奈良のちょっとした話
秋嶋七月
御霊神社の狛犬
昔、叔母が御霊神社で結婚式を挙げたことがある。
当時、小学生だった私は式に参列したはずだが、境内の中に両家の親族がたくさん並んでいて神社が狭く感じたことと、白無垢の花嫁が歩く距離が短くてあまりしっかり花嫁衣装を見られなかったなあという印象しか残ってなかった。
中学生くらいの時、叔母は離婚することになり、姉であり離婚経験先達者の母に相談と愚痴をぶちまけに家にやってきた。
そこで改めて私は叔母が結婚式を挙げた場所が御霊神社であったことを知った。
その時すでに私はオカルト好きに片足を突っ込んでいたので、御霊神社の御祭神に井上皇后がいらっしゃることを知っていた。
なので、夫である光仁天皇に裏切られて、冤罪かけられたあげく息子共々、暗殺された疑惑のある元怨霊(と思われて祀られた)が御祭神の神社って、結婚にご利益はなさそうなのに結婚式するんだなぁ、という感想を抱いていた。
後に同じ本殿に事代主神が祀られており、縁結びのご利益もあると知ったのだけど。
叔母が延々と話し、母が相槌を打つ横で宿題をこなしながら聞くともなしに話を聞き流していただけだったが、ふと興味の引かれる話が出てきた。
「それで、どういっても出かけようとするから、御霊神社で紐結んできたのよ」
「御霊神社の紐?」
思わず顔を上げて聞くと、叔母は私が話を聞いていたとは思っていなかったようで少し驚いた顔をしていたが、そうそう、と話を続けた。
「御霊神社のね、狛犬の脚に紐を結びつけるんよ。足止めの狛犬っていうてね」
叔母の夫は結婚から三年ほどしたくらいから浮気をしはじめたらしい。
仕事で遅くなって、ちょっと出張を頼まれて、などと言いながらいそいそと出かけて相手の女と会っていたという。
最初の数回は信じた叔母も、度重なれば疑わしいと思いはじめ、後をつけることで浮気が発覚した。
この時はまだ叔母は離婚する気はなく、なんとか浮気相手と手を切らせることはできないかと、喧嘩したり泣きながら話し合おうとしたりしていた。
だが、一度は相手と別れると言った夫だったが、数ヶ月もするとまた家を開けることが増え始め、また再燃したのだと悟った叔母は、夫を直接引き止めるのではなく、狛犬の足止めに頼ったのだ。
「初めはね、アイツが出かけようとすると電話がかかってきたり、人が訪ねてきたりして、ご利益すごい!って思ってたんだけど、アイツも相手の女もなかなかしぶとくて」
数度のすっぽかしでは愛想を尽かされることはなかったらしく、むしろそれを叔母のせいにして、より盛り上がった様相だった。
懲りずにあれやこれや言い訳をして家を出ようとする夫、その度に起こるトラブル。
「次第に、財布がなくなるとか玄関で転ぶ、とかが多くなってきて」
夫はそれらも叔母の工作か何かだと信じていたようで、ある日、叔母が外出するのを確かめてから、浮気相手のところに行こうと家を出たところで自転車とぶつかって片足を骨折したそうだ。
自転車は逃亡してしまい、外出から帰った叔母が家の前で倒れている夫を見つけて、大慌てで救急車を呼んだそうだ。
幸い、三日の入院と二ヶ月の通院で済んだそうだが、叔母は足止めの方法が過激になっていることへの畏れと、それでもまだ浮気相手と連絡を取り合っている夫に呆れ果てて離婚を決意したそうだ。
「狛犬さんと神社にはお礼と御願解きしてきたけど、しっかり慰謝料とれたら、もう一回お参りしてくるわ」
そう叔母は明るく笑っていたけれど、足止めの効力すごいな……と恐れ慄いた話だった。
ちなみに叔母のお参りに一緒についていって知ったけれど、狛犬の足止め祈願は縁結びや神隠しに遭わない、家出をさせない、などが主なご利益だった。
■奈良市 御霊神社
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