密のように甘い
自らの身に起こったことを受け入れた私が翌日早速行ったのは、愛する人とのハグだった。
朝一番に一樹さんが早速お見舞いに来てくれたのだ。
文字通り病室に飛び込むように入ってきた一樹さんは、ベッドで本を読んでいた私に近づくと、何も言わずに私を抱きしめた。
そのあまりに唐突で情熱的なハグは私の脳をとろけさせるようだった。
(一樹さんの匂い・・・それに、こんなにガッシリした体格)
男性に抱きしめられたのは生まれて初めてだが、こんなに包み込まれるような安心感を感じる物だったとは。
そして、本能的に自分の中の雌が目覚めるような不思議な心地よさだった。
思わず私も一樹さんの背中に両腕を回す。
こんな事、カンナだったら一生叶わなかった・・・
身体の芯から妖しい気持ちが沸いてくるが、妹なのでこれ以上はできないのが残念でならない。
その代わりに私も両腕にグッと力を込める。
「美空、よっぽど怖かったんだね。今までこんなに情熱的にしてくれたこと無かったのに。恥ずかしがって逃げてばかりだったのに、嬉しいよ」
それはそれは。
あの女、兄妹なのにカマトトぶって甘えもしなかったんだ。
何てもったいない。
「これからはいつでも抱きしめて、お兄ちゃん」
私は一樹さんの耳元でそっと囁く。
このくらいはいいでしょ。
もし、カンナの時に彼と付き合えてたらぜひしたかった事なのだ。
一樹さんはそれに応えるように私の身体を抱き寄せ、同じように私の耳元に囁く。
「信じられないな。もちろんだ。続きは退院して帰ってからな」
一樹さんってこんな人だっけ?なんて優しさに溢れた人なんだろう。
妹への愛情に満ち満ちている。
こんな人を兄に持って、幸せな女め。
まぁ、それも今は私の物だけど。
「ゴメン、もっと一緒にいたいけど仕事に行かなくちゃ」
「あ・・・わざわざ仕事前に来てくれたんだ。ゴメンね」
「気にするな。お前のためなら遅刻くらいどうでもいいよ。ホントは仕事終わってからもお見舞いに来たいけど、最近立て込んでてね。面会時間に間に合いそうに無くてゴメン」
「ううん。いいの。お兄ちゃんが私のために来てくれてるのが幸せ」
私は満面の笑みで言った。
美空の顔であればさぞやけなげに写っているんだろうな。
案の定、一樹さんはほのかに顔を赤くして目を潤ませている。
ああ、気持ちいい。
それから僅か3日後に私は退院した。
脳波にも異常は無く、CTの結果も血腫らしきものは無かったので、問題ないとの診断が降りたのだ。
何より、私の様子が当初の常軌を逸した混乱ぶりから、憑き物が落ちたかのように落ち着きを見せるようになったことが大きかったようだ。
迎えに来てくれた一樹さんに手を引かれながらまるでお姫様のように、車に乗り込む。
「調子はどうだ?少しでも気分悪かったら言うんだぞ」
「有り難う。でも大丈夫だよ。調子は全然問題ない」
「そうか。お腹は空いてないか?どこかで何か食べる?」
「うん。じゃあかず・・・お兄ちゃんの好きな所で」
危ない危ない。つい、何百回と考えてた一樹さんとのデートのイメージが漏れそうになった。一樹さんの運転する横で、一緒にレストランに向かう。
私は「一樹さんの好きな所で、好きな物を一緒に食べたい」と言う。
そんなやり取りをどれだけ夢に見たか・・・
「そうか。じゃあこの辺に人気のカフェがあるから、そこにしよう」
「うん」
やがて着いたカフェで、エスプレッソを飲みながらベーグルを食べる。
目の前に居る一樹さんに緊張しているせいか、味がイマイチ分からない。
しかも元々コミュ障のため、杏奈や朝尾先生以外の相手との雑談が苦手でそれも余計に緊張を呼ぶ。
何か話すことは・・・
その時、ふと思い浮かんだことがあった。
いや、こんな大事なことをどうして今日まで考えもしなかったのだ。
「あの・・・お兄ちゃん」
「どうした?」
「あの・・・私と一緒に階段を落ちたあの人・・・カンナさんはどうなったの?」
もし、美空の意識が私とは逆にカンナに移っていたとして、そんな荒唐無稽な事を信じる人間なんていないんだから、すっとぼければ良い。
むしろ、今までこの容姿で散々良い思いをしてきたんだから、少しは苦労すれば良い。
そう思いはしても、やはり元の私の身体の行方は気になる。
一樹さんは、それまでの笑顔が消え去ったかのように無表情になった。
その変貌ぶりにゾッとするものを感じたが、その反面一樹さんはカンナの事を確実に知っていると思った。。
しかも、私に配慮する必要がある状態と言うこと。
それはつまり・・・
「ごめんなさい・・・でも、やっぱり気になっちゃって。嫌な思いさせちゃった」
一樹さんはため息をつくと言った。
「彼女は死んだよ。一昨日の夜」
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