グリュ=ヴォまで何百光年?

皇帝栄ちゃん

前編


 その神社を見つけたのは、ただの偶然だった。

 巫女さんのおっぱいを揉んだのも完全な不可抗力で、下心は一切なかった。

 だからそういう仲になるとは思わなかったし、なんか宇宙的なバケモンたちとやらかす羽目になるとは想像もできなかったし、ぜんぶ偶然のなせる業だ。

 偶然のもつ影響力について、織田作之助は後期の評論と作品で存分に語っている。

 

 季節は晩秋だった。

 午前中からパチンコで大負けして思わず台パンしたら出禁をくらい、常連客のおっさんたちから「ロン毛の茶髪三つ編み姉ちゃん、三度目の正直やな!」とゲラゲラ笑い飛ばされ、どこか静かなところでタバコふかしたい気持ちになった。

 普段は乗らない電車に乗って、秘境駅っぽい雰囲気の寂れた駅で降りた。

 いかにも都会人の想像する田舎といった郊外の道を適当に歩いていたら、多くの人は見過ごしてしまうだろう通路を発見した。昼でもなお薄暗く狭い細道を進んでいくと、古びた石段があった。ぼろい立札には『平坂』と書いてある。

 およそ五〇段ほど上がると、密集した木々に覆われた小さな廃神社に出くわした。

 いまにも壊れそうな社と賽銭箱と社務所らしきものがあるだけで、参拝客は影も形もない。ボロボロの石碑には〈百合光神社〉と彫られていて、なにを祀っているのかさっぱりわからない。

 廃神社と決めつけたウチは途中のコンビニで買ったバナナを食べ、皮はその場にポイ捨てした。それから愛用のパイプを取り出すと、陽光のさす境内でぷかぷかやりはじめた。

「そこのあなた、なにやってるんですか! ここは禁煙ですよ!」

 社務所のほうから巫女さんが出現した。まだ十代半ばくらいか、あどけない顔立ちをした可愛い巫女さんで、長い黒髪を後ろ首の赤いタイリボンでまとめている。くりくりっとした大きな丸い瞳は琥珀色(ウチは細目の赤茶色)。背丈は頭のてっぺんがウチの肩よりちょい上あたり。

 ぶっちゃけると内心かなりびびった。ウチはちょっとでも人の気配がすればすぐわかるのだが、この少女が近づいてくるのにまったく気づかなかったのだ。

 いうてナメられたら負けだ。いつものように飄々とした態度で笑みを浮かべる。

「ごめんごめん。まあカタいこと言わんと、ちょっと一服だけさせてーや」

「駄目です。いますぐ処理して喫煙所へ行ってください」

「や、歩きタバコせえへんだけでも立派やと思うてくれへん?」

「ふざけないでくださいっ」

 感心するほどまじめな顔と清楚な声でとがめてくる。

 いちおう横を向いてパイプをくゆらせたが、それでも巫女さんはけほけほと口もとをおさえ、手をぱたぱたやりながら非難のまなざしを浴びせた。

「あなたいくつですか?」

「えっ、二六やけど?」

「私よりひとまわりも年上じゃないですか! いい大人が未成年のまえで副流煙をまき散らして、受動喫煙させて、恥ずかしくないんですか!?」

「パイプはシガレットと違って受動喫煙のリスク低いよ」

「そういう問題じゃありません! 煙を出してることに変わりはないじゃないですかっ」

 おわー、こんなクソまじめな良い子ちゃんで清純の塊みたいな女の子、おるところにはおるんやなあ。ウチの知ってるバイト巫女なんか、こっそりタバコ催促してきたもんやけど。

 ちょっと感動してたら、巫女さんが目の前まできてパイプを取り上げようとしてきた。

 そこそこお高いパイプなので当然ながら抵抗するが、こんないい子に怪我はさせたくない。適当にもみ合っているうち、巫女さんの草履がバナナの皮を踏んだ。足をすべらせた彼女はウチを押し倒す形でいきおいよく前に転んだ。これはさすがに対処不能――なんという偶然の驚異か!

 玉砂利のごりごりを背中に感じ、このまえ買ったばかりのジーンズ(エドウィン)が汚れてもうたかなあと思いつつ目を開ける。ちょうど巫女さんがウチに覆いかぶさる状態で、ウチの両手は彼女の二つのふくらみを白い着物の上からわしづかみで揉んでいた。着物越しなのに結構たわわな果実とやわらかさだ。さすがにウチよりは少し小さいが、十代の若さがもつ圧倒的なみずみずしさを感じる。

 そんな感嘆をおぼえていると、巫女さんの顔がみるみる真っ赤になった。

「いっ、いやあああああっ!」

 非力なビンタとはいえ、マウント姿勢で加減なしに頬を張られるのは結構きく。

「いってぇぇ……」

「あ、あっ、ごごご、ごめんなさいっ」

 ばっと起き上がった巫女さんがあたふたして頭をぺこぺこ下げた。うわ、ええ子やなあ。

 ウチはニヤニヤしながら両手を閉じたり開いたりしてみせる。

「いやあ、キミ、清純な見た目のわりに意外と大きいねえ」

 最初きょとんとしていた巫女さんだが、さすがに意味を理解したのか、熟れすぎのリンゴよろしくまた頬が赤く染まった。

「その立派な胸を強調したデザインの巫女装束を着たほうが受けるよ? ミニスカートやと一層ええな。参拝客たくさん来て大繁盛まちがいなしや」

「せっ、セクハラ! 性的な揶揄を人に向かって言うのはセクシャルハラスメントです! いけないことです、あやまってください!」

 パニック寸前の羞恥と怒りで謝罪を要求してくるのが最高に可愛くて悶絶しそう。

「へえー? でもキミさっきウチのパイプを取り上げようとしたよね? いくら境内が禁煙やからって、人の所有物を勝手に没収してもええの?」

「そ、それは……それは、よくないです。はい。ごめんなさい」

 ウチの論点ずらしに言葉を詰まらせながらも素直にあやまる巫女さん。もっとからかいたくなる欲求が湧いてきたけど、こっちも素直にちゃんとあやまった。この子の言ってることは正しい。セクハラはいけないことだ。

 しっかり許してもらい、パイプを仕舞ったところで、ふと思いついた。

「ちょっと聞きたいんやけど、巫女さんってお祓いとかやってるん? ほら、海外のエクソシストみたいなん」

「なんですか急に。まず理由を聞かせてください」

「数週間前から妙に体調がイマイチすぐれんのよ。おんなじ時期にマンションのウチの部屋でときたま変なニオイがするようになってな。よくわからんけど、魚の濁ったような臭いニオイが。気にせんようにしてたけど、こうやって神社きて巫女さんを目の前にすると、あの現象やっぱり不気味やなと思って」

 気のせいで片付けられそうなヘタクソ説明だが、彼女はじっとウチを見つめて、こくんとうなずいた。

「あなたの家までどれくらいかかりますか?」

「えっ? ええと、たぶん三〇分くらいのはずやけど……」

「わかりました。本当に怪異が起きているかどうか確認しますので、家まで連れていってください」

「えっ、ええっ? まって、ええの? こっちから話を切り出しといてなんやけど、ウチがキミを、えー、イタズラ目的で誘ってるとか思わんの?」

 悪いやつに騙されないか心配になるレベルだから、念のため注意喚起したのだが、

「大丈夫です。私、人の邪念は感じ取れます。あなたが悪意を抱いて嘘をついていたらわかります」

 ものすごい自信で言い切った。よくわからんが、巫女さんの特殊能力ってやつ?

「あー、えーと、うん。じゃあキミ、なにちゃん?」

「私は餡です。平坂ひらさかあん、一六歳。ちゃん付けは好きじゃありませんから名前で呼び捨ててください。ちなみに平坂は黄泉よもつ平坂ひらさかの平坂で、うちの神社は古来より黄泉平坂と関係が深いと伝えられています。独自の伝承によると黄泉よみは深淵を意味するそうで、黄泉平坂は大いなる深淵と呼ばれるそうです。あと、神社の祭神は不明です。神仏習合でごちゃごちゃになったとき失われたそうですが、古来より祀られているようで、その力を宿した秘具が社に封印されているとか」

 聞いてもいない情報が矢継ぎ早に飛び出してきた。よっぽど質問されたんやろなあ。

「ウチは織田おだ咲子さきこ織田咲おださくとかさくちゃんとか呼ばれてるけど、好きに呼んで」

 もちろん織田作之助とはなんの関係もないが、その生き様と精神には良くも悪くも共感できるところがある。


 餡ちゃんは巫女服のままついてきた。電車でちらちら好奇の視線を浴びてもまるで気にしてなかった。

 七階建てのマンションに到着して四階のウチの部屋にお邪魔した彼女は悲鳴を上げた。

「あのっ、部屋のそこかしこに埃がたまってるんですけど!? ベランダの窓と網戸、これまったく拭いてませんよね! 部屋の壁紙が変色してきてますが!? 冷蔵庫の中、もしかしなくても自炊してませんね? きゃー、浴室の排水溝まわりに黒カビがびっしり!」

