ありえない話
宵宮がおかしそうに言う。
「やだなぁ、高秋の下半身に興味津々なほのぴ」
「興味津々っていうか……いやまぁ、興味津々なんですけど……」
以前はそこまで気にしていなかったのだが、今日の昼間夏菜子と会ってから余計に気になるようになってしまった。
夏菜子と志波は元恋人。当然行為に及んでいる。宵宮が以前言っていた、〝飲みの席で酔っ払って志波が不能だと愚痴を漏らした元カノ〟というのも、夏菜子のことだろう。
夏菜子は勃ちにくい志波相手にどのように致したのだろうかとグルグル考えているうちに夏菜子と志波の情事を想像してしまい、どんどんモヤモヤして嫌な気持ちになった。
――夏菜子が知っていて、自分の知らない志波高秋がいるのが嫌だ。
「夏菜子先輩は、どうやって志波先輩としてたんでしょう……」
俯きながら聞く声が小さくなってしまった。
大好きな人の元カノとの対面が、時間差で仄香にダメージを与えている。
宵宮がふといいことを思い付いたかのようにゆるりと口角を上げた。
「試してみる?」
突然の提案に仄香は目を見開く。
「ほのぴ、なおやんとだと受け身だもんね。男がどうしたら喜ぶか全く知らないんじゃない?」
「……確かに……」
尚弥としている時は、尚弥からの一方的な刺激に耐えているだけだ。無理やりされているのだから当然だが、仄香の方から何かしたことはない。
子供の頃尚弥のそれを遊びで触ったことは何度かあっても、適当に触っていただけで、どこが弱いかなどを意識したことはなかった。
「僕が僕の体使って教えてあげよっか」
「いいんですか?」
思わず前のめりになってしまった。
切れかけの電灯がちかちかと辺りを照らしたり暗くしたりしている。
もう深夜のためか周囲に人もおらず、絶好のチャンスだ。
静かな暗闇の中、宵宮が薄く笑っているのが見える。
「ほのぴさぁ、他の人にも頭おかしいって言われたことない?」
「そんなこと言うの宵宮先輩だけですよ」
「絶対他の奴らも思ってるよ。節々から異常性が滲み出てる。っていうか、高秋以外のことを考えてなさすぎるって表現した方が正しいかな。ま、いいけど」
失礼なことを言われショックを受けているうちに、宵宮の手が仄香の手を掴んだ。そしてその手は誘導するように宵宮の股座に持っていかれる。
仄香は恐る恐るといった感じでズボンの上からそこに手を置き、「あの、脱がせても大丈夫ですか」と問いかける。
「いちいち許可取るの? 好きにしていいよ」
宵宮が全く気にしていない風に答えるので、勇気を出してズボンのチャックを開いた。宵宮のそれを取り出してじっと観察した仄香は勉強のために質問する。
「何か昔尚弥に、この下を触られると気持ちいいって言われたことあるんですけど、それって尚弥のフェチとかじゃなくて男性全般に言える話ですか?」
「この状況で他の男の名前出されんのムカつくけど、大体はそうかなぁ」
「ふーん……」
「い、って。力入れすぎ。上擦れて痛ぇから一旦離して」
「あ、ごめんなさい」
ひとまず自分なりに触ろうとしてみたが間違っていたようなのでぱっと手を離した。
「ここ触る時はあんま力入れないで。こうやって持つ時は力入れてもいいけど圧迫しすぎなくても十分だから、そっちの手が疲れない程度の力でいい」
宵宮は思いのほか丁寧に説明してくれた。
こんな機会は滅多にないので、一度で覚えられるように真剣に聞く。
ふむふむと触りながら頷いていると「勤勉か」と笑われた。
◆
車に戻る頃にはとっくに日付が変わっていた。車の中で待機している咲のことが心配になったが端末に連絡などは来ておらず、駐車場に戻っても眠っていたのでずっと寝ていたのだろう。
寮の門限は過ぎている。念のためカレー屋で咲と一緒に外泊許可を取っていて良かったとほっとした。
宵宮が寮まで送ってくれるそうなので助手席に乗り込む。
「あーあ、今日もほのぴの勧誘は失敗かぁ。ま、楽しかったからいいけど」
わざとらしくつまらなそうに言ってきた宵宮の車が発進し、真夜中の道を走り始めた。
「勢いでとんでもないことしてしまった気が……」
「若いうちは勢い任せで色々やっとくもんだよ」
遠い目をする仄香に対し、宵宮はけらけらと笑うばかりだった。
窓の外を眺めながら、こうして宵宮がいちいち仄香に構うのも全て計画のためなのだろうと冷静になる。
けれど不思議と、どう交渉を持ちかけられてもテロリスト側に回ることはないだろうという自信がある。我ながら何故なのだろうと考えた時、やはり小学生の時自分を助けてくれた志波高秋の背中が思い浮かんだ。
(そうか……あの瞬間抱いた志波先輩への憧れが、私の人生の主軸になってるからだ)
偶像に過ぎないのは分かっている。実際の志波は仄香が長年空想していたようなヒーローではなかった。それでもあの時の衝撃と恋心が仄香の中で揺らぐことはない。
「私を勧誘する時間を他に割くべきだと思います。私は絶対宵宮先輩の仲間にはならないですから」
この際だからはっきり言っておこうと思った。
「もしも私が悪人に堕ちるとしたら――それは私の正義の指針である志波高秋先輩の死が確定した時以外だけだと思います」
ありえない話だが、いつかそんな日が来ない限りは、仄香が悪人に堕ちることもきっとない。
そう宣言した仄香のことを、宵宮はやはり笑うのだった。
「高秋のこと正義なんて言うやつ、ほのぴだけだよ」
と。
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