30 多忙な夏休み
金烏祭実行委員の夏休みは、休みではない。そう聞いてはいたけれど、実際その通りだった。
企画書を元に実施計画を立て、分担して準備にあたる。打ち合わせは毎週のように開かれるが、毎回変更点が多くて計画はなかなか定まらなかった。夏と秋に大会を控えている部活の中には企画が決まっていないところも多く、そのフォローも実行委員が請け負うことになる。計画通りに実行するだけでも大変なのに、未定な部分が多過ぎて、思うように準備が進まない。打ち合わせのたびに変更、修正、代替で、文字通り目が回るような忙しさだ。夏休み中は授業がないので体力的には問題ないが、毎度のように白紙になる計画書を前に、頭と心が疲弊する。
「うちの学校にこんなに部活があったとは知らなかったよ」
正門前でばったり会った小野と校舎へ向かいながら、思わず愚痴をこぼす。
「〈将棋部〉と〈囲碁部〉はわかる。けどさ、〈囲碁・将棋部〉ってなんだよ。なんでわざわざ分けたんだ?」
「どっちもやりたかったんだろうなあ」
両手を頭の上で組んだ小野が、空を見上げながらのんびりと呟いた。
「しかもそれとは別に〈ボードゲーム部〉と〈マンカラ部〉もあるしさ。いくらなんでも多過ぎるだろうよ。全部〈ボードゲーム部〉じゃダメなのか?」
「俺は去年、〈マンカラ部〉と〈
わははと小野の能天気な声が青空の下に響いた。
「〈曼荼羅部〉って、一体どんな活動してるんだ?」
「確か、曼荼羅の研究したり、実際に曼荼羅をかいたりしてるって話だったけど」
参考までに訊ねてみるが、小野も「よくわかんね」と首を傾げた。まったく、いろんな部活があるものだ。
東棟の昇降口で靴を履き替える。スニーカーは靴箱へしまわず、ビニール袋に入れて手提げに突っ込んだ。実行委員の打ち合わせを何度か経験してわかったが、準備で校内をあちこち動き回るため、手元に靴があった方が何かと便利だ。
昇降口近くにある事務室の前を通り、階段を上がって、4階の2年7組教室へ向かう。鞄をロッカーに放り込んでいると、隣で「うわ、しまった」という小野の声がした。
「どうした?」
「昼飯買ってくんの忘れた」
なんと。成長期の男子高校生にとっては死活問題ではないか。
「しょうがない、昼は駅前にでも行くかなあ」
面倒くさそうに頭をかきながら、小野がロッカーを閉める。鍵のかかる音がかちゃりと鳴った。
「駅前の商店街にあるケーキ屋、8月のタルトはブルーベリーだったぞ」
「いや、昼飯だっつーの」
でも気になんねそれ、と笑う小野と並んで西棟へ向かう。渡り廊下を通って3階へ下り、図書室とは反対の方へ進むと、突き当たりにある部屋が生徒会室だ。
「おはようございます」
ノックをしてドアを開けると、部屋の中央にいた男子が振り返った。
「おう、タカタカっち。おはよ」
片手を上げたのは生徒会長の鈴川先輩だ。会議用の長机に腰を下ろして足を組み、手元の資料をぱらぱらとめくっている。行儀が悪いはずなのに、妙に様になっているところが憎らしい。
特選科学年首位の我らが生徒会長は、文武両道、科挙圧巻、智勇兼備、高材疾足、徳高望重の人格者で全校生徒の憧れの的、である。あくまで本人談なので実際がどうなのかは知らない。知らないが、実行委員になってからの様子を見るに、人望が厚いというのは間違いないようだ。誰にでも気さくに話しかける上に頼りになる鈴川先輩は、後輩からもよく慕われている。……人をからかって遊ぶ癖が玉に瑕だけれど。
「いい加減その呼び方やめてくださいよ、会長」
文句を言いつつ席に着く俺に、鈴川先輩がへらりと笑う。
「そう? いいと思うけどなあ、ゆるキャラっぽくて。なんかお土産コーナーとかに並んでそうじゃない?」
「勘弁してください。会長が面白がってふざけるせいで、最近、1年にまでそう呼ばれるんですから」
うんざりした顔でため息をついて見せると、鈴川先輩は楽しそうに笑った。
やがてばらばらと人が集まり、10時ぴったりに打ち合わせが始まる。これまでの進捗状況と変更点を確認し、改めて今後の動きについて話し合う。必要な情報を共有して、10時15分には解散となった。相変わらず円滑で無駄のない進行。どこかの図書委員会とは大違いだ。
