鏡
【鏡】
目に飛び込んだ景色を見て私が感じたのは安堵だった。
地獄が思ったより綺麗だったからだ。
良かった、燃えさかる岩とかじゃ無くて。
だが、次の瞬間意識がまるで引っ張り上げられるかのように急激にハッキリした。
(建物・・・病室?)
そうだ。子供の頃に肺炎で入院したときに散々見た景色。そして感じていた空気だ。
白い天井と消毒液の匂い。
清潔だがどこか無機質な世界。
私は手足と指を恐る恐る動かす。
問題なく動く。
首も動かし、次に小さく自分の名前と住所、生年月日をつぶやく。
問題ない。
と、言うことは脊髄も損傷していないし、脳の機能にも異常は無い。
ホッと安堵のため息をついたが、すぐに苦笑いが浮かんできた。
何で安心してるんだ。
助かったと言うことは、今後私を待っているのは正真正銘の日陰者の道だ。
少しあっただけの男性につきまとい、あげくに階段から落ちて相手の妹を・・・あの様子では無傷では無いだろう。
恐らく軽くて傷害罪。酷ければ殺人罪。
私は涙が出そうになった。
あの人の顔が頭に浮かぶ。
ボサボサ髪の眼鏡をかけたあの人。
朝尾良樹(あさお よしき)
私が18歳までいた児童養護施設「愛生院」の施設長。
何故だろう。あの頃は煩わしいだけだったのに、今は彼の良く笑う笑顔が頭を離れない。
くそ。
私は悪にもなりきれないんだ。
じゃあ・・・私は何者なの?
わたしはそのままさめざめと泣いた。
止めどなく流れる涙。
せめてこの涙だけでも醜くありませんように。
他の女の子のように綺麗でありますように。
5分ほどだろうか、ようやく涙が止まりスッキリしたせいか涙による顔のベタベタが気になってきた。
ベッドから起き上がると、近くのスリッパを履いて病室内の洗面所に向かう。
顔を洗おう。スッキリすれば気持ちも落ち着くかも知れない。
そして鏡の前に立ったその時、私の思考が止まった。
(何で・・・)
「この鏡・・・壊れてる」
いや、私の脳がやっぱり壊れてるんだ。
私はパニックになりナースコールを押した。
何度も何度も。
すぐに看護師さんが来てくれたが、私は混乱して上手く話せない。
「どうしたんですか?大丈夫ですよ」
看護師さんは私を優しい口調で宥めてくれていたが、やがてただならぬ様子を感じたのか、持っている連絡用のPHSで先生を呼んだ。
先生はすぐに来てくれたが、私は言葉にならない悲鳴を上げている。
「どうしたの、山浅さん」
山浅?
私は何度も首を振り、ようやく出るようになった言葉を繰り返す。
「違う!違う!」
「大丈夫だよ。君は『山浅美空』二日前にこの病院に搬送されてずっと眠っていた。もう大丈夫」
何が大丈夫なものか!
山浅美空って!
「私は・・・進藤カンナ!違う!美空じゃない!」
「いや、君は間違いなく美空さんだよ。ほら」
そう言うと先生は近くの鏡を見せた。
そこには・・・先ほどと同じ、紛れもなくあの女・・・混乱と恐怖に引きつった美空の顔が写っていた。
私は先生が手に持っていた鏡をたたき落とした。
鏡はグシャっと鈍い音を立てて転がった。
「違う・・・違う」
先生と看護師は無言で顔を見合わせると、何事かを了解したように頷いた。
看護師はPHSで先ほどのように何かを連絡していた。
やがて数名の看護師が来て、先生に何か手渡した。
すると看護師は私の身体を押さえると、先生は素早く手に持っていた物・・・注射器を私の腕に刺した。
チクリとする痛みと共に、頭がボンヤリとしてくる。
「よし。彼女を寝かせて」
その声が遠くに聞こえる。
私は・・・許されなかったの?
だが、その言葉に応える人は居なかった。
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