34 想いの行先

「どういうことだ? この手紙は高谷が置いたってことか?」

 久保の声に、クラスメイトの目が俺を向く。

「いや、俺は……」

「違うよ、高谷くんじゃない。これは文化祭の企画の一つなんだよ」

 言い訳をしようとした俺にかぶせて、矢口がやんわりと否定する。

「文化祭の企画?」

 訊ねる小野に、矢口が頷いた。

「そう、ミステリ研のね。高谷くん、さっき見せてくれた予定表をもう一度見せてくれるか?」

 矢口がにこりと手を差し出す。一瞬戸惑った俺に、矢口は笑みを深くした。

 折りたたまれた書類を手提げから取り出し、矢口に渡す。「ありがとう」と言って受け取った矢口は、広げた書類を確認して満足そうに頷いた。

「ほら、これ」

 矢口が指した書類を全員がのぞき込む。示された指の先には、俺の手書きのメモがあった。


 ※ミステリ研究会の体験型推理ゲーム企画

 ①企画名変更 → 「レディピンクからの挑戦状 〜真夜中の怪人はドラゴンと円舞曲ワルツを踊る〜 」

 ②暗号の設置場所確認 → 校舎内限定。他企画との重なり要注意。


「つまり?」

 と久保が首を傾げる。

「今年の文化祭、ミステリ研究会の企画は体験型の推理ゲームだ。たぶん、校舎内に隠された暗号を解きながら推理を楽しむゲームだと思うんだけど、高谷くん、どうかな?」

 微笑む矢口に、戸惑いつつ頷き返す。

「ああ、参加者が探偵役になって、集めた暗号やメッセージを元に謎を解くゲームだ。……当日まで企画内容は他言するなって言われてるんだけど」

 気まずさを誤魔化すように頬をかく。「悪いな」と苦笑した矢口が、もう一度桜色の手紙を広げて見せた。

「小野くんの靴箱にあった手紙には『3時』とあるけど、午前か午後か書いてない。高谷くんのメモを見るに、推理ゲームの舞台設定は真夜中だ」

「そうだな、『真夜中の怪人』って書いてある」

 頷く内田の隣で、久保がぽんと手を打った。

「そうか、レディピンクか。だからピンク色の手紙なのか」

 なるほどなと頷く久保に、矢口がにこりとした。メモをポケットにしまって、クラスメイトをぐるりと見回す。

「そう、この手紙はミステリ研究会がゲームのために用意した暗号だよ。全部を集めないと謎が解けないようになっているから、これだけじゃ意味がわからない。たぶん、企画の準備のために、暗号の配置場所を確認してるところなんだろうな。小野くんの靴箱が選ばれたのは偶然で、探せば校舎のあちこちに似たような手紙が置いてあると思うよ」

 矢口の言葉に、久保が大きくため息をついた。

「なんだ、愛の告白じゃなかったのか」

「期待させやがって。俺たちのときめきを返せよ、小野」

「俺のせいかよ? だから、最初から違うって言ってんじゃん」

 内田の理不尽な文句に、小野が呆れ顔でつっこみを入れる仕草をする。

「でも、よかった。ただのイベントで。本当に待ってる子がいたら可哀想だもんな」

 ほっとした表情でへらりと笑う。こういうところが小野らしい。

 大きく伸びをした久保が、「よし」と掛け声一つ全員を見回した。

「そんじゃ、買い出しに行くか」

「おう、遊び過ぎたからな。さっさとすませちまおうぜ」

 教室の時計を見上げながら、内田が机から腰を上げる。銀色の針は2時を過ぎていた。

「あ、高谷くんはちょっと待って」

 動き出すクラスメイトに声をかけようとした俺を、矢口が呼び止めた。

「この後の舞台打ち合わせで実行委員に確認したいことがあったんだ。悪いけど少し時間くれるか?」

「……わかった」

 頷く俺に、教室のドアから顔を出した小野が手を振った。

「それなら買い出しは俺たちで行ってくるよ。タカちゃんは打ち合わせに行ってて」

「ああ、悪いな」

 賑やかに去っていくクラスメイトを見送り、矢口と二人西棟へ向かう。沈黙の気まずさにちらりと隣を窺うが、矢口はいつも通りの涼しい顔をしていた。

 普段の半分程度の歩調で廊下を進み、渡り廊下に差し掛かる。廊下の途中で、矢口はぴたりと足を止めた。

「はい」

 振り向いた矢口が、いつの間にか手にしていた桜色の手紙を俺に差し出す。

「高谷くん宛だろ? この手紙」

 受け取るのを躊躇う俺の耳に、矢口の穏やかな声が響いた。

「手紙を小野くんの靴箱に置いたのは高谷くんだよな」

「……いつ、気付いた?」

 掠れた声で呟くと、ふ、と小さく息をはいた矢口が肩をすくめた。

「はじめは確信があったわけじゃなかったんだけどね。高谷くんの様子がいつもと違っていたから、なんとなく」

 いつまでも手を伸ばさない俺に手紙を差し出したまま、矢口は小さく笑う。

「確信したのは、久保くんに『高谷が置いたのか?』って訊かれた時かな。高谷くんは顔に出やすいし、嘘が下手だ」

 そうかい。つまりはカマをかけたわけだ。通りで、矢口にしては妙に勿体ぶった言い方をすると思った。

 まんまと引っかかった俺を見る矢口が、ほんの僅か目を細める。

「それに、恋文を靴箱に忍ばせるなんて古式ゆかしい渡し方は、高谷くん好みかなと思ってさ」

 そう言って笑った矢口は手紙を引っ込めると、ポケットから俺のメモを取り出した。教室ではあまりにもさりげなくしまうものだから、返してくれと言えなかった。

「昼前に俺と会った時、高谷くんは東棟の階段を上がってきたところだった。それ自体は特におかしくもないけど、高谷くんの今日の予定では、その前にいたのは陸上部の部室だったはずだ」

 メモを広げた矢口が、予定が書かれた後半部分を示す。



 11:30

 ●写真部打ち合わせ

 ※作品保管場所について相談あり → 北棟の空き教室は使用可能か?


 11:45

 ●運動部企画書受け取りと進捗確認[予定順]

 ・男子バレー部(体育館側部室棟2階)

 ・サッカー部(グラウンド側部室棟1階)

 ・陸上部(グラウンド側部室棟1階)

 ※男子バレー部は企画書未提出 → 部長に要確認


 12:30

 ●クラス準備

 ※Tシャツ発注先に納品日を確認



「陸上部の部室はグラウンド側、西棟の向こうにある。そこから東棟の2年7組教室へ向かうなら、西棟から入って4階の渡り廊下を通った方が早い。わざわざ遠回りして東棟から上がる必要はないんだ。最初に予定表を見せてもらった時には気にならなかったけど、よく考えてみれば動線としては少し不自然だ」

「……何か用があって、ちょっと下の階に行っただけかもしれないだろ」

 いつもと変わらない穏やかな声に、つい拗ねた口調で反論してしまう。

「そうだね。けれど、昼前に高谷くんが東棟1階の昇降口を通ったことは確実だ。でなきゃ、用務員さんがワックスの準備をしていたことを知っているはずがない」

 言葉に詰まる俺に、矢口は続けた。

「高谷くんのトートバッグからスニーカーが見えていたから、靴を履き替えるために昇降口を通ったってのも考えにくい。小野くんの靴箱に手紙を置くために、一度1階まで下りたんだろ? そこから戻る途中で、俺と会ったんだ」

 淡々と説明する矢口に、思わず唇を噛み締める。

 いや、わかっている。悪いのは俺だ。

 午前の仕事を終えた後、すぐに教室へは行かずに昇降口へ向かい、手紙を小野の靴箱に忍ばせた。その後で矢口とばったり会ったものだから、後ろめたさと焦りで、つい余計に喋ってしまった。失敗に気付いたのは、「事務室前でワックスがけの準備をしていた」と口を滑らせた後だ。事務室は昇降口のすぐそばにある。気まずさを誤魔化すために見せびらかした予定表と「事務室前」の発言から、矢口なら気付くだろうという気はしていた。……気付いて欲しくはなかったが、おかげで助かったのも事実だ。

「全部わかった上で、ミステリ研の企画のせいにしてくれたのか」

 呟く俺に、矢口は肩をすくめた。

「全部かどうかはわからないけどな。とりあえず、何か事情があるんだろうとは思ったよ。少なくとも、この手紙は高谷くんの予定に元からあったものじゃなくて、今日になって突然現れたんだろうということはわかる。それも学校に着いてから、午前中のどこかで」

「どうして?」

 なぜそこまでわかるのかと首を傾げると、苦笑した矢口が「昼飯」と答えた。

「高谷くん、今日の昼は外で食べるつもりだったんだろ? だけど手紙の件があるから、小野くんたちと昇降口へ下りるのを躊躇った。だから昼を持ってきてると誤魔化したんだ。普段の高谷くんなら、昼飯がカロリーメイト一箱ってのは、まずないからね」

「……そんなことでかよ」

 見透かされ過ぎていて、ぐうの音も出ない。

 隠し事をしている罪悪感もあったし、何より小野の前でどんな顔をしていいか分からず、昼はこそこそと逃げ出してしまった。ロッカーに非常用のカロリーメイトがあったのは幸いだったが、さすがに一食分には足りなかったから、矢口から貰ったメロンパンは正直助かった。

 がしがしと頭をかいて、ちらりと矢口を見る。少し長めの前髪に隠れた目は、真っ直ぐにこちらを見ていた。

 気まずさに目を伏せる俺に、矢口はもう一度手紙を差し出す。

「……俺宛かどうかはわからないだろ」

 この期に及んで受け取りを躊躇うと、小さく笑った矢口が俺の手を取った。開いた手のひらに手紙をのせ、ぱっと手を離す。

「おい、ちょっと」

 開いた窓から風が吹き込み、飛ばされないように慌てて手紙を掴む。矢口にしては珍しく強引だ。

「さっきも言ったけど、その手紙は高谷くん宛だろ」

 窓辺に背を預けて、矢口がにこりと笑う。手の中のかさりとした紙の感触に、思わず開きかけた口を噤んだ。

 窓から吹き込む風が髪とシャツをくしゃくしゃとかき回して離れていく。通り過ぎた風を見送って、矢口が穏やかに微笑んだ。

「その手紙には宛名も差出人もない。けれど、宛名はともかく、差出人が書いていないのはおかしい。これが本当に単なるラブレターで、ただ想いを伝えるのが目的なら、差出人がないのもわかる。奥ゆかしい大和撫子が、自身の秘めた恋心を伝えるために、想い人の靴箱にそっと忍ばせたのかもしれない」

 ドラマのワンシーンのような情景が頭に浮かぶ。久保が喜びそうなシチュエーションだ。

 両手をポケットに入れた矢口が、肩をすくめて小さく笑う。

「けれど、この手紙は呼び出しのメッセージだ。相手を約束した場所に呼び出すのに、名乗らないのはおかしい。小野くんじゃなくても、相手が誰かもわからないのに、呼び出しに応じる人はそういないよ」

 矢口の目は、遠く窓の向こうを見据えていた。視線を追って外を見る俺の目に、澄み切った青空が映る。

「なぜ差出人が書かれていないのか。それは、この手紙が直接手渡されたものだからだ。本人から渡された手紙なら、宛名も差出人も必要ない」

 手の中の手紙を見つめる。桜の香りが風に舞ったような気がした。

 蝉の声を浴びながら、中庭で俺を呼び止めた声を思い出す。

 廊下にさす夏の陽に眩しそうに目を細めながら、矢口がやわらかく微笑んだ。

「その手紙を渡す時、差出人は多分こう言ったんだ。『たかやくんに』って」

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