私の人生のヒロインの座を決して譲らない彼女の話

坂本 ラッコ

第1話(全1話)

色々と言いたいことがあった。


貴方には既に奥さんから奪う程大好きな人が居るんじゃないの、とか、その新しく出会った彼ってこの間私と2人で居たときに連絡先を交換した人だよね、とか、でも左指に指輪してたよね、とか。


何故か「それってバレたら彼も貴方も懲戒になるよ」という言葉は出てこなかった。また何故か彼女からも、「2人だけの内緒ね」というお決まりの言葉は出てこなかった。


_________


その彼女は、私の親友だった。


だった、と過去形で言うのは、私がもはや彼女が元気でいるかさえも知らないからである。


彼女とは、内定者懇親会で出会った。170cmの高身長でモデル並みのスタイル、綺麗に切りそろえられた前下がりの艶やかな黒髪ボブに、マットで真っ赤なリップ。


誰もが不似合いなリクルートスーツに着られていた時、お洒落なネイビーストライプのマーメイドラインのスーツを身に纏う彼女は、まるでドラマから抜け出して来たヒロインのようで、男女問わず、誰もが羨望の眼差しを向けていた。


彼女は大学院卒であり2つ年上だったのだが、当時社会人デビューを果たした私と、なぜだか仲良くしてくれた。


とても賢いのにまったく気取らない性格、一体何冊読書をしてきたのかと思わされる豊富な語彙、若い女性らしい話題から哲学や政治に至るまでの幅広い引き出し、細くて可愛らしい声質、笑ったときにだけわかる、ちょっと歯並びの悪い口元。そのどれもが彼女のスタイルであり、もはや彼女という名のブランドを築き上げていた。


彼女は常にハイブランドの洋服やバッグを身に纏っていたが、決して最新の物ばかりでなく名品と言われるものやリーズナブルな物も上手く取り入れた上品なスタイルをしていた。


そんな生来お洒落な彼女と、高校まで古風な女子校で育ち大学の4年間は奨学金返済の為にほとんどの時間をアルバイトに費やし、付け焼き刃で就職の1年前からファッションの研究を始め、運良く社会人デビューを果たした、背伸びをした私。  


どう考えても釣り合わないし、仲良くなる要素なんてまったくなかったと思うのだが、何故だか私達は出会って数ヶ月で、何もかもを共有する仲になっていた。


ある日彼女とカフェでお茶をしていた時だった。彼女は唐突に、また非常に言いにくそうに、「ねぇ。不倫って、気にする?」と聞いて来た。


当時恋愛経験はあったものの、あまりのめり込むような恋愛をしたことのなかった私は、不倫に関してまったく想像力が働かなかったのだが、あまりに急な質問に彼女が不倫していることを察し、「どうだろう。隠し通せるなら良いんじゃん?」と曖昧に答えた気がする。

 

ぱぁっと明るい顔をして、そこから彼女は、彼女の過去について淡々と語り始めた。


学生時代に付き合っていた年上の彼氏に別れ際暴力をふるわれたこと、そんな時どん底まで落ち込んでいた所から助けて出してくれた既婚者の彼、彼としたロマンチックなデート、初めてのセックス、喧嘩、そしてクリスマスに彼の奥さんから直接電話がかかってきたこと、などなど。


恋愛についてあまり経験のなかった私は、そのことを彼女に気づかれるのが恥ずかしくて、だけど彼女が信頼して秘密を打ち明けてくれたことが嬉しくて、かなり前のめりに話を聞いたように思う。


具体的なアドバイスは出来なかったものの、「何か合ったらいつでも話を聞くからね」と言った。彼女から「頼りにしてるね」と目を潤ませて言われた時には、自分の中の何かが満たされたような気すらしたのだった。


忙しい忙しい、新人1年目の週末。私達は表参道のカフェで待ち合わせて一緒に買い物に行くのが定番となっていた。新しいコスメ、最新のハイブランドのバッグ、お洒落なカフェ、高学歴で顔はかっこいいのにファッションセンスに欠ける同期の男子たち。


何時間話しても話題はまったくつきることがなかった。今思い出しても彼女と過ごしたあの数年間は、わたしの人生の中で最良の数年間だったと思う。本当に楽しかった。本当に、本当に、楽しかった。

 

ある日の仕事終わり、10人くらいの新人が集まり、飲み会が開かれた。彼女はいなかったし、もし彼女がいるなら幹事も絶対に違うお店を選んだろうなと思うような、粗末な居酒屋でそれは開催された。各々、仕事の愚痴をこぼしながらお酒を酌み交わす、気軽な会だった。

 

ある程度お酒が回って来た時、ふと、1人の男性が私のもとにグラスを持ってやってきた。彼は、私の親友である彼女と配属先が同じ同期だった。彼は少しだけ私と雑談をすると急に、核心に迫るような口ぶりで私に言った。「なぁ。あいつと付き合うの、お前まで同じと思われるから辞めた方が良いよ。」と。その眼光は鋭く、ドキッとさせられるものだった。


彼の話はこうだった。あるとき、彼と彼女の配属先で重要な契約書が紛失した。状況証拠的に、明らかにそれを無くしたのは私の親友だったが、彼女は頑にそれを認めなかった。紛失の翌日、彼が何故だか部長室に呼び出され、「お前が無くしたという証言がある。白状しろ。」と言われた。まったく身に覚えがない彼は全力で否定しながらも、部長の考えは全く変わらなかった。


不幸中の幸い、結局契約書はなんとか再発行され、顧客への謝罪も無事に済んだのだが、彼は意気消沈していた。たまたま同期である彼女とコピー室で一緒になった際に、ふと愚痴を吐いた。冤罪である、と。すると彼女はこう言った。「ごめんね、多分失くしたの私なんだ。だけど、私幹部候補で採用されてるから、こんな所で失敗する訳にいかなくって。」ぞくっとする程の笑顔だった。おそらく彼女が虚偽の告発をしたのだろう、と彼は私に言ったのだった。


私は「でも彼女は、自分が告発したとは言ってないんだよね?」とその場では彼女を守るような事を言ったと思う。しかしきっと彼女が告発したのだろうな、と私は直観していた。思い当たる所があったからだ。


それはある日の仕事終わり、電話で彼女と雑談をしていた時のことだった。私達は新人1年目の終わりに実施する、業務資格テストを控えていた。平均点が5割程度、業務資格にしては難しい試験で、どうやら次の配属先に影響をするという噂があった。


「貴方は賢いからきっと大丈夫だね」と何の気無しに言った所、彼女は電話越しにこう言った。「実は私、テストの回答を持ってるんだよね。でも100点って怪しいから、わざと何問か間違えないと」いつものように明るく屈託なく話す彼女。嫌な予感がしながらも、どこで手に入れたかと聞くと、実は今人事部のテスト担当者と付き合っていて、その彼から横流しをしてもらったのだ、と言う。


色々と言いたいことがあった。貴方には奥さんから奪う程大好きな彼が居るんじゃないのか、とか、その人事部のテスト担当者ってこの間私と2人で居たときに偶然出会って連絡先を交換した彼だよね、とか、その彼って左指に指輪してたよね、とかとか。何故だか「それってバレたらテスト担当の彼も貴方も懲戒になるよ」という言葉は出てこなかった。また何故か彼女からも、「2人だけの内緒ね」などといった言葉はまったく出てこなかった。


この辺りから彼女との付き合いに違和感を覚え始めた。同時期、私と彼女の間にもう1人仲の良い女の子が出来た。この子はアイドルばりの容姿をしていて、聞くと彼女の所属していた名門私大のサークルの1つ上の先輩から、アイドルデビューをした人がいるらしい。そしてその先輩はおそらく彼女の元カレだったのだが、まぁ美男美女でお似合いのカップルだな、と思ったので何の違和感もなかった。


3人で一緒にいるようになって、私の親友は変わり始めた。なんというか、とても我侭になったのだ。仕事帰りに3人で買い物に誘われたので「今日は疲れてるからごめんね」と言った所、「えー、行こうよ」と15分くらいごねられた。もう1人の彼女も居るし、2人で行って来たら良いじゃない、といっても全く取り合ってくれない。彼女の表情もいつもの柔和なものではなく、頑で意地悪な顔立ちをしていることが多くなったように思った。