配られた資料に書き込んだ今日の予定に目を落とす。
10:00
●実行委員打ち合わせ(西棟3階生徒会室)
10:30
●文化部企画書受け取りと進捗確認[予定順]
・将棋部(北棟4階社会科室)
・料理研究部(西棟1階調理室)
・漫画研究会(北棟2階地歴資料室)
・ミステリ研究会(西棟2階物理講義室)
・書道部(北棟1階書道室)
・合唱部(西棟3階多目的室)
・リコーダー部(西棟4階地学室)
※合唱部とリコーダー部の当日舞台リハーサル日程再調整
※料理研究部の火気使用許可確認
※ミステリ研究会の体験型推理ゲーム企画
①企画名変更 → 「レディピンクからの挑戦状 〜真夜中の怪人はドラゴンと
②暗号の設置場所確認 → 校舎内限定。他企画との重なり要注意。
11:15
●2年クラス準備進行確認
※クラスTシャツの集金リスト確認
11:30
●写真部打ち合わせ
※作品保管場所について相談あり → 北棟の空き教室は使用可能か?
11:45
●運動部企画書受け取りと進捗確認[予定順]
・男子バレー部(体育館側部室棟2階)
・サッカー部(グラウンド側部室棟1階)
・陸上部(グラウンド側部室棟1階)
※男子バレー部は企画書未提出 → 部長に要確認
12:30
●クラス準備
※Tシャツ発注先に納品日を確認
とりあえず、今日の仕事は午前中で片付きそうだ。午後からはクラス企画のサポートに専念できるし、時間があれば図書委員会の準備もできるかもしれない。
やれやれと立ち上がると、いつの間にか鈴川先輩が後ろに立っていた。
「悪いね、手間のかかる仕事ばっか押し付けちゃって」
俺が持つ資料をのぞき込んで苦笑した先輩が、申し訳なさそうな顔をする。
「実行委員になる奴は、リーダー役をやりたいってのがほとんどだからさ。手間も時間もかかって、その上あんまり目立たない事務作業は常に人手不足なんだよ。書類仕事もできるだけ分担しようとしたんだけど、結局は高谷にだいぶ押し付けちゃったな」
困った顔で首の後ろをかいていた鈴川先輩が頭を下げた。
「本当にごめん」
「いいえ。俺、書類整理とか日程調整とかの仕事、好きなんで」
珍しくへこんでいるらしい鈴川先輩の様子に、慌てて顔の前で手を振って見せる。
「それにリーダー役は誰でも務まるものじゃないですから、資質がある人がやるべきです。誰にでもできる雑用は俺が引き受けますよ。元々、そのつもりで受けた実行委員ですから」
自分でいうのも情けないが、俺はリーダーなんて柄じゃない。どう考えても役者不足だ。
「それに、準備で働いた分、祭の当日はのんびりと楽させてもらう予定です」
書類をひらひらとさせながら、へらりと笑って見せる。
顔を上げた鈴川先輩が、俺の目をじっと見た。いつになく真剣な眼差しに少しだけ戸惑っていると、突然、にかりと笑った先輩にぱしりと肩を叩かれる。
「今年の金烏祭が成功したら、MVPは間違いなくタカっちだな」
そんじゃ今日もよろしくな、と笑って手を振ると、鈴川先輩は部屋を出て行った。閉じたドアの向こうから、先輩の「チンパンジー、こころはパンダ」という不可思議な歌が聞こえてくる。ご機嫌そうで何よりだ。
「あの人に言われても説得力ないよな」
書類を綴じたファイルを手提げ鞄に突っ込んでいると、後ろから男子生徒のぼそりと呟く声がした。
振り返ると生徒会会計の杉本が呆れた顔で腕組みをしている。何の話だと目で訴えると、杉本はふんと鼻を鳴らした。
「うちの会長、生まれつきのリーダーって感じだろ? 成績優秀でスポーツ万能、おまけに演劇部のスターだ。常に自分がMVPみたいな人に言われてもな」
つまらなさそうな顔で淡々と呟くと、大きな鞄を手にすたすたと部屋を出て行く。その後ろ姿をぼんやりと見つめる俺の肩に、触れる手があった。
「それじゃ、俺は舞台まわりの打ち合わせに参加してから、先に教室に行ってるよ。今日はクラス企画に集中したいからさ。タカちゃんは何時くらいになりそう?」
