第20話 銀狼〈シルバーウルブ〉(2)
光が斜めに差し込む森の中をランシャルとコンラッドは走っていた。
(走りづらい)
今までいた森と比べると倒木が多い。ウルブを恐れて近隣の村や町の人がやって来ないのだろう。
薪などに利用されることなく、ゆっくり時間をかけて虫や菌が腐食してゆくのにまかされている。そんな森だった。
止まったような時間の流れの中をふたりは走り続ける。
(じっとしていた方がよかったのかな)
ランシャルは走りながらそんなことを考えていた。
遠吠えが聞こえたということは彼らの耳にこちらの動きを教えることになったのではないか。そう思うとランシャルは不安が募った。
(遠吠えは聞こえても足音までは、どうだろう?)
聞こえていなければいいけれど・・・・・・と、わずかな希望にすがる。でも、別の考えも浮かんだ。
(僕ら、大声で名前を呼んだ)
仲間を探そうと張り上げた声。あの声をウルブに聞かれた可能性は高い。
(僕ら自分たちで呼び寄せてたり・・・・・・してないよね?)
迂闊だった、そう思うと心が焦れる。
(知らない森で大声を出すんじゃなかった)
そんな後悔をしてもしかたないけれど。
いまさら後悔しても遅いけれど。
走り出したからには止まれない。気づかれていてもいなくても、とにかく遠く距離をとっておきたかった。
ふたりの息があがってくる。
森は平坦でも倒木や岩が起伏を作って邪魔をする。
少しずつコンラッドとの間が広がって、呼び止めたい気持ちをランシャルは押さえた。
(・・・・・・はっ!)
目の端を黒い影が動いた。
木々の向こう、遠く離れた右手に。左側の森の中にも黒い影が見える。心臓の動きに拍車がかかった。身体中を巡る血液が危険信号を伝えて走る。
「ウルブか!?」
「わからないッ」
木々の間を途切れ途切れに見え隠れする影を確実にはとられられない。ただ、左右それぞれ少なくとも10数匹はいそうに見えた。
(あの跳ねるような動き)
軽快に躍動するしなやかな動き、それは魔物よりも獣を想像させる。
倒木や岩を避けて乗り越えるランシャルとコンラッドより、あちらには余裕が感じられた。
徐々に間が詰まる。
グルルッ
ウォフッ
舌なめずりするような唸り声と共に歯を鳴らす音まで耳に届き始めた。
(だめだ、早さが全然違う!)
木々の間からすいっと姿を見せた獣は、ランシャルの知っているウルブそのものだった。
遠吠えがよく聞こえる大きな耳、裂けたように大きな口。そこには犬歯が光って見えていた。
ウルブが岩や倒木の上をジャンプする。それはまるで飛び石を渡るように軽い身のこなし。
みるみるうちに追いつかれて、ランシャルはあっという間に背後に付かれた。
(息が、息が!)
ウルブの呼吸音がすぐそこに迫っている。ぞっとするランシャルにウルブが飛びかかる。大口を開けて唸り声をあげて。
(逃げなきゃ! 早く逃げなきゃ!!)
出したランシャルの足が次の倒木へとかかった。それとほぼ同時にウルブの生暖かい息が首筋にかかる。
(・・・・・・あッ!!)
くしゃっと音らしからぬ音を立てて足下が崩れた。
「うわ────っ!!」
朽ちかけた大木がランシャルの重みに耐えきれず穴を空けた。
ぽっかりと崩れ落ちた穴にすっぽりと落ちて、一瞬・・・・・・世界がスローモーションになった。空を丸く切り抜いた穴の向こうをウルブの腹が過ぎていくのをランシャルは見ていた。
「ッ! ・・・・・・つぅ」
トンネルの様に横たわる倒木の端からウルブが牙を剥いて足をねじ込んでくる。ランシャルは反対側へ這うように走った。
半分だけ中を覗ける木の洞をウルブが引っ掻いて広げる。木が砕かれる音が洞の中に響く。爪が引っ掻く音と唸り声がランシャルを追ってきた。
(逃げなきゃ! 逃げなきゃ!)
ガッ! ガッ! ダダダダッ!
ウルブの足音が迫る。1匹ではない複数の足音が追ってくる。木のトンネルを潜って走り抜け、目の前の倒木を飛び越えた。
「ラン!!」
呼ばれて声に振り向く。
「ラッド!」
「木に登れ!」
木の上からコンラッドが叫んでいた。彼のいる木の下には数匹のウルブがうろうろしている。
ランシャルは迷わず近くの高い木へ飛びついた。苔むした木の幹に取りすがり足をかけて登る。
「ああっ!」
苔に足をとられて滑った。足を掛けては滑り、それでも食らいつく。
(早く早く早くッ!)
吠え立てる声がすぐ下で聞こえていた。
枝をつかんで体を引き上げる。
四方から駆けつけたウルブが足に届きそうなほどジャンプしている。噛みつこうとする歯がガツガツと音を立てていた。
もうひとつ上の枝に手を掛けたとき、手が滑ってずるりと体が下がった。
「ラン!!」
心配したコンラッドが叫ぶ。その瞬間、コンラッドが落ちた。
(ラッド!!)
身を乗り出したコンラッドは苔に足をすべらせて、下で待ち受けるウルブの輪の中に落ちていた。
グァルル!!
ウヲォフッ!!
「だめ!! やめてぇ!!」
ランシャルは金切り声をあげた。
「ああ──────ッ!!」
ウルブに取り囲まれたコンラッドの悲痛な声が響く。
真っ赤なウルブの口がコンラッドの鼻先まで迫った。
「止めろぉ──っ!!」
怒鳴ったランシャルの声に、ウルブたちがぴたりと動きを止めた。
時が止まった。
そう感じた。
全てのウルブが微動だにしない。
コンラッドへ大口を開けていたウルブがそっと口を閉じて身を引いた。
「な、なに・・・・・・?」
震える声でコンラッドが呟いた。
ウルブたちはゆっくりとランシャルとコンラッドのそばから離れてゆく。そして、群れが割れた。
2つに分かれてできた道の向こう。森の中から白く輝くものがこちらへゆっくりと近づいてくるのが見えた。
それは、白銀のウルブだった。
立ち上がれば2メートルを優に越えるウルブ。その体の2倍はありそうな大きなウルブがゆったりとした動きでランシャルへと近づいた。
金色の瞳がランシャルをひたと捉えている。
《語る者か。久しぶりに見る》
深く知的な声がランシャルの耳に響いた。
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