透明人間
もう10年近くになるだろうか、周囲の電灯に照らされてぼんやりと浮かんでいる愛生院は、驚くくらいに変わっていなかった。
私はタクシーが走り去った後も寒風に身を震わせながら、正門前でじっと立っていた。
いや、正確に言うとここまで来たはいいけど、どうすれば良いか分からなかったのだ。
私がカンナだったらまだ話は早かっただろう。
でも今は・・・
だが、他に行くところが・・・頼るところが無かったのだ。
冷たい風に吹かれていると、どんどん心細さが増していき思考能力も下がっていくようだった。
ただただ温もりが欲しかった。
でも、中に入っても追い出されるか警察を呼ばれて・・・またあの人のところに。
あの時の一樹さんの表情。
私のことを妹では無くはっきりと「女」として欲望を向けていたあの顔。
しかも、妹とあんな・・・
私の中の何かが一樹さんをもはやハッキリと拒絶していた。
警察だけは嫌だ。
きっとあの人の所に戻される。
今度戻ったらおしまいだ。
二度と逃げ出せないだろう。
途方に暮れた私はそのうち門の前に座り込んで泣き始めた。
今にして思えば、ここは私にとって間違いなく「家」だった。
学校で辛いことがあったときでも、将来に不安を感じたときでも、温かい家族を当たり前に持っている人たちにたまらなく嫉妬した時でも。
いつでもこの場所に帰って来れた。
この建物のほのかな灯りに安らぎを感じていた。
中にはお風呂もあるし、ご飯もある。
人数は多いしうるさくて仕方ないけど、同じ境遇の子たちが居た。
杏奈もいた。
そして・・・朝尾先生も。
不細工で可愛げも無いスタイルも悪い。こんな進藤カンナにいつでも笑いかけてくれた。
でも、もう会うことは出来ない。
今の私はもう進藤カンナでは無いのだから。
山浅美空と言う、何も持っていない存在。
実は誰にも愛されてなんかいなかった存在。
美空・・・あなたは嫌だったの?美空である事が。
涙は止めどなく流れ続ける。
ああ・・・思い出した。
あの日。
母に置いて行かれた12月の寒いアパート。
あそこで私は叫んでいた。
でも、それだけではなく泣いていたのだ。
誰か私を見つけてよ。
私は透明人間なんかじゃないよ。ここにいる。
みんなみたいに上手く笑えない。でもここにいる。
そう叫んでいたんだ。
そうだ、このままここに居よう。
そして凍えてしまうのも悪くない。
死んでしまえば・・・透明人間じゃ無くなる。
寒い・・・
首の後ろをゴシゴシこすりながら、しゃくり上げているとそばに人の気配がした。
まさか・・・一樹さん?
ギョッとして顔を上げると、そこには・・・
「朝尾・・・先生」
シルバーのダウンジャケットを来て、ニット帽をかぶった浅尾先生が心配そうに私を見下ろしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます