第18話 王妃マリーヌ

 吹く風がバルコニーに立つ王妃の髪を揺らしていた。


 王宮でもっとも高い塔の上。王の寝所のバルコニーは見晴らしが良かった。眼下に王宮の庭があり、城壁の向こうには城下町が広がっている。


 視線を遠くへ向ければ草原と森が見えて町や村が点在している。戦など遠い昔の穏やかな風景が続いていた。そして、遥か彼方に霞んで見える山並みは霊峰レイラーン。


「あの人は何を思って眺めたのかしら」


 ちらりと室内に目をやって王妃は言った。


「優越感や満足感ではなかったでしょうね」


 彼が王印に怯え返上したいと泣いて懇願したと聞いている。


「虚しい」


 ぽつりと言って溜め息をもらす。

 見える景色は美しいけれど触れるには遠すぎる。


「美しいけれど、孤独ね」


 言葉だけ置き去りに王妃は室内へと入った。

 王が亡くなったあとも清掃は行き届いている。明るく風の吹き抜ける王の寝所は生前と変わらない。とは言っても、王妃マリーヌは数回ほどしか来たことはなかったが。


 バルコニーから真っ直ぐベッドへ向かう。

 王はあの日から変わらずそこに横たえられていた。白く薄いレースで覆われた王は眠るようにいまもそこにいる。

 そっとレースの端をつまんで引くと、流れるように引き下げられていく。その下から王の顔が現れた。特に手を加えてはいないのに、まるで生きているような顔色。声をかければ目覚めそうだ。


「あれから数ヵ月経つというのに・・・・・・不気味なこと」


 眉間にわずかにシワを寄せる王妃は学者の言葉を思い出していた。


『新王が正式に玉座に着くまで姿は保たれます』

『いつまで有効なの? 永遠に?』

『これほど間が空いた前例が文献に記されていないので、なんとも』


 ドラゴンの力はまだこの体に残っている。そして、王宮に亡骸があるうちはこの国の天候は安定している。そういうことらしい。


「のんきな顔をして」


 言った王妃の声は苦々しそうに聞こえた。

 王妃好みのハンサムではないが整った顔立ちの王。


 いつも対立ばかりで困ったり悲しい表情ばかり見てきた。結局、こちらの言い分を覆せなかったくせに、彼は苦言を止めなかった。


「こうして見ると綺麗な顔ね」


 穏やかに眠るような王。その顔に苛立ちを覚えてしまう。


「浮気男のくせに」


 小声でなじった。

 口に出せばふつふつと怒りが湧いてくる。静かな怒りが声にこもる。


「自分だけ本当の愛を掴むなんて」


 許せない。

 ただの浮気なら許せたものを。


「愛する人から引き剥がされて王妃の役に押し込められて、私がどれほど、どれほど・・・・・・」


 やるせない思いを装飾品やパーティーで紛らせてきたことか。反発心と憂さ晴らしを散財と言われて腹立たしかった。

 結婚は王の意思ではなかった。彼のせいではないから、同病相憐れむ思いがあったから浮気は見逃したのに。


「貴方に妃がいればこんなことには・・・・・・」


 振り上げそうにある手を押さえて涙をこらえる。


「貴方はもう天国にいるの? 彼女と出会った? いいご身分ね」


 父には刃向かえず、唯一反発のできる王は死に、自由はまるで砂の城のよう。


「国を統べることが出来ても景色は変わらない」


 退屈で平和な日常が続くだけ。


「ん? 戻ったの?」


 家具の影に気配を感じて声をかける。


「我が主マリーヌ様、少しご報告をと」

「見つけた?」

「はい」

「殺したの?」

「いえいえ」


 声は影の中でくつくつと笑っている。


「魔女の輪で少し邪魔を」


 王妃マリーヌの表情は変わらない。


「気づかれたらウルブのテリトリーへ飛ぶように仕掛けてあります」

「そう」


 気の無い返事だ。


「子供の足では逃げられず首を食い千切られて死ぬことになるでしょう」


 声には舌なめずりをしていそうな残忍さが含まれていた。


「遠回しなことをするのね」

ドラゴンは汚れを嫌いますから」

「私のために?」

「はい」

「汚れていない人間がいると思うの?」


 マリーヌは鼻で笑った。


「明らかに色がついて見えるよりは、より白に近い方が王印も早く巡ってくるというもの」


 静かに息を吐いてマリーヌは王の顔にレースをかけた。


(王印があったところで何が変わるというの?)


 勇者の血族としての力がもっと強かったら、もっとましな妖魔を捕まえられただろうかと、ふと思う。


(私を背に乗せて大空を飛ぶ妖魔を使えたら、嫁げと言われたあの日に運命を変えられたかしら)


 40才を目の前にして今さら少女のようなことを考えるなんてと自分に笑った。

 父親の持つ力は先読みだ。先を越されて封じられるのがおちだろう。


「新王は子供なの?」

「13か14というところでしょうか」

「見た目は?」

「ランセル王に似た愛らしい方です」


 王の名が出てマリーヌは眉を寄せた。


「気弱そうな子?」

「はい」

「そう・・・・・・」


 短く言って黙ったマリーヌに影は言った。


「ウルブに食われるか逃げおおせるか、新王の運試し。水鏡で見ますか?」


 闇のような心が見え隠れする声に、マリーヌは首を振った。


「人の生死を楽しむ趣味などない」


 そう言ってドアへと歩きだした。


「妖魔とそれを統べる者は似た者同士。勇者の血が薄くてもましな妖魔を使う者はいますよ」


 影が嘲笑う。


「呼ぶまで黙ってなさい、消えて!」


 家具の影から闇の気配が消えた。


「アウル」


 もう1つの妖魔に声をかける。

 風が吹いてい小さく渦を巻くと椅子の背にフクロウに似た鳥の妖魔が現れた。


「もう一度調べてくれる? 王印に関心のある者たちの動向を」


 妖魔はそっと目を閉じて頷いた。


「かしこまりました」


 言いながら動く様子はない。


「なに?」

「影に止めるよう言わないんですか?」


 マリーヌは黙っていた。


「新王を迎えれば王の亡骸とさよならできますよ」


 深く息を吐いてマリーヌは言った。


「その子の運次第よ」


 王の寝所から王妃は出ていき、妖魔は姿を消した。




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