この一件から、なんとなく彼女と一緒に居ることがしんどくなってきて、私はすこしづつ彼女と距離をおき始めた。週末の表参道の買い物も、ほとんど行く事がなくなった。

 

それから数ヶ月が経ち、私の親友は希望していた部署、そして私は希望していた訳ではないが希望していた部署に限りなく近い部署に配属され、2人とも同じ都心のオフィスで勤務することになった。


彼女と近くで働くのは嫌ではなかったし、むしろ嬉しかった。だから時折彼女とオフィスのカフェで休憩がてら雑談をするようになった。彼女の我侭さも鳴りをひそめ、また前のような楽しい時間が戻って来たと思った。彼女の悪い噂はその後も耐えなかったが、どれも私が直接見聞きしたものではなく噂の域を出なかったため、すべて聞き流すようにしていた。


そんなある日、オフィスで忙しくしていた時だった。私の自席の内線が鳴った。相手は彼女だった。彼女は泣いていた。用件は、今から食堂で会えないか、話を聞いて欲しいから、とのことだった。私は彼女の異様な雰囲気に、わかった、と内線を切り、冷たい目を向けてくる上司の視線をかわして、食堂に向かった。


食堂につくと彼女は席をとってくれていた。いつものようににっこりしていたが、目は真っ赤だった。どうした?と訪ねると彼女は言った。不倫相手に別れを切り出された、と。彼とは7年付き合っていて、これまでに2回別れてきた、1回目は彼女とのことが奥さんにばれた時、そして2回目は彼が外資系企業をリストラされた時だった。今回は3回目だが、彼が転職先にうまくフィットせず別の会社に改めてマネジメントとして転職するため、しばらくは彼女との時間が取れず別れたい、とのことだった。


どうしたらいいんだろう、と泣く彼女に私はすこしイライラしながら、「もう別れなよ。未来も無い関係なのに、時間がもったいないよ」と正論を言った。彼女は豹変した。「なんで私達のことをまったく知らないのに、そんなこと言うの、信じられない」私は初めてみる彼女の感情剥き出しの態度に衝撃をうけながらも、まぁ確かに人様の恋愛なんて安易に口出すものじゃないよな、と考え直し、彼女に口先だけの謝罪をし、オフィスの自席に戻った。


その後すぐに彼女からはラインで謝罪があり、また週末に遊びにいこうよ、と誘われたが、私は多忙を理由に断った。


その後も彼女からは2-3日に一度、遊ぼうよと連絡が来ており、その都度何かしら言い訳して断っていたのだが、あまりのしつこさに、ついに返信をすることを辞めた。


それでも彼女からは1週間に一度、連絡が来続けた。「ごめんね、もう私のこと嫌になったんだと思うんだけど、私は好きだからまた一緒に遊びたい。ずっと待ってるね」といった内容から、最後には『待ってるよ』という短い文面だけが送られて来たが、その全てを無視し続けた。


そのまま私は彼女には一切連絡をしないまま、社内恋愛をして結婚し、それと同時に転職をした。転職して1年が経った頃、また彼女から連絡が来た。結婚のことは知らなかったのか、「転職したって聞いたよ。また話したいな」、こんな内容だったと思う。

 

私はこんなに年数が経っているし、お互い環境も違うから、また仲良くなれるかもしれない、そんな淡い期待を持って彼女に「久しぶり」とだけ返信をした。彼女からは、「返信うれしい!聞いてもらいたいことがあって。もう誰も聞いてくれないから……」といった返信が来た。


なんとなく違和感を感じながら、どうした?と一応聞くと、やはり件の不倫相手の話だった。どうやらあの後復縁し、そしてまた上手く行っていないらしい。


私は怒りを覚えた。彼女は、勝手に怒って勝手に距離を置いた私をずっと待っていてくれた。返信をしない私に対して諦めることもなく、責めることもなく、ずっと連絡をし続けてくれた。不倫のことで多少距離は遠ざかったとしても、彼女の中でも私はずっと親友だったんだろうな、と嬉しい気持ちも多少はあったのだと思う。


だけど。彼女との明るい和解を期して返事をした私に対し彼女がしたことは、もう彼女の周りの友達が聞き飽きて聞いてもくれなくなった、顔も知らない不倫相手の、どうでもいい話だった。


数年ぶりの親友との会話なら、最近の四方山話を聞くに違いない。転職先のことや、私の結婚相手のこと、そしてフクフクとした可愛いまっ白な愛猫のこと、そんなことを。そしたら私は、転職先が思ったよりも厳しい所で苦戦していること、新婚生活は楽しいけどやはり他人と暮らすって思ったよりもずっと大変だということ、それから猫は可愛いけど私よりも旦那に懐いていてちょっと寂しいこと、それから、もう一度貴方と表参道に行きたいこと。きっとそんな話をしていたと思う。


だけど、そんな話をする間もなく不倫相手の名前がでて、私は出端をくじかれた。

 

きっと彼女は私と和解をしたかったわけではなかった。なんなら出会った最初から私のことなんてどうでもよくて、親友なんてまったく思っていなくて、彼女の不倫の愚痴を聞かせる、都合の良い掃き溜めくらいにしか思っていなかったのではないか。だから社会人デビューをしたての、ださくて、2つ年下で、背伸びをした私なんかに近づいたのではないか。


すべての辻褄があったような、裏切られたような気持ちがして、私は最後の最後に、彼女に本音をぶつけた。


「不倫してると、友達居なくなるよ。だからみんな話聞いてくれなくなるんでしょ」

彼女は言った。「だって出会って一番最初の時、不倫は隠し通せるなら別に良いんじゃない、って言ってたよね。だから話したのに。ひどい」と。


私が一番聞きたくない言葉だった。親友だと思っていたのは私だけで、彼女にとって私は不倫の愚痴の掃き溜めに過ぎなかったという仮説の答え合わせが、こんなにも簡単に出来てしまったから。


5分程経ってすこし冷静さを取り戻した彼女はこう続けた。「ひどいこと言ってごめん。きっともう返信くれないよね。だけどいつかまた一緒に表参道でお買い物できたらいいな。ずっと待ってるよ」

 

私だってまた彼女と表参道で買い物をしたい。表参道の交差点で信号待ちをする、薄いグレージュのロングコートをたなびかせた美しい彼女が、笑顔で私のもとに走り寄って来てくれる姿をもう一度見たい。


私は彼女が大好きだった。今でも多分大好きなことにかわりはないのだと思う。だけど今後一生彼女にそれを言うつもりもないし、もう連絡をとることも、彼女からの連絡に返信をすることもないだろう。


先日、彼女のラインのアイコンが変わった。まるまるっとした赤ちゃんを抱いた、ウエディングドレス姿の彼女だった。相手は私のまったく知らない、よく日に焼けたスポーツマンのような男性だった。ウエディングだからか、彼女は髪を伸ばしてまとめ髪にしていたし、艶やかな黒髪を明るい上品な茶髪に染め上げて、リップは薄いピーチベージュをつけていた。いつも前歯を隠してしとやかに笑っていた彼女は、歯茎まで見えるように大きく、大きく笑っていた。


だけど彼女は前下がりの黒髪ボブに、赤い口紅が一番似合っていることを私は誰よりも知っている。それに幸せに満ちた100%の笑顔は彼女には似合わなくて、どこか憂いを帯びた65%くらいの微笑みが一番美しいことも。


私は彼女にそれを一生伝えてあげるつもりはないし、結婚をして幸せになった彼女は、きっと彼女の一番美しい笑顔をもうすることはないのだと思う。


私は彼女が大好きだったし、親友だと思っていたけど、それを彼女に伝えたことは一度もないし、今後一生伝えることもない。きっと伝えたら彼女はまたあの美しい65%の笑顔を私に向けてくれる気がするし、きっとそれを見たら、私はまた彼女のことを大好きになってしまうから。


彼女には、そんなに美しくない100%の笑顔でずっと居てほしい。

きっとそれが、私が大好きだった彼女に出来る最後の、ほんの些細な意地悪なのだ。


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