コロッケの味
あの夜のやり取りは今でもハッキリと浮かぶ。
なんてお人好しなんだろう、あの人は。
普通、二度会っただけの人間にあそこまでしないだろう。
確かに緊急性は高かった。
でも、普通なら警察に頼る。良く出来て警察にボイスレコーダーを提出して終わり。
ホントに私を引き取るなんて・・・ホントにお馬鹿な人。
「どうしたの、美空ちゃん。顔が赤いけど」
通りがかった杏奈に突然言われて、ハッと我に返った。
「え!い、いや大丈夫だよ。杏奈」
「・・・ならいいけど」
杏奈は不審げな表情でつぶやいた。
愛生院に住み込みで手伝いをするようになって知ったのだが、杏奈は介護の仕事の傍ら休みの日や夜勤明けの時に毎回では無いけど施設にボランティアに来ていたのだ。
子供達と交流したり、施設の行事の手伝いや各種簡単な業務の手伝い。
仕事は今の介護の仕事を続けるつもりらしいが、この施設にも恩返しをしたいと言うことだった。
いかにも杏奈らしい前向きさだが、そのおかげで同じような業務をしている私とも接点が増え、色々と話すようになった。
杏奈は当然私を山浅美空と思っているが、それでも美空に親近感を持ってくれているらしく、最初はお互い敬語だったが、今では年齢差にもかかわらずそれも消えたため、私の中ではここで生活していた頃のカンナと杏奈に戻ったかのような錯覚も感じることがあった。
杏奈と話せるのはただただ嬉しく、杏奈も今は小説も読んでいるとのことで、お互いの好きな本の事を話せるのも幸せだった。
「そうだ、美空ちゃん。ちょっと」
そう言って杏奈はちょいちょいとボランティア用更衣室に手招きした。
なんだろう、と部屋に入ると彼女は小さい丸テーブルの上にあった紙袋の中から何か取りだした。
途端に油の香ばしい香りが広がる。
「はい、これ。食べて」
それは・・・コロッケだった。
「これ・・・」
「半年前から施設の近くの商店街に出来たコロッケ屋の。ジャガイモだけのシンプルな奴だけど、凄く美味しいの。いつか美空ちゃんにもと思って」
「あ・・・あり・・・がと」
だが、私はそのコロッケに手が伸びなかった。
「・・・どうしたの?コロッケ嫌いだった?」
「ゴメンね。ちょっと子供の頃、嫌な思い出があって」
そう。
あの女・・・母が作っていたコロッケ。
いつもカップ麺ばかり私に出していた母が、新しい男と上手くいったときだけは機嫌が良いのだろう。たまに出してくれた。
何も知らなかった私はそのコロッケに母の愛を感じて涙が出るほど嬉しかった。
なんて愚かなお人好し。
普段はカップ麺ばかりで手料理と名が付く物なんて何一つ出してもらえなかったのに、何が「母の愛」だ。
そして、見捨てられた一件以来コロッケと言えばあの屑の象徴のように感じられ、どうしても食べられなくなった。
「大丈夫。私もそういうのある。父の得意料理。それだけの理由でミートパスタが死ぬほど嫌い」
そう言うと杏奈はニッコリと笑ってコロッケを食べ始めた。
「ゴメンね」
「謝らなくて良いよ。美空ちゃんが悪気無いのは知ってるから」
それでも申し訳ない。
「やっぱり・・・少しもらってもいいかな?」
「大丈夫?無理しないで」
「ううん。本当に大丈夫。杏奈の気持ちがこもってると思うと美味しそうに見えて来ちゃった」
おずおずと口に入れると、サクサクの衣と共にジャガイモの甘みが口に広がる。
それは昔の母の味を。そしてあの時のほんの一瞬とは言え暖かい記憶を呼び覚ました。
気付くと私はコロッケを全部食べてしまっていた。
「・・・」
「あ!ご、ごめんなさい!杏奈の分まで食べちゃった・・・」
杏奈は小さく吹き出しながら言った。
「いいの。そんなに美味しそうに食べてる美空ちゃん見れて良かった。今までいつも気持ちを抑えているように見えたから、驚き」
「な、なんか恥ずかしいな」
「ううん。気に入ってくれたみたいで良かった」
「うん。素朴だけど美味しい」
それは本当だった。
あの当時の思い出は忌まわしい物だったが、コロッケそのものは当時も今もおいしさには変わりないのだろう。
「恥ずかしがってる美空さんも良い感じだよ。そうだ、夕食まで時間あるし、良かったら行かない?」
「え?どこに?」
「このコロッケ屋。案内するから」
今時商店街と言えばシャッター街となっている所が大半なのに、愛生院の近くにあるこの商店街は店の種類こそ多少変わっていたものの賑わいは変わっておらず、不思議な気持ちになった。
化粧品店・ドラッグストア・古着屋・教会・鰻屋・沖縄料理店・各種お香を扱う店・団子屋と言った元からあった所に加え、今は時代だろうかアニメグッズの店やトレーディングカード?だろうか、そういったカード類を扱う店も増えている。
そんな光景を見て施設の子供だった頃にタイムスリップしたような心地に浸っていると、杏奈の「美空ちゃん」と言う声が聞こえて、ハッと我に返った。
「あ!ゴメンね!ボーッとしてた」
「フフッ、大丈夫。でも不思議な人だよね。あなたは」
「そ、そうかな・・・」
「うん。だって、こう言うのもアレだけど美空ちゃん、愛生院みたいなオンボロな所や・・・あ!オンボロってのは内緒ね!それに、こんな商店街に居るような人にはとても見えないから。どっちかと言えば表参道や目黒とかのイメージ。良いところのお嬢様で全寮制の名門女子校とかに入ってて・・・」
杏奈の言う言葉に私は思わず吹き出した。
「ちょっと!そんな事無いって」
「あ、ゴメンね。また妄想が・・・」
杏奈は顔を赤くして俯いた。
「私、小説読み出してから良く色々空想するようになったんだ。・・・美空ちゃんに言うことじゃ無いかもだけど、カンナ・・・進藤さんもそうだった。私とあの子は18歳まで愛生院にいたんだけど、良くお話を聞かせてくれた。あの時言えなかったけど、私にとって彼女は憧れだった。頭が良くて想像力があって、人でも動物でも弱い存在に寄り添うことが出来て・・・」
杏奈の言葉を聞きながら、胸がじんわりと熱くなってくると共に、激しい後悔も感じた。
彼女は変わっていない。ずっと当時のまま真っ直ぐ伸びる強くしなやかな竹のように大人になった。
でも、私はそんな彼女の思ってくれるような存在じゃ無かったし、今でも違う。
周囲の人たちを妬み、憎み、自分勝手な欲望を正当化して、自分自身をおとしめてきた。
それは・・・今も変わらない。
もしかしたら、この身体になったのは神様の罰なのでは。
そんな事も考えてしまう。
「そんな事無いよ。杏奈と居ると自分がなんて嫌な人間なんだろうって感じる。でも、親近感も感じるんだ。私も本読むの大好きで、良くその世界で過ごす自分を空想して楽しんでたから。子供の頃は・・・今もだけど活字が支えだった」
「美空ちゃんもそうなの?・・・意外」
「うん。それに杏奈は顔立ちも割に整ってるし、雰囲気も良いから化粧や髪型を変えたらもっともっと綺麗にKJ:7463なるよ」
それは本当にそう思う。
彼女は自分に気付いていないのだ。
杏奈は顔を赤くし、私をじっと見てきた。
「美空ちゃんに言われると恐れ多いよ・・・そんな美人さんに。所で『美空』っていい名前だよね」
「え、そう・・・かな」
「うん。『美しい空』なんて、シンプルだけど親御さんの願いがこもっているし、美空ちゃんにもよく似合ってるよ。私なんて『杏奈』って・・・。何となく意味は分かるけど、もっと良い名前が良かったな」
私は曖昧な笑顔を向けるとそのまま俯いた。
あなたも美空も私なんかよりずっといい。
「カンナ」なんて、そこからどんな願いが読み取れると言うのだろう。
あの女のことだ。
どうせ、その場のノリで適当につけたに決まっている。
名前は親からの最初のプレゼント。
その理屈で言うなら、進藤カンナは産まれたその時から何ももらえなかったのか。
ああ、ダメだ。どんどん気持ちが沈んでいく。
杏奈には私の事情なんて関係ない。
愛生院の子供たちや先生方、杏奈の前では、誠実に振る舞う。
それがあの地獄から助けてくれ、愛生院にまた帰らせてくれた朝尾先生への恩返しのつもりなのだ。
それに愛生院に久々に帰ってみて、そこの子供たちに対してまるで身内を見るような感情も感じるようになっていた。
そんな事を考えていると杏奈は足を止め、数軒先の店を指さした。
「あそこだよ。あのお店がコロッケ屋」
あそこか。
見ると「ゆっこおばさんのコロッケ」と書かれたいかにも手書きっぽいチープな看板が見える。
まぁ、とは言え今時ジャガイモのコロッケのみで経営が成り立ってるんだから、人気はあるんだろう。
いそいそと歩く杏奈の後ろに続きながら、そんな事をボンヤリと考えた。
だが。
店の前に立った時、そんなのんきな考えは吹き飛んだ。
心臓が早鐘のように鳴る。
全身の毛穴が開き、嫌な汗が滲む。
呼吸が浅いを通り越して、止まる。
コロッケを並べてあるガラスケースの前に立ち、主婦らしき女性にコロッケを売っているその女性。
かなり年齢は重ねていたが見間違えるはずも無い。
そこに立っていたのは、紛れもなく昔私を捨てた母だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます