22 相棒
ひとしきり笑い終えた後の俺たちに、笹山が声をかけた。
「それじゃ、後は私に任せて、みんなは帰りなさい。真木ちゃんも先に部室へ行っていてくれる? 高谷くん、真木ちゃんをお願いできるかしら」
真木が首を振る。
「そんなことできない。騒ぎを起こしたのは私だから、最後まで付き合う責任がある。茜に押し付けるわけにはいかない」
「押し付けられたんじゃなくて、引き受けたのよ。心配しないで。私、こういうのは得意だから」
にこりと微笑んだ笹山が、「それに」と続ける。
「トラブルの当事者がいつまでも同じ空間にいたら面倒なのよ。大丈夫、話はちゃんとつけるから」
ね? とウインクする笹山に、はっとした顔を向けた真木が深く頷いた。
さすが烏山の名奉行。しっかり説教して釘を刺した上で、不貞腐れている野島と吉沢の二人に対してもちゃんとフォローしてくれるんだろう。大岡裁きならぬ笹山裁き。彼女の元に数多の相談事が持ち込まれるのも納得だ。
「それと、あなたたち」
笹山がちらりと俺たちを睨んだ。
「喧嘩の後に揃って大笑いなんて、余計な煽りをするんじゃないわよ。仲が良いのは結構だけど、状況を考えなさいよね、状況を」
しっかり叱られた。そりゃそうか。確かに、今のは俺たちが悪い。
隣を見ると、矢口と航一も気まずそうに頭をかいている。
「そんじゃ、帰るか」
航一の声に頷き、図書室のドアを開ける。ぎぎいと錆びついた音が廊下に響いた。外に出る俺たちに、矢口が軽く手を振る。
「片付けなら俺が見ておくよ。笹山さんを引っ張り出した責任もあるから」
任せてと笑う矢口に、真木が小さく頷いた。
じゃあなと手を振る航一と階段で別れ、新聞部の部室へと向かう。新聞部は、確か西棟四階だ。すたすたと先を歩く真木の背を追いかけながら、鼻歌混じりに階段を上がる。
「どうしてついてくるの」
階段の途中で、真木がぽつりとこぼした。
どうしてといわれましても。
「真木ちゃんをお願いって、笹山に頼まれたからさ」
他にも理由はあるが、それを真木に伝えると口を利いてくれなくなりそうだ。誤魔化しついでに少しだけ笹山の声を真似してみると、軽く睨まれた。
ふと視線を逸らした真木が小声で呟く。
「いつ、私と高谷が友達になったの?」
思いがけない質問に、一瞬、返事が遅れる。
「いや、あれは言葉の綾っつーか。何の関係もないのに出しゃばるわけにはいかないだろ?」
少し考えて口にした言葉は、妙に慌てた言い方になった。
というより、俺と真木って友達じゃなかったんだっけ?
図書委員の同志として友情を感じていたのは、どうやら俺だけだったらしい。片思いの事実に少しだけヘコむ。
真木がふんとそっぽを向いた。
「急に友達といわれてもしっくりこない」
拗ねたような言い方に苦笑する。よかった。どうやら本気で嫌がられてはいないみたいだ。
「友達がダメなら相棒はどうだ? 当番もいつも一緒だしさ、なんなら去年からの付き合いだろ? 図書委員の相棒って感じで、どう?」
黙り込む真木に、うへへと笑う。
「あ、それとも相方の方がいい?」
「高谷と漫才を組んだつもりはない」
ぴしゃりと返された。
そうね。真木ならそういうと思った。
ぷいと背中を向けた真木が、すたすたと階段を上っていく。
「別に、相棒でいいけど」
階段の上から小さく呟く声が聞こえた。見上げる俺の頬を、踊り場の窓から差し込む光が照らす。逆光で真木の顔はよく見えないが、少し赤く染まっているような気がした。そのことが何となく嬉しくて、口元がにやけてしまう。
「よろしくな、相棒」
「連呼しないで。恥ずかしい」
真木を新聞部へ送った後、渡り廊下を通って東棟から階段を下りる。昇降口で靴を履き替えて外へ出ると、空には灰色の雲が重たく広がっていた。昼休みに降った雨は放課後にはあがっていたが、水を含んだ空気は変わらず、あたりにしっとりと佇んでいる。
これは、またひと雨あるかもしれない。
鞄に折り畳み傘は入っていただろうかと考えながら正門へ向かう。途中、靴紐が解けかかっているのに気付いてしゃがみ込んだ。紐の先に指をかけたところで、すぐ近くから水たまりをぱしゃりと踏む音が聞こえる。
「貴文くん」
靴紐を結び直していた俺の頭上に、鈴の音のような声が落ちた。顔を上げると、すぐ目の前に百瀬が立っている。
「百瀬」
慌てて立ち上がり、頭を下げる。
「さっきはごめん、話の途中で」
「ううん、いいの」
百瀬がにこりと微笑んだ。
「私、見てたよ。貴文くん、あの子を助けてあげようとしたんでしょう?」
あの子とは、多分、真木のことだろう。さっきの図書室の騒ぎを、百瀬も見ていたということか。高校生にもなって喧嘩してるところを見られるなんて、何というか、かなり情けない。
気恥ずかしさに愛想笑いを返す俺の顔を下から覗き込んで、百瀬は優しく笑った。長い睫毛がやわらかく震える。
「すごくステキでかっこよかった。本当に、貴文くんは優しいのね」
明るい声の中に、ほんの少しだけ暗さが混じったような気がした。理由のわからない違和感を探して、目の奥を覗き込む。百瀬の瞳は、いつもと変わらずガラス玉のように透き通っていた。
「百瀬?」
大丈夫かと訊ねようとした時、百瀬がぱっと両手を合わせた。首をことんと傾けて、楽しそうににっこりとする。
「ね、貴文くん。さっきの話、覚えてる?」
「ああ、うん。写真部の展示会へ行きたいって話だよね? もちろん覚えてるよ」
百瀬がうふふと笑った。表情にも声にも、どこにもおかしなところは見当たらない。いつも通りの、可愛らしい女の子だ。
「来週水曜の放課後はどうかな?」
百瀬の提案に「わかった」と頷く。水曜なら図書委員の当番もない。
「それじゃ、教室で待ってて? 迎えに行くから」
「え、そんな、悪いよ、わざわざ来てもらうなんて。俺が一組まで迎えに行くって」
慌てて断ると、百瀬は人差し指を頬っぺたにあてて、うーんと考える仕草をする。
「えーっと、ね、それじゃあ、中庭のベンチで待ち合わせしない?」
「中庭の?」
訊き返した俺に、百瀬がにこりと微笑んで頷いた。桜色の唇がやわらかな弧を描く。
「その方が、デートって感じがするでしょう?」
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