いつもの明るさで小野が笑った。人好きのする笑顔は、鈴川先輩とも少し似ている。
「結構まわるところがあるから、クラスの手伝いは午後かな。途中でちょっと顔出すよ。会計係の内田と納期の話もしたいからさ」
「了解! そんじゃ、また教室で」
「ああ、後でな」
楽しそうに笑う小野に手を振る。
さて、時間は有限。やるべきことはたくさんある。
手提げ鞄を担いで部屋を出る。鞄の中に押し込んだスニーカーがドアにぶつかって、ごとりと音を立てた。
北棟と西棟を往復し、各部をまわって企画書を集める。移動の手間を考えると校舎ごとにまとめて済ませてしまいたいが、それぞれに都合があるのでそう上手くもいかない。提出された企画書にその場で目を通し、改善箇所の指摘と修正案を提示しつつ、進行状況を確認して次へ。
●将棋部
「人間将棋をやりたいんだ。天童桜まつりみたいな感じで」
「グラウンドは他の部活から既に使用届が出されているので、現時点では長時間の確保が難しいですね。予算と人員にも限りがありますし。5五将棋くらいに規模を縮小した企画なら、場所によっては可能かもしれません」
●料理研究部
「ただ料理するだけじゃ地味だからさ、できるだけ派手にしたいんだよね。今のとこ、グラウンドのど真ん中でキャンプファイヤーして、インディアンの衣装を着て踊りながら、焼いたマシュマロを客に配るっていう案がイチオシなんだけど」
「残念ですが、グラウンドは火気の使用が認められていません」
「じゃ、裏庭」
「裏庭もダメです。中庭の指定場所でなら調理用の火の使用は可能ですが、火気使用届は提出されましたか?」
「……」
「……許可が下りてから再案を練りましょう」
●漫画研究会
「実行委員です。文化祭の企画書ですが……」
「ああ、『少年漫画におけるヒロインとその歴史的変遷 〜あざとさとは何か〜 』の企画ね。担当者が不在なので出直してもらえます?」
「……」
●ミステリ研究会
「僕がやりたいのは本物のミステリなんだよ! ただの謎解きパズルではないのだ!」
「わかりました。それで、ゲームに使う暗号の設置場所ですが、校舎内のみで間違いありませんか?」
「ふむ。これが我がミス研が総力を上げて作り出した、暗号の隠し場所を示した地図だ」
「……先輩、この学校には時計塔も隠し通路も、秘密の実験室も閲覧禁止の図書室もありません」
●書道部
「うちの書道パフォーマンスと合気道部の演武を合わせたらどうかって話があるのよ」
「企画としては問題ありませんし、舞台枠も確保できると思います。ただし、書道パフォーマンスの実施には一つ条件が」
「何?」
「昨年のパフォーマンスで墨が入ったバケツをひっくり返して体育館を一時使用不能にした件について、対策を検討して改善案を提出するようにとのことです」
「……頑張って気を付けます、じゃダメかしら」
●漫画研究会・再び
「実行委員です。企画書を受け取りに来ました」
「ああ、何度もごめんね。今ちょっと取り込み中でさ」
「トラブルですか?」
「いや、少年漫画のヒロインは唯一絶対の存在だから価値がある派と、複数ヒロインだからこそ表されるそれぞれの魅力に価値がある派で対立しちゃってね」
「……出直しましょうか」
「そうしてくれる?」
●合唱部・リコーダー部
「当日の朝のリハは絶対よ。全員の調子を確認したいし、モチベーションを上げるのにも必要なの」
「うちだって同じだ。ただでさえ舞台は演劇部や軽音部の練習と準備であまり使えないんだ。当日のリハーサルくらいは十分にさせて欲しい」
「当日のリハーサルが必要だということはよくわかりました。ただ、朝の時間には限りがあるので、両部とも15分で納得して頂けませんか?」
「本番は25分なのよ? 15分じゃ足りないわ。リコーダーなんて、吹けばいつだって同じ音が出るじゃない。歌は繊細なのよ」
「ふざけるな! 俺たちの『口笛かと思ったら縦笛!? 7つの音色が奏でるリコーダーとダンスのハーモニー 〜篠笛を添えて〜 』は、そんな軽い舞台じゃないんだ!」
「バカバカしい、ふざけてんのはどっちよ!?」
「……わかりました。リハーサルの時間について、もう一度舞台担当と相談してきます」
予定していた部をひと通りまわり、ひとまず2年7組の教室へ向かう。
相変わらず、どの部活も賑やかだ。青春を謳歌しているようで結構ですねと、ちょっとだけ拗ねた気分になる。自分で帰宅部を選んでいるんだから、拗ねるのも筋違いなんだけど。
教室のドアを開けると、振り向いた小野が「お疲れ」と片手を上げた。
「あ、やっと来たな。なあ高谷、これどう思うよ?」
クラスメイトの内田が手招きするのに応え、教室の中心に歩み寄る。内田が指差した先には、金烏祭用に各組で制作しているクラスTシャツのデザイン案があった。マンガのキャラクターのような可愛い女の子がタバコを咥えてウインクしているイラストが描かれ、その下には「smoking kids」の文字が読める。
なるほど。何というか、なんらかのメッセージを感じる。……何のメッセージかは知らんけど。
とりあえずTシャツのデザインを担当していた久保に視線をやると、目が合った久保がふっと笑って髪をかき上げる仕草をした。
「いいだろ、そのイラスト。3日かけて描いたんだぜ。テーマは、この支配からの……卒業」
言い終わると同時に、クラスメイトから野次が飛ぶ。
「却下」
「いいわけないでしょ」
「卒業の前に停学くらうわ」
「可愛くなーい」
予想以上にボロクソである。
「高谷ならわかってくれるよな」
級友からの手厳しい評価に、不満気な顔で口を尖らせた久保が俺の手を取った。
「頼むよ、こいつらにアートの何たるかを教えてやってくれよ」
「そうだな。『smoking kids』の下に、太字で『これはココアシガレットです』とでも書いたらどうだ?」
「注意書きだらけのデザインに何の意味があるんだ! 社会に迎合した芸術など存在する価値はない!」
憤慨する久保の隣で、内田が深く頷いた。
「いや、待て。むしろ強いメッセージを感じる」
「気をしっかり持て、久保。改善の余地はあるぞ」
「私、もっと可愛いTシャツがいいんだけど」
「可愛いシャツなら、しまむらでもユニクロでも買えるでしょーが」
クラスメイトが口々に言い合う輪を抜け、少し離れた場所からにこにこと様子を見ていた小野の隣に立つ。
「盛り上がってるな」
「まあね、デザイン組が張り切ってるからな。今年のクラスTシャツ大賞は2年7組が獲るっつってさ。合言葉は、壊せアイデンティティ!」
「いや、壊すんかい」
思わずつっこむと、小野がふふと笑った。
「まっさらな状態から自己を見直すってのがテーマなのよ」
「発案者は?」
「俺」
「だと思った」
楽しそうに笑う小野の視線の先では、Tシャツのデザインについて熱い議論が交わされている。熱弁を振るう久保を中心に賑やかさを増す輪を指して、小野がにやりと笑った。
「
「
目を合わせて小さく吹き出す。何にせよ、楽しそうで何よりだ。
「そういえば、こないだ百瀬に会ったよ」
ふいに、小野が話題を変えた。
「百瀬、ピアノが弾けるんだってな。俺は楽器とかさっぱりだから、かっこいいよなあって話をしたんだ」
「へえ、そうなんだ」
笑って相槌を打つと、小野は窓の手すりに背を預けて大きく伸びをした。
「ピアノ弾けたら合唱祭ももっと楽しくなるよな。俺、ラピュタの主題歌やりたい」
「地球まわっちゃうやつ?」
「君をのせちゃうやつ」
ふざけた調子で笑いながら、窓からのぞく空を見上げる。
夏の匂いがする濃い青空には、天空の城が隠れるような大きな雲は浮かんでいない。本日は晴天なり。
「それじゃ、俺、実行委員に戻るな。午後には手伝いにくるからさ。Tシャツの集金の話は後にするよ、議論に水を差すのは悪いから」
「了解。お勤めご苦労様です」
敬礼する小野に手を振り、教室を後にする。閉じたドアの向こうから「何してんだ小野」「リーダーがサボんな」という声が聞こえてきた。
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