独占欲
食事が終わった後は、映画館で『君と見る空』という現在大ヒットしている有名監督の最新作を観た。これも仄香の希望だ。
初デートは映画が良いと聞いた。
同じ映画を観れば共通する話のネタができ、観た後に感想などを言い合うことで話が弾むからだそうだ。
しかし――。
「君が何をそんなに泣いているのか分からない」
上映が終わった後も感動で涙が止まらない仄香を、志波は心底理解できないとでも言いたげに見下ろしてきた。
「だっだってっあんなに想い合ってる二人が最後はお互いのために別れなきゃいけないなんて悲しいじゃないですか……!」
「終始どこに感動していいのかよく分からない単調なストーリーだったように思うが?」
「うう……志波先輩とテンションが違いすぎて悲しいです……」
今大ヒットしている話題作なのでたまたま仄香だけに刺さった駄作というわけではないはずだが、志波の心は全く揺れていない様子だった。
映画というチョイスは間違いだったかもしれない。
仄香はティッシュで鼻をかんでから聞いた。
「志波先輩は、大切な人との別れが悲しいとは思わないんですか? 少しも?」
泣きすぎてシアター内で飲みきれなかったラージサイズの麦茶を飲み干してから、出口で待っていたスタッフにゴミとして渡す。
志波は歩きながら少し考えるような素振りを見せた後、短く否定した。
「思わない」
「例えばですけど、ご両親と死別したらさすがに悲しいのでは……」
「人の命はいつか尽きるものだ。そんなありきたりな出来事に対して特別な感情を抱けるとは思えない」
この男、両親に対しても特に愛着はないらしい。そんな人間が一般的な感動映画に何か感ぜられるとは思えない。
「……すみません。退屈でしたよね」
仄香はしょんぼりしてしまった。
このままでは志波のニーズに全く合わせられていないデートになる。
今のところ、ただ仄香が観たかった映画を無理やり観せてしまっただけだ。
しかし、志波は意外にも即座に仄香の発言を否定した。
「退屈だったとは言っていない。映画の内容のどこに感動していいか分からなかっただけだ」
「それ、退屈と同じ意味じゃないですか……」
「一人なら退屈だっただろうな。だが今日は一人じゃない」
「……私と一緒だから退屈じゃなかったって意味ですか?」
「ああ」
ときめきで胸が苦しくなった。
志波という人間は普通の人間ではない。誰に対しても恋心を抱くことはないだろうし、こんな言葉にもきっと意味はない。期待しすぎてはいけないと分かっているのに、志波への想いがどんどん膨らんでいく。
映画館から出た後は隣接する水族館に向かった。これも仄香の希望通りだ。
約四百種類の生き物がいる、かなり大きな都市型水族館だ。一階と二階、屋外エリアの三つで構成されている。仄香は密かに〝お魚図鑑を作ろう〟というイベントを楽しみにしていた。
「志波先輩、こっち来てください!」
入場してすぐ、イベントのための受付に並ぶ。
「このイベントがやりたかったのか?」
「はい! 受付でカメラを借りて、そのカメラで館内の水族館にいる生き物を撮影するんです。その写真が解析されて、撮影した生き物のデータが画面上に出てくるので、帰る時に印刷して図鑑にできるんですよ」
順番が来ると、イベント専用のカメラが二つ貸し出された。一つを首から下げた仄香は、もう一つを志波に渡す。
仄香は手本を見せるため、試しに近くの大きな水槽の中にいる生き物を撮ってみた。
すぐに画像が解析され、カメラの上に生き物のデータが浮かび上がる。
ヒョウモンオトメエイ――ヒョウに似た輪状の斑紋が多数あるエイだ。
「ほら、こんな風にびっしり説明が出てくるんです。このエイ、尾棘に毒があるらしいですよ! 刺されると激痛に襲われるんですって。水槽越しでよかったですね」
表示された情報を読み上げて、面白いところを志波に伝えた。
感情のない志波でも、知的好奇心くらいはあるはずだ。映画よりは楽しんでくれるのではないかと期待して見上げた先の志波は、少し意外そうな顔をしている。
「君は水の中の生き物にそこまで興味があるのか」
「はい。こう見えて昔は図鑑とか見るの好きだったんですよ。妹が図鑑好きで、よく一緒に見てるうちに私もハマってしまって。……志波先輩は、こういうのもあまり興味ないですか?」
「いや。知識としては頭に入れている」
「知識として……じゃあ、あのサメっぽいの何ザメか分かったりします?」
「トラフザメだ。インド太平洋のサンゴ礁で見られる」
カメラを通してみると、実際に〝トラフザメ〟という文字が浮かび上がった。
「合ってる……じゃ、じゃああれは?」
「ジャイアントショベルノーズレイ」
「名前長っ!……合ってるし……。もしかしてあれも分かりますか?」
「クマザサハナムロだろう」
カメラで確認してみたが、志波の回答は全て解析結果と同名だった。
カメラの画像解析の結果を待つより志波に説明してもらった方が早いのではないかと思いつつ、ゆっくりと次のコーナーに進む。
「志波先輩ってまさか意外と生き物好き……?」
「教育施設で教わるうちに覚えただけで、生き物自体に興味はない。知りたいとも思わなかった。だから、君が他の生き物について知ることをそんなに楽しそうにしているのが不思議だ」
「楽しくないのは、志波先輩が積極的に知ろうとしていないからかもしれませんよ。最初は興味なくても、知ってみれば面白いことだってあります。自分と違った生き方をしている生物の生き様ほど不思議で面白いものないですからね!」
そう言うと、少しの間があった後、隣の志波がぽつりと呟いた。
「……生き様か。死に様ではなく」
そして突然、触れづらい話題を出してくる。
「俺はよく生き物を殺していた」
「……ら、らしいですね」
「生き様より死に様の方が俺にとっては面白かったからだ」
志波の発言によって想起されたのは、随分と前に見た予知夢だった。
敷き詰められた花びらの上、志波が立っている。志波の前には頭部がぐちゃぐちゃの女性の血に染まった死体があり、それを見下ろす志波は――恍惚とした顔をしていた。
あの夢の光景を思い出した途端、物凄く嫌な気持ちになった。夢を見た当時とは別の理由でだ。
いつか志波は、生き物だけでなく人間も殺すことになる。そうしたら、仄香などには興味をなくすだろう。
「だが、君が言うなら生き様にも目を向けようと思う」
「…………」
「どうした?」
志波の言葉の途中で立ち止まった仄香のことを、志波が振り返る。
「嫌だ……」
仄香はか細い声で訴えた。
「私、おかしいんです。ただ見つめているだけだった時は志波先輩に毎月の手紙で感謝と憧れを伝えられたらそれでよかったのに、こうして直接話せるようになってからはどんどん気持ちが身勝手になっていく。志波先輩のこと好きで好きでどうしようもなくて、夢で見た通りの未来にならなければいいのにって思います」
「夢?」
「志波先輩は、来年の春、飛び降り自殺の現場を目撃するんです。私じゃない白いワンピースの女性が、地面に打ち付けられてぐちゃぐちゃになるところを見ることになる。未来の志波先輩はその人のこと、凄く愛おしそうに見てたんです」
「…………」
「――志波先輩が私以外の死体に興奮するなんて絶対嫌だ」
これは嫉妬だ。
片思いで十分だと思っていたのに、一丁前に独占欲なんてものを抱くようになってしまった。そんな自分が醜く感じられて、恥ずかしくて仕方がない。
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