 そういえば掃除機でホコリを吸い取る最低限の掃除するのを忘れてた。それ以外に関しては、最初のころはがんばって掃除してたけど、だんだん面倒になって数年でこの有様だ。そろそろ清掃業者に依頼しようと思っているのだが、お金の問題がね……。

 ひととおり確認した餡ちゃんが、可愛い眉を正義の怒りにつり上げて言った。

「原因はシックハウスです。掃除してください」

「えー? 巫女さんがそんな科学的な理由を口にしてええの?」

「巫女をなんだと思ってるんですかっ」

 ここで餡ちゃんは――フィクションで勘のいいガキがよくやる――なにやらハッとした塩梅の顔になった。

「あの、私は創立記念日で学校お休みなんですけど、よく考えたら今日は平日で現在の時刻は昼間ですよね」

「せやね」

「つかぬことをお聞きしますが、さきさんはなんのお仕事をされているのでしょうか。あっ、それとも大学院生ですか?」

「大学は普通に卒業してる。数年前からパチンコと競馬で――」

「あ、パチンコ店の店員さんと競馬場の職員さんのダブルワークですか?」

「いや……パチンコと競馬を客として利用して……つまり賭博でお金を稼いで生活を……へへ……」

「えっ」

 餡ちゃんがなにか信じられないものを見るような目でウチを凝視した。いやまって、キミみたいな清純派ヒロインからそんな目で見られるの、かなりキツイ。

「や、あのね、ウチはギャンブルの才能あるみたいで、数年も食べていけてるんやで?」

「むーーーーーーーーっ!」

 言い訳をさえぎって奇声を発した餡ちゃんが変顔を披露した。梅干を食べて酸っぱさに目をつぶって口をきゅーっとするような絵面でぷるぷる震えてる。なんというか、両腕をぶんぶん振りまわして地団駄を踏みたいのを必死でこらえてる感じ。

 えー、なんなんこの子。可愛い巫女さんでええおっぱいしてるだけやなくて、めっちゃおもろいやん。

「すーはー、すーはー、すーはー、ふう」

 めいっぱい深呼吸して平常心を確保した餡ちゃん、やたら据わった目でウチを軽くたじろがせる。

「咲さん、ちょっといいですか。いまから三時間ほど外出していてもらえますか?」

「なんで?」

「私がこの部屋を掃除してきれいにしたいんです」

 これは予想外の展開。

 どう返事したらいいか戸惑っていると、彼女はぱたぱたと手を振った。

「あっ、お金はいりません。勝手に掃除するだけですから。えー、失礼ですが、率直に言わせていただきます。私、きたない部屋は見るのも嫌です。でも、これをこのままにして帰るのは、私たえられません。夢に出てうなされそうです」

「そんなにか……」

 いや、自分でもちょっとは汚いなとは思ってたけど、この子にここまで言われるとダメージでかいわ。

「じゃあ、お任せしてもええんかな?」

「ありがとうございます! 開けたらいけないものや処分したらいけないものは先に書いておいてくださいね。あと、適当に置いてあるようにみえて位置を変えられたら困るものも」

 自慰用の大人の玩具類を詰め込んだ箱と、過去の苦い思い出を封印した箱とインドの師匠から送られた箱は開けさせないようにしておこう。


 そんなわけで時間つぶしの近所ぶらぶら旅に出た。

 ちなみに餡ちゃんのことは信用している。彼女はなんか巫女さんの特殊能力やらで他人の悪意がわかるそうだが、ウチの場合は物心ついてから二〇年ちょっとの人生経験で、相手が信用できる人間かどうか、態度を観察すればそこそこ判断できる。ウチジャッジによると餡ちゃんは純度一〇〇パーセントの白だ。もしこれが見誤りだったとしても、それはそれでいっそ見事な演技だと称賛するほかない。まあ、ウチの部屋に金目の物や貴重品はないから金銭的な被害は気にしていない。悲しいことやね。

 とりあえず公園のベンチで涼みながらスマホでトップニュースを見る。

 ここ数ヵ月内で若い女性の連続強姦殺人事件が発生しているのだが、昨夜また新たな被害者が出たらしい。レイプした後に陰部を刃物で刺すというエログロな殺害方法が一致していることや、被害者の特徴がみんな同性愛者ということで同一犯による事件と推測されている。

 あと、新興カルトがヤバい感じ。『AIアイ端艇ボート』というカルト宗教がネットで拡散している迷宮探索ゲームが若者のあいだで流行っていて、ハマりこむあまり教団に入信する人間が急増し、警察が動向を注視しているとか。あ、このゲーム以前やったことあるわ。探索中に偶然にも台風で電波障害が発生したからやる気なくしてそれっきりだが。

 うーん、ろくなニュースがない。こういうときはお馬さんで気晴らしだ。

 織田作之助の短編「競馬」みたいに奇妙な人情譚は発生しなかったが、大穴を当てたのでパチンコの大負けが帳消しのうえ大幅プラスの儲けとなった。無機質な玉より生きている馬のほうが強い。


 ホクホク気分で帰宅すると、部屋のすべてが見違えるようにピカピカになっていた。

 業者でもここまで細かいとこまでやってくれるかどうかってほど完璧な状態だ。初めてここを借りた当時よりきれいになってると思う。部屋の隅に掃除の成果が詰まった大きなゴミ袋二つと粗大ゴミが仕分けられている。

「お帰りなさい、咲さん。だいぶ張りきっちゃいました。どうですか?」

 後光すら見えるすがすがしい笑顔でウチを迎えてくれる、やりきった感が全開の餡ちゃん。少し汗をかいているところも可愛い。なによりこんな良い子に「おかえりなさい」と言われるのめっちゃ嬉しい。

「最高や! ありがとう、餡。ほんま掛け値なしに素晴らしすぎる」

「えへへ、喜んでもらえてよかったです。あとゴキブリやその他の害虫はぜんぶ退治しましたし、普通の蜘蛛はみんな外へ逃がしました」

 虫やゴキを怖がらない清純さわやか巫女さん。

 おーけーおーけー。キミは可愛いから問題なし。

 気を取り直して窓を開けると、当然ながら網戸もしっかりきれいで、ベランダにはぴくりとも動かない半魚人が二体ほど横たわっていて……。

 えっ、半魚人?

 二度見してギョッと目を剥いた。魚に近い頭部を持つ人型の怪物で、体色は全体的に緑色。喉にはエラがあって、鱗のある鮫肌の皮膚と水かきのついた手が特徴的な、まさにB級映画のザ・半魚人としか形容しようがないもの。そんなのが二体も、海産物の生ゴミよろしくベランダに日干しされていた。

「なんじゃあこりゃあああああ!」

「あっ、ごめんなさい、忘れてました!」

 餡ちゃんがぱたぱた寄ってきた。それはもう、うっかり忘れ物をしちゃった女の子なイントネーションで。

「その深きものディープ・ワンって魚の妖怪、掃除中にいきなりあらわれたんですけど、せっかくきれいにしたところをべちゃべちゃに汚したうえ魚臭い悪臭までばらまいたので、私ちょっと頭にきて、問答無用で調伏ちょうぶくしちゃいました。もう一匹いたんですが、急に体がくずれてアイホートの雛っていうたくさんの大きな白い蜘蛛の妖物に変化したので力をぶつけたところ、塵ひとつ残らずまとめて滅しました。それで、魚の妖怪ふたつのむくろは、掃除を優先したかったので浄化は後まわしにしてベランダに放置しておいたのですが――」

「先に浄化して! こんなもんベランダに置きっぱなしにせんといてや! てゆーか、おるやん! おったやん! 魚のバケモン! とにかくいますぐ浄化して!」

「ごめんなさいごめんなさいっ。いますぐやります」

 両目を横長バツ印にした表情でぺこぺこあやまると、餡ちゃんは木の棒に正方形の白い紙をつけたお祓い棒(大幣おおぬさとか御幣とか呼ばれるやつ)を取り出し、半魚人の死体に向けて構えた。白い紙には中心に炎の柱がある五芒星の印が書かれている。

「大いなる深淵の光よ、邪なる妖の骸を浄化したまえ。ぐりゅぼ べてるぎうす のでんす あれるや」

 空気が静まる。瞳を閉じた彼女の周囲に光の輪が浮き上がり、さっと移動して半魚人の死体を包み込んだ。すると、おお、魂まで清められそうな光の粒子と化して一片も残らず消えたではないか。疑いを挟む余地もない、モノホンの浄化に息を呑む。

「いやあ、すごい。ええもん見させてもらったわ」

 素直に心からの誉め言葉を伝えると、餡ちゃん――いや、餡は、照れた感じにほんのちょっぴり得意げな顔でほほえんだ。

「私、人間相手だと非力ですけど、妖怪や妖物相手なら結構自信ありますよ?」

 こうして、ウチと餡の不埒な邪神撲滅ドタバタ劇が幕を上げた。

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