第40話 波紋のゆきさき

 森に横たわる静かな霧が木々をおぼろげにしている。

 朝日をふくんだ霧は世界を白く輝かせ、やがて光に追われるように消えて行くだろう。


 仲間から少し離れた大木の影で、ルゥイは手紙の小鳥を手にしていた。


「あの方へ繋げる人のもとへ飛んでいけ」


 ルゥイは小声でそう言って手元から小鳥を飛び立たせた。

 細い翼の小鳥は素早い動きで天高く舞い上がっていく。その姿を見送るルゥイを、ランシャルは離れた場所から見ていた。


「家へ飛ばしたの?」


 ランシャルの声にルゥイの肩がぎくりと跳ねた。


「え!? あ、そ、そう・・・・・・です」


 振り返った彼女のぎこちない笑顔にランシャルは不思議顔。


「あの・・・・・・これは、皆には黙っていてください」

「え? どうして?」

「20才を過ぎてもまだ親離れしていないって思われたくないんです」


 少し落ち着かない感じのルゥイに、ランシャルは「そう?」と言って続く言葉を探した。


「家の人心配してるだろうし、手紙を送っても皆はそんな風に思ったりしないんじゃないかな」


 にっこり笑うランシャルにつられて、ルゥイの表情もくだけた。


「姿が見えないと皆に心配されますよ」

「ルゥイさんと一緒だから大丈夫」

「でも、戻りましょう」


 大木の影から出れば仲間の姿がそう遠くない所に見える。

 手を振るコンラッドへランシャルが駆け寄る。ルゥイは皆の姿を眺めてから小さく息を吐いた。





 ルゥイの手を離れた手紙の小鳥は、夜をひとつまたいで飛び続け、男の手の上に舞い降りた。

 宛先を確認した男は手紙の小鳥に息を吹きかける。すると、手紙の小鳥は彼の手の上で音もなく姿を消した。


 消えた小鳥は遠い場所へ転送されていた。

 遥か遠い場所の天空に現れて、小鳥は再び羽ばたき始める。もう目の前には大きなテントが見えていた。


 白く大きなテントの中には家具が何点か置かれ、ベッドの上には男が寝転がっている。

 布の幕を引き上げて入ってきた者が呆れたように言った。


「こんな所にまで恋文ですか?」

「これは確かに女性からの手紙だが、恋文ではないよ」


 くすりと笑って、ファスティアはアウルへ手紙を渡した。

 金髪のあるじと黒髪の従者。光と影のようなふたりは子供の頃から付かず離れず一緒にいる。


「ガラル、まただいぶ北の方にいるんですね」

「新王は14才の少年だそうだ」

「他の者から届いた噂、本当でしたね」


 短く「ああ」と言ってファスティアは身を起こした。

 部屋かと思うほど広いテント。そこに置かれた家具や彼の服装を見れば、ファスティアが高貴な人物だとわかる。


「そろそろ王都へお戻りになっては?」

「そうだな。狩りにも飽きたし・・・・・・大伯父おおおじの放った兵もほとんど東へ行ったそうだからな」


 ファスティアは口をへの字に嫌そうな顔をした。


「東への道沿いに住む血族は多くの者が手にかけられたと聞く」


 彼の瞳が陰るのを見てアウルは言った。


「王都に住む者も数を減らしたそうです。あの日、王都から離れて正解でしたね」


 王が死にドラゴンの光が空を駆けたあの日。彼らは少ない部下を連れて王都を出た。

 黙ったままのファスティアにアウルが問う。


「あのお嬢さんをシリウス達に付けて、どうするおつもりですか?」

「うん? どうって?」

間者かんじゃの様に利用するおつもりで?」


 ファスティアは可笑しそうに笑った。


「私はただ恋心の背を押してあげただけだよ。他の女性が側にいない状況は都合が良いし、旅路で彼の支えになると妹的存在から昇格できるかもって」


 アウルは他人の恋に口を突っ込むなんて、と言わんばかりに呆れ顔をしてみせる。


「他人の恋よりご自分の身の安定をお考えください。じき40才ですよ。そろそろご結婚を」

「わかったわかった」


 本当に嫌そうな顔をするファスティアにアウルはため息をつくばかり。


「まだ心は人妻の元に?」

「正確には未亡人だよ」

「ティア」

「その呼び方、やめてくれ。恋しい人を失った頃に戻ってしまいそうだ」


 残った酒をあおるファスティアのグラスにアウルが水を注いだ。


「新王の動きを知ってどうするんです? 刺客を送るつもりなどないんでしょう?」


 不満そうに水の入ったグラスを見ていたファスティアはアウルへ目を向けた。


「そんなことはしないよ。大伯父おおおじや王の座を狙っている者たちの好きなようにさせておくさ」


 ファスティアはグラスを指で弾いて、チェンジを意味するジェスチャーを送る。が、アウルは首を横に振りファスティアは項垂れた。ため息を付いたファスティアは話を続ける。


「直接手を下さなくとも指示をすれば同じこと、私はみすみす逃すような真似はしないよ」

「ええ、ドラゴンは汚れを嫌います。血に濡れては王印の継承順位も遠退きますからね。良い判断です」


 ファスティアの言葉にアウルは頷く。


「男所帯にも飽きた。明日、王都へ向かおう」


 ファスティアは肉を頬張ると水で流し込んだ。


「王公貴族の顔を拝みながら情報を流してあげなくてはな」

「新王の身が危なくなるのでは?」

「さぁ、どうかな。情報をどう使うかはその人が決めること。私は噂話をしに行くだけさ」


 そう言ってファスティアはいたずらっぽく笑った。


ドラゴンはどう判断するとお思いで?」


 釘を刺すアウルにファスティアは口の端で笑って見せる。


「王印がこちらへ飛んでくるか新王がそのまま玉座に座るか。アウルはどちらにかける?」


 呆れ顔のアウルは話を切り替えた。


「王都に入る前に稀石きせきを身に付けるのをお忘れなく」

大伯父おおおじ対策? 腹を探られても痛くも痒くもないが・・・・・・お前の言う通りにするよ」


 立ち上がって大きく背伸びして、ファスティアはテントの外へ向かった。


「さて、草原で見る夕日でも楽しむか」


 日が落ちてゆく西の空を夕日が染めている。

 空と雲の織り成すグラデーションを楽しそうに眺めるファスティアの横顔に笑みがこぼれていた。


「一番星の輝きが、今日はひときわ美しい」





 ファスティアが眺めている一番星を、そこから遠く離れた北の土地でランシャルも見ていた。


「今日も終わるね」

「終わるな」


 コンラッドも並んで夕日を見つめる。

 軽く剣の手ほどきを受けたふたりの体に汗が滲んでいた。


「うぅッ、冷えてきたな」


 ぶるっと体を震わせて焚き火に向かうコンラッド。その後についてランシャルも火に当たった。


「剣の重さに慣れてきたようですね」


 ラウルにそう言われてランシャルははにかみ、コンラッドは自慢げな笑顔を見せる。


「明日からは軽く手合わせもしていきましょう」


 声をあげて喜ぶコンラッドと満面の笑みをこぼすランシャル。ふたりを中心に明るくやわらかな空気が広がっていった。




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