ドルメン 第 58 話 七番目の儀式
(寒い……。目が開かない……。ここはどこかしら? どうなっているの?)
アルタフィはしばらくして、自分が全裸で地面に縛り付けられているのに気が付いた。ソトのドルメンで起きたように、再び身体の自由が奪われていた。母はどこだろう? 声を出そうとしたが、唇が動かない。アルタフィは自分が今度こそ生贄になるのだと思った。これから自分を待つ痛みや苦しみを想像して泣き叫びたかったが、涙が頬を伝っただけだった。
空間は暗く、湿っていて寒かった。アルタフィは自分がドルメンの中にいるのだと思った。殺人犯は父だったのだ。最後の最後まで母を騙し抜いたのだ。アルタフィは己の愚かさを呪った。死刑執行人の手の内にまんまと嵌まってしまうとは。自分には、南部の智慧の女とドルイド大僧正の血が流れているのだ。その強大な力の使い方を学ぶ前に死んでしまうわけにはいかない。
足音が聞こえた。薄暗い灯りが天井に反射した。ロウソクか、古いランプの光だろう。どうにかして
二人は喉の奥から絞り出すような声で祈り始めた。いよいよ生贄の儀式が始まるのだ。無駄だと分かっていたが、アルタフィは「止めて!」と叫ぼうとした。単純で原始的な祈りの声が、意識を飲み込むようなリズムで続いた。アルタフィは見知らぬ男の手に土器を見つけた。目、心臓、そして内臓を入れて、自分の死体の横に置くのだろう。アルタフィは拘束から逃れようとしながら、狂ったように叫んだ。これこそが儀式を行う者たちが望むことだろう。アルタフィは本能に突き動かされて動くだけだった。
父と男は祈りを捧げながら、アルタフィの両側に立った。天に向って両手を挙げた父を、床に置かれた灯りが巨人のように照らし出した。父は一方の手に水晶で出来た大きなナイフを持ち、もう一方の手に象牙のスプーンを持っていた。あのナイフで自分の心臓を、あのスプーンで自分の目をえぐり出すのだろう。もう一人の男も地面に土器を置き、天に向かって両手を挙げた。アルタフィの目には二人がそびえ立つ怪物のように映った。
突然、祈りの声が止まった。空間は静けさに満たされ、二人は目を閉じたまま、古代の何かと交信しているようだった。アルタフィはそのとき初めて、ランプからローズマリーかバジルのような香りがすることに気が付いた。二人は儀式に備えて麻薬か何を摂取しているのだろう。二人の身体には赤と黒で幾何学的な模様が描かれていた。二人は互いの手を取ってから、アルタフィを見下ろした。二人はアルタフィを見ているようで見ていなかった。アルタフィは恐怖に駆られたが、同時にこの原始の儀式を既に経験して知っているような感覚にもとらわれた。
唇が触れるほどに、二人は顔をアルタフィの顔に近づけた。彼らはアルタフィの息を吸い、彼女の魂を吸い取ろうとし、彼らの肺を彼女の恐怖で満たそうとした。それからまたゆっくりと立ち上がり、今度はもっと早いリズムの祈りを口にしだした。父は象牙のスプーンを空に捧げ、アルタフィに向かってかがんだ。最初は目だ。アルタフィはぎゅっと目を閉じた。しかし、男がアルタフィの顔を掴み、指で彼女のまぶたを持ち上げた。父の持つ象牙のスプーンが彼女の目に向かって迫ってきた……。
そのとき、秘密の入口から何か叫び声が聞こえ、階段を走り降りてくる足音が聞こえた。懐中電灯の眩しい光が空間を行き来した。一瞬の戸惑いの後、二人の男は立ち上がった。スプーンはアルタフィの目をかすった。懐中電灯は床に落ち、怒鳴る声と殴り合う音が聞こえたが、アルタフィのいる場所からは何も見えなかった。争う声の中にフーディンの声が聞こえた気がした。
フーディンが助けに来てくれた! 本棚においた携帯に気が付いてくれたのだ!
薄暗がりの中で争いは激しくなり、突然悲痛な叫び声が響いた。いや、叫びが突然断ち切られたのだ。喉をかき切られたように。誰がやられたのだろう? フーディンか? 彼の仲間か? 階上を誰かが走っていく音がしたが、それを追う足音はなかった。誰かが逃げおおせたのだろう。
近くで誰かが動く音が聞こえた。横たわっていた者が起き上がろうとしているようだった。
「キム、あなたなの?」とアルタフィは小声で言った。
答えはない。起き上がろうとしている誰かは、ふらついているようだった。とうとうフーディンの声が聞こえた。
「ジェーン? 大丈夫か」
「キム!」とアルタフィは叫んだ。
「ジェーン、どこだ」
フーディンはアルタフィの呼びかけには応えなかった。助けに来てくれたことにアルタフィは感謝したが、ジェーンばかりを心配する彼に激しく嫉妬もした。自分は縛られて殺されそうになっていたというのに、ジェーンのために無視されている。
「ジェーン!」
フーディンは倒れているジェーンを見つけたらしい。駆け寄る足音が聞こえた。
「ジェーン、しっかりしろ! 目を覚ませ!」
喉をかき切られた者の声は男だった。ジェーンの方は争う中で頭を打ち、気を失っていたようだ。
「キム……?」
ジェーンの声はおぼつかなかったが、意識があることで安堵した空気がドルメンの中に漂った。
「ジェーン、気分はどうだ?」
フーディンはジェーンを抱き上げ、キスしたようだった。
「頭が痛むわ……。くらくらする」
「あいつらが君を突き飛ばして頭を打ったんだ。もう大丈夫だ。……立てるか?」
「もう少しこうしているわ。まだふらふらするの」
アルタフィは、助けに来てくれたはずの二人に無視されていることに落胆し、嫉妬した。
「俺はあのドイツ人、ステファンを殺したと思う。アルトゥーロは逃げた」
「アルトゥーロが逃げた……」
ジェーンの声は段々としっかりしてきた。
「奴はまだ生きている。また戻ってくるかもしれない」
「そうは思わないわ。逃げるのに必死よ」
父は逃げた。となるとアルタフィの命は未だに危険だ。
「キム! ジェーン!」とアルタフィは声の限りに叫んだ。
「アルタフィ……」やっとフーディンがアルタフィを見た。「間に合って良かった」
* * *
可愛そうなアルタフィ…… 😢
(初掲: 2024 年 11 月 30 日)
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