第36話 襲いくる水

 大粒の雨がフードを叩く。

 フードの中でぱちぱちと聞こえる雨音を聞くとはなしに聞きながら、ランシャルはロンダルをちらりと見た。


(このマント高かったんじゃないかな)


 地味な灰色のマントは一見よくある物のように見える。けれど、防水されていて中まで雨が染み込むことはなかった。雨が降り気温の下がったいま、それはとても有り難かった。


(携帯用の食べ物や服、どれくらい働いたら返せるんだろう)


 体を動かさないと頭が勝手に考え始める。

 自分が王だと理解していてもまだ実感が伴わないランシャルは、そんなことを気にしていた。


(・・・・・・ん?)


 隣を走るルゥイの馬の足元で何かが跳ねた。


(何だろう)


 それは地面の上を蛙のようにぴょんぴょん跳ねながら着いてくる。ランシャルはそれを不思議そうに見つめていた。

 ゆるゆるとした不確かな形状のもの。透明なそれは跳ねるごとに少しずつ太くなって、そしてランシャルは気づく。


(水だ!)


 何かが水を跳ねあげているのではない。水そのものが尾を引きながら跳ねている。それはさながら水の蛇のようだ。

 周囲の地面に目をやると同じ様なものをいくつか見つけることができた。


(跳ねる水なんて聞いたことがない)


 最初は指1本ほどの太さだった蛇状の水はもう手首ほどの太さ。


(もしかしてこれ、魔物かなんかか?)


 水の蛇は跳ねるほどに太さを増して、いまでは男性の腕ほどの太さにまで膨らんでいた。もう気づかないはずがない。騎士の皆が剣を持ち、コンラッドも剣に手をかけた。


「だめよ、皆に任せて」


 コンラッドの手をルゥイが止めた。

 斑馬を中央に6頭の馬が囲んで走るその周りを、水蛇が跳ねながら着いてくる。


 水の蛇は見る間に胴体ほどに膨れ上がり、唐突に大きく跳ね上がった。

 太い水の蛇がカーブを描く。

 水蛇はランシャルたちの正面から迫ってきた。その時、先頭を走るシリウスの剣がなめらかに走った。

 水蛇はきれいに真っ二つに切断されて、シリウスは仕留めたと思った。・・・・・・が、思い違いだった。ぱっくりと断面を見せた根本も切られた先も、それぞれに長く伸びて二手に分かれ動き続けている。


 切り捨てたはずの先端がまっすぐシリウスへと向かってきて、思わず体をそらした彼の横を水蛇が過ぎた。

 はっとしたシリウスが後方へ体を向ける。

 水蛇は後ろを走るランシャルめがけて一直線に進んだ。それをラウルの剣がとらえて切り落とす。しかし、結果はシリウスと同じ。


 向かってくる水蛇を見てランシャルとコンラッドは馬の背に体を預けて屈んだ。ふたりの頭上を通過した水蛇が地面に落ちる。落ちた水蛇はバウンドしながら進路を戻してきた。


 剣では切り殺せない。

 では、どうするか。


 騎士たちの思考がゆらぐ。

 水蛇はランシャルへ迫っている。ダリルは咄嗟に馬の尻を叩いて斑馬と水蛇の間へと駆け上がった。


「ダリル!」


 ドンと重い衝撃を受けてダリルが馬上から消えた。ほぼ同時にラウルも叩き落とされて主を失った2頭が後退していく。


「くそぉ」


 剣が役に立たない。いや、直接攻撃を受けないように方向を変えることはできる。しかし、いたちごっこだ。


 切られて増えた水蛇があちこちで跳ねる。

 跳ねて角度を変えてぶつかって一体化して、こちらを翻弄する。


「ノージュメ!」


 唱えるルゥイの声が響いた。

 壁を支える様に両手を広げた彼女の前で、水蛇がぶつかってばしゃりと音を立てて砕けた。


「はっ」


 ルゥイの口から安堵の声が漏れた。明るい顔でルゥイが皆と目を交わす。


「ノージュメ!」


 ランシャルの盾になってルゥイが魔法を繰り出す。次々と襲ってくる水蛇を撃退していく。けれど、雨は降り続いている。

 地面から生まれる水の蛇は持久戦よろしく攻撃を緩めはしなかった。


(埒が明かない)


 皆が同じことを思っていた。そして、こうも感じていた。


(似ている)


 単調に思える時間稼ぎのような攻撃の手法。


(魔女の輪で仕掛けてきた者か?)


 馬には目もくれない。襲いながら殺しが目的とは思えぬやり方。


「どこにいる!?」


 剣を振るいながら皆の目が術者を探す。けれど、雨と影がそれを邪魔していた。


「うぐっ・・・・・・ごぼっ」


 ランシャルの声がくぐもった。

 異変に気づいたロンダルがランシャルへ目を向ける。


「ランシャル様!」


 馬の足を駆け登った水が玉になってランシャルを包んでいた。


「ラン!」


 コンラッドが必死で水の中へ手を伸ばす。が、水に押し戻されてランシャルまで手が届かない。

 もがくランシャルの口から泡がこぼれている。このままでは窒息してしまう。


「ラン!!」


 焦るコンラッドの横からぬっと腕が伸びて水玉の中に突っ込んでいった。


「ロンダルさん!」


 太い腕がランシャルの細い腕を掴んでぐいっと引っ張り出した。


「ラン!」

「げほっ・・・・・・ごほっ」


 ロンダルはそのままランシャルを地面へおろしてルゥイへ指示を出す。


「あの大木を背にふたりを守ってくれ」


 ロンダルの指差す方角に巨大な幹を見つけてルゥイは走り出した。


「こっちよ。早く、走って走って」


 ルゥイに追いたてられてランシャルとコンラッドも走る。その間もルゥイは水の蛇を撃退していた。

 走って呪文を唱えて息が上がる。

 巨木を背に後方を気にせずいられることでルゥイに少し余裕が生まれた。


「ノージュメ!」


 砕いても砕いても水の蛇は生まれて襲ってくる。

 騎士たちは剣を振るって応戦しながら水を操る者を探していた。


「俺も!」

「だめだよッ」

「見てらんないんだよ!」


 前に出ていこうとするコンラッドをランシャルが止める。


「剣の重さに慣れるまではダメだって、手合わせもさせてもらえなかったじゃないかッ」


 言われてコンラッドが唸った。

 本物の剣は重い。

 振ると重みで体がもっていかれて次の攻撃も防御もスムーズに行えなかった。ふたりは昼の短い時間に素振りをしただけだった。


「出来るな僕も戦いたいよ」


 苦戦している仲間を見ていることしかできない。それが歯がゆくてランシャルは知らず知らずのうちにズボンを握りしめていた。


  ホー ホー


 雨で暗くなった森の向こうから夜鳥の声がする。


  ホー ホー


 その声にランシャルは違和感を覚えた。


(声がするのに言葉がわからない)


 変だと思うと気にかかる。


  ホー ホー


 声のする方へ目を凝らす。木の影に何かを見た。

 木の影よりもなお濃い人の形をしたもの。


「どうした?」

「あれ、あそこ」


 声を潜めてコンラッドに教える。

 コンラッドも違和感に気づいて石を拾い上げると、力を込めて影へと投げつけた。


「あっ!」


 石は確実に当たった。だが、当たったはずの石が影を素通りして後方に落ちるのを見た。


「人じゃない」


 ふたりは息を飲んで見つめていた。




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