘をついたのか。それは、百瀬の行動を考えれば見えてくる」
カウンターを指先で軽く叩きながら、俺はこれまでに聞いた百瀬の話を思い返していた。
「百瀬がやりたがったこと。一つ、失くしたバレッタを探したい。二つ、写真部の展覧会へ行きたい。三つ」
こつん、と爪の先がかたい音を立てる。
「三つ、たかやくんの恋人になりたい」
囁くような声で、百瀬が続ける。白い頬にはかすかに影がさしていた。桜色の口元に浮かぶ笑みから、わずかに視線をそらす。
「……四つ、あるものを探すために、美術倉庫へ入りたい」
ふふ、と小さな声で百瀬が笑う。
「そこに繋がるのね。それで私を呼び出したの?」
「ああ。始業式の日、真木の名を借りて美術部の倉庫へ入ったのは君だ、百瀬」
もう一度、百瀬は笑った。
「おもしろいけれど、もうちょっとかなあ。あいだが抜けちゃって、ずいぶんと乱暴な感じ。名探偵なら、説明はわかりやすくしなくちゃダメよ、たかやくん」
口元に手をあててくすくすと笑う百瀬は、いつもの笑顔だった。
「探偵さんがぴしっと決めなくちゃ、犯人に逃げられちゃうんだから」
これまでと変わらない様子に、張り詰めていた気持ちがほんの少し緩む。
「そうだね、ごめん、はじめからやり直すよ」
深く息を吸って呼吸を整えると、もう一度、正面から百瀬を見つめた。
「百瀬には目的があった。〈あるもの〉を探すという目的が。そのために、写真部の部室へ行く必要があった。その案内役として、俺に、一緒にバレッタを探して欲しいと頼んだんだ」
「なぜ? 探すなら一人で行けばいいじゃない?」
「だって、百瀬は第二美術室の場所を知らなかっただろ?」
形のいい眉がぴくりと動く。
「百瀬が知っていたのは、写真部の部室が美術室だということだけ。その場所へ行く口実だったんだよね? バレッタ探しは。行ったこともない美術室で、何かを失くすはずもない」
窓の外の雨音が強くなった。この様子じゃ、帰りはきっと土砂降りだ。
「ただ、あの日は間が悪いことに写真部でトラブルがあった。百瀬も途中までは話を聞いていたからわかるだろ? そして、美術部の石上が一組だという話を聞いて部屋を出たんだ。顔も知らないクラスメイトと下手に関わったら、嘘がバレるかもしれないから」
百瀬は、何も答えなかった。否定も肯定もしないまま、ただ俺の目を見返してくる。
「俺を写真展に誘ったのも、ピアノを聴かせてくれたのも、その〈あるもの〉に近付くためだ。写真部に知り合いがいる俺なら、話を聞き出しやすいと思ったから。そして、金烏祭の実行委員なら、仕事の手伝いという名目で校内のあちこちに出入りできる。普段は閉鎖されている場所でもね。だから――」
「だから、俺に告白したんだろ、かな?」
カーテン越しの空に光が見えた。二秒ほど遅れて、雷鳴が響く。
雨音につつまれた図書室で、無言のまましばらく見つめ合った。
百瀬のかすかなため息が、沈黙を破る。
「ねえ、たかやくん。私、そんなに悪い子かな? たかやくんにそんなにひどいことをして、それでも探さなくちゃいけないものってなに? そんなに大事なものなの?」
悲しげに呟く口元からは、笑みが消えていた。
「わからない。けれど、百瀬にとってはすごく大事なものなんだと思う。そして、そこまでしなくちゃ探せないものだった」
「全部わかっているようなことをいうのね。それじゃあ教えて? 私は何を探していたの?」
「写真だよ」
一瞬、百瀬の目がきらりと光った。
「百瀬が探しているのは、写真部の作品だ」
百瀬はゆるゆると頭を振って、困ったように微笑んだ。
「そんな。それなら、写真部の子に直接頼めばいいわ。誰かにお願いしたり、勝手に倉庫を探したり、そんな回りくどいことをする必要はない。ちょっと部室を訪ねて、写真を見せてくださいっていえばいいもの」
「普通ならそうだね。でも、百瀬にはそれができなかった」
もう一度、正面に座る百瀬を見つめる。
カウンターの向こうの小さな背。色素の薄いやわらかな髪。薄化粧の頬。ピンク色のリボン。ふわりとした大きめのカーディガン。
はじめて会った時から変わらない、桜色リップクリームの君。
「だって百瀬は、烏山高校の生徒じゃないから